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くくるとみえなくなる

黒田です。

先日、とある集まりに参加していたら
「最近の若い人は…」のフレーズがでてきて。

その言葉を聴いた瞬間、なんとなく悲しくなったんですよね。
「若い人」という存在は年配者が勝手に作り上げたものじゃないかと。
ひとくくりにラベリングした時点で途端に彼らの顔が見えなくなってしまうような。

年代でひとくくりにし、彼らを非難したり理解できないという考え方は
もうその時点で思考停止というか。
もったいない気がするんですよね。
「若い人」ひとりひとりが名前と考えを持った個人であり本当に多種多様。
それはいわゆる「おじさん」「おばさん」「親」「子ども」などのラベリングにも同じことが言えるわけで。

最近なぜ特にそんな風に考えるようになったのか。
それは中学生の娘がきっかけです。
彼女が友人たちとどこかに出かける時、みんなスマホで連絡が取れるからか
直前まで待ち合わせ時間や場所を決めないことが多いんです。
私からするとあまりにも信じられないくらいのんびりしている。

そして予定が直前にキャンセルになることも多いんですね。
そのキャンセルで親の私の予定が狂うこともあります。
以前すこしイラついてしまい「ホント今の中学生は・・・」的なことを口にしてしまったんですが
娘から自分も好きでこうしてるわけではない、という答えが返ってきました。
彼女は彼女なりに友人たちに合わせていたのかもしれません。

その時私は
「みんなスマホ持っている=いつでも連絡取れるから直前でみんな平気」
という短絡的な考えになってるかも、と反省したんです。

ひとくくりにするとみえなくなる。
まずは目の前のひとりひとりと向き合うことから。
もしかしたら私の考えは効率は悪いのかもしれない。
でもオセロの黒が一気に白になるなんて奇跡はないですよね。

道のりは険しいなぁ。
だから楽しいんですけど。

健やかで素敵な一週間になりますように。