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「潰瘍性大腸炎」になるということ。
「潰瘍性大腸炎」という病名に馴染みがない人がほとんどだと思う。この文章を通じて「潰瘍性大腸炎」という病気と、これによって劇的に変化した自分の人生と価値観について伝えたいと思う。
何その病気。大腸炎?胃潰瘍?
大体の人がこういう類の質問をしてくる。潰瘍性大腸炎とは現代の医療では原因が分からず完治させることのできない超絶にお腹が痛くなる病気のことである。
主な症状は腹痛、下血、下痢である。この症状から派生して食欲不振、栄養不足や脱水症状も起こる。要するに死ぬほどつらいのである。
「お腹が痛い」という人を見ると「ああかわいそうだな」、「痛そう」などといった感想がほとんどだろう。そういった乾いた目線の先で当事者達は死ぬほどの苦しみにあえいでいる。
自分がこの病気にかかったのは高校卒業後の浪人生活中だ。今考えると浪人のプレッシャーとストレスがきっかけだったのかもしれない。
予備校で授業を受けている途中もお腹が痛くて集中できない。いつ腹痛に襲われるかわからないから外出が怖くなる。こういったストレスが二重三重にのしかかる。
結局センター試験もカイロをお腹に張り、左手でお腹をさすりながら、右手でマークシートを埋めた。
結局は第一志望に受からず、この病気だけを頂いたかたちとなった。最悪だ。
受かった大学で入った部活も、青春を全て捧げるつもりだったが、この病気のせいで退部してしまった。
何をしても結局この病気に邪魔される。絶望だった。美味しそうに学食を食べる学生。学校終わりに家系を食べに行く学生。全てが羨ましかった。
友達の家に泊まりに行くのもおっくうだった。他人の家でお腹が痛いという状況は正直かなりキツい。
何回もトイレに行くのも気が引けるし。自分の城で何度もブリブリされるのもあまり気分がいいものではないだろう。
幸い自分の周りには理解のある素敵な友人や彼女がいた。この理解ある人達の前では弱音を吐けた。それでもやはり臆病な性格も相まって気を遣ってしまうのである。友人との集まりで最高に楽しい瞬間なのにお腹が痛い、下痢が出そうというだけで全く楽しみを感じられなくなる。つらい。帰りたい。という感情になってしまうのである。この病気になったことを一番呪う瞬間は「大事な人達たちとの大切な時間を台無しにされた時」である。
そして大学3年になり遂に悪魔が進化する。一日中腹痛と下痢に襲われ一切の食事が摂れない。水分ですらお腹を刺激するのである。緊急入院のすえ1ヶ月でなんとか痛みがない状況までこぎつけ無事退院する。
痛みがないって最高だ。生きてる。俺は生きてる。と思った。しかし1ヶ月も経たずに悪魔が復活した。そこからは新薬を試しては敗北する日々。その間もどんどん体重が減っていく。痩せ細っていく。
ここらへんで気付いた。普通に生活して、夜普通に寝られるということは至福なことなのだと。
そしてコロナが流行りだし、大学が休校になった。幸いなどと軽々しく言っていいものではないが、学校に行くことなどできない自分にとっては不幸中の幸いというしかなかった。
就活もひかえ、すでに一浪している身でこれ以上遅れを取るわけにはいかないと思っていた。
そこで父親に言われた。「身体と心が元気だったらなんだってできる。回復する為なら留年したっていい。長い人生でみたら学生の頃の遅れなどなんてことはない。就活で一留などを理由ではじくような会社など行かなくてよかったと思った方がいい」。
救われた。
そしてなにより「元気になったらなんだってしなきゃいけない」と思った。
自分が思い描いていた人生とはすでにかなりかけ離れたしまったが、それならば違う選択肢を取るまでだ。周りの友人達とはかなり違った方向に進んで孤独なのはたしかだ。しかし先のことを考えても仕方がない。人は不安になると先のことばかり考える。今、目の前の困難を一つずつ乗り越えていくしないのだ。
人生に正しい道などない。
恨むことしかないが、この事に気付かせれたくれたのは「潰瘍性大腸炎」という病気だ。
そしてなにより懸命に支えてくれる両親に感謝したい。いつか自分が支えられるように、今の困難を乗り越えていきたい。そうすることでしか未来は切り開けないのである。
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