朝のコピー短歌(2019.11.16)ブラックな


ブラックな仕事も仲間も好きになる
無事に校了しただけなのに


たいへんな思いをした仕事ほど、
仕事が終わったときの達成感と仲間意識が上がる。

キケンである。印刷物をつくっている場合、やっと校了を迎えたその瞬間にドーパミンがパーッと出てしまうのだ。この幸せをもう一度味わえるなら、たいへんだけどこの仕事をまた受けてもいいとさえ思ってしまう(ほんとうは二度とやりたくないのに)。

とてもキケンである。慣れと経験により、より効率的に早くできるようになり、
深夜まで待たされるなどブラックな要素も仕方がないと受け入れてしまうようになる。

達成感が上がるのは、終わったという開放感も手伝って、ということでわかる。では、なぜ、一緒に仕事をしている間はイヤなところもたくさん見えていた仕事関係者を好きになってしまうのだろうか。その答えを探して、本棚にあった池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』をパラパラとめくってみた。

該当しそうな内容をざっくりかいつまんでいうと、①長い時間接していると、それだけで脳はそのひとを好きになる。②何度も接していると、それだけで脳はそのひとを好きになる。ここに能動的な行動が加わると、③自分から会いに行っているの、連絡をとっているのだから、それだけ魅力のある(価値のある)ひとに違いないというふうに脳は解釈する。

これを「錯誤帰属」というそうで、自分の行動や目的を脳は早とちりして、勘違いな理由づけをしてしまうのだとか。よく例えに出されるのが恋愛ネタで、「吊り橋の上で告白すると成功率が上がる」のは、緊張のドキドキと好きのドキドキの勘違い。「好きな相手に尽くすのではなく尽くしてもらうと恋がうまくいく」とかも、脳の勘違いを利用したものだ。本に書いてあったのはざっとこんなところ。

今回のようなブラック仕事やブラックなひとの場合は、どうだろう。仕事上でミスをサポートしてあげる、サポートしてもらう、たいへんな事態に助けてあげる、助けてもらう、これを繰り返しているうちに、嫌いなひとなのに手伝っているはずがない、手伝ってくれるはずがない。自分は、ほんとうはこのひとのことが好きなのか、相手も自分のことが好きなのだろうと脳が思いはじめ、好きになってしまっているのである。

なんとなくはわかっていたのだけれど、ああそういうことかと納得。
だからブラックな仕事で、イライラしたりハラハラしたりヒヤヒヤしたりしているから、脳の早とちりが続いて、ブラックな仕事も仲間も好きになってしまうのだ。脳よ、それだけおバカだったのか。やっぱりキケンすぎる(笑)。

ちなみに、フリーランスにはブラックな仕事はない、ということにできる。すべて自分で受けるも断るも決めているからだ。もちろんスタートしてからブラックさが全開になる仕事もある。途中で放り出すなんてこともできない。でも次にその仕事を受けるかどうかは自由である。

アホな脳よ、冷静になってくれ。

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