発達障害と生きていく

昔から、何かがおかしいと思っていた。

私は子供の頃からアニメや特撮が大好きで、その真似をしてはひたすら周囲に馬鹿にされる子だった。今でいう、アニメオタクがまだ人権を得てなかった頃。いじめても、排除してもいいとされていたころの話だ。

それでもなお、自分には何かおかしいという疑念が付きまとった。

私の家は裕福とは言えなかったのでおもちゃなどは限られたときにしか買ってもらえなかった。それでも好きな玩具が出るとそれらを広告の白い裏に書いて玩具代わりにして遊ぶ。そういった日々を過ごしていた。

もっとも、それらは異常なものであるとして親に見つかってはすべて捨てられていたのだが。本当に悲しく、価値を、才能を認めてもらえないことを嘆いたことを覚えている。

また性への目覚めも早熟だった。小学校5年の頃だっただろうか。

それからというもの、自分は地元のゴミ捨て場を荒らしまわり、エロ本の切れ端を集め続けた。それもまた、親に異常なものとして捨てられた。

また私は周囲の空気や人の気持ちを読むのがひたすらに苦手な子供だった。自分の都合ばかりでそれらを周りに押し付け、風邪などでどうしても学校を休んでしまったときには前の人全く同じ授業をやるように、泣きわめいて懇願した。

それを我儘ととらえられていたのは言うまでもない。

そういった小さな疑念が積み重なってもなお、長らくその正体は分からなかった。普通の子と自分は何か違う。その疑念だけが付きまとい、幾何かの年月が流れた。

そうして大きな病院を受診したのが今年の夏。自分が自閉症スペクトラム症と注意障害を患っていることを知ったのは本当に何もかもが手遅れな時分だった。

私は、人の気持ちを読むことに長けていない。相手の都合を考えることに長けていない。勝手に自分の都合で物事を押し進め、破談になった関係など枚挙に暇がない。

相手の都合を考えず、勝手にしゃべり、勝手に決める。自分の都合と気持ちがいつだって最優先で、それが叶えられないとなると酷く不機嫌になる。酷く怒る。

今日も一つ、関係が破談した。

この人はこういう障害を患っているから、こういう所を受け入れてやっていこうという人に、私は今まで巡り合った事がない。

だから性的承認も得られない、異性に魅力的だと思ってもらえない。

これから先、どれだけの関係を失うのだろうと思うと、気が重く憂鬱になる。もしかしたら自分には一生まともな性的パートナーができないのではないかと不安でたまらない。

先行きはまだ見えない。とりあえず今日を何とか乗り越えるしかない。


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