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長い雑記

大きな事件が起こるたびに気になることがある。その影に隠れてしまい報道されなくなるニュース。

テレビを置かない生活になって3年半。世間で騒がれていることを知るタイミングは、少し遅れている気はするけど、だからと言って困ったということは、今のところない。

先週の金曜までは、京都の元舞妓さんの告発についての記事が大きく取り上げられていた。記事の内容は氷山の一角だとしても、すぐにどうこうなるものではないとしても、闇に葬られて無いものにされることが多いことほど、知る機会になる記事は大切だと思う。

乳幼児が部屋に取り残されて亡くなる事件も数日前にあった。時折大きく報道される時もあるが、何か大きいニュースがあると取り上げられなくなってしまう話題。

忘れたくないニュースがたくさんあり、その一つ一つを、いろいろな側面で見て考える、ということに疲れてしまう時は、すべてを今は考えないように頭の中に置いておく、ということにしている。

世間で起こっていることとか、それにまつわる意見の対立に振り回されず、今自分ができることを考えるのは、テレビのない生活になってからの方が、楽にできるようになった気もする。

とはいえ、衝撃のあるニュースだと、ネットニュースを追いかけて、ある程度は情報を得てしまうので、テレビがあってもなくても、あんまり関係ないのかもしれない。

今回も、まんまと、衝撃のあるニュースについてネットサーフィンした上に、過去に聞いたニュースも思い出して、次に自分ができることをする方向に進むために、雑記を書いて整理するか…ということになっている。

小学校の時にはテレビで、日航機ジャンボ墜落事故で生き残った中学生が、ヘリコプターで救助されるのを見て、今も映像は鮮明に蘇るくらいに衝撃を受けた。

中学校の時は、「平成」と書かれた額縁を見せる人を、海の近く(湾岸)で光るミサイルの映像を、ベルリンの壁をみんなで壊している映像を見た。

高校のときにはバブルがはじけ、倒産やら大混乱で亡くなる方もおられると、連日ニュースで見た。

田舎から東京に出た年には、関西で起こるはずがないと言われてた地震で、神戸の高速道路が崩れている映像を見た。

一人暮らしを始めたばかりのころには、地下鉄に乗ってなかったか?生きているか?と、寝ていたところを遠くに住む姉からの電話で起こされた。
その駅からは、とても離れたのんびりした地域にいた。

アパートの隣のおばあちゃんが、ピーマンがたくさん採れたみたいで、おすそ分けしてくれたりして、東京って田舎と変わらないの?と思っていた。

超、就職氷河期。
の前に、私はどこにも就職できないだろうと思って選んだ職業。

就職の準備で、引っ越しのために大きい買い物をしてバスに乗ったら、田舎から出てきたの?大変ねと、知らないおばちゃんが、飴をくれた。
今は、たぶん、その時のおばちゃんくらいの年齢になっている。

就職したすぐの、2000年になったときは、ノストラダムスの嘘つき!と悪態をつきながら、当時勤めていた精神科の病院に休日出勤中。
それまで、「ノストラダムスの大予言」みたいな番組がたくさんあったのに一気に消えたのは当然のことで、まあいいとして。
98年、99年の書き方が当たり前になっていた書類を、平成表記か2000年表記に直さなければならないという、アナログで面倒な下っ端の2000年問題、世界の終わりってこれのこと?と思ったり。

大きいニュースに、自分が関係がないとは言わない、けど、何があっても、結局、じゃあ今、自分に何が出来るのかを考えて今できることをするしか、道がなかったようにも思う。

この先、どんな風に年を重ねていけばいいんだ?と不安になる時もあるけど、今何をするか、しか先の積み重ねはないのかもしれないな、と、隣の畑のおばあちゃんが、立派なじゃがいもをゆっくりゆっくり仕分けしながら収穫している姿を見て思う。

今も、誰かが作ってくたテーブルで、誰かが作ってくれたスマホで文章を書いている。

誰かが作ってくれた作物を食べながら、誰かが作ってくれた洗濯機で洗濯をして、誰かが作って貸してもらっている家に住んでいる。

その大家さんもご高齢で、今の家を数年後には、引っ越さなければならなくなったのも、仕方がないこと。

何も一人ではなし得ないことに囲まれて暮らしているので、自分だけに都合がいいように暮らしていたら、いつか、この地球上に一人になって今のような生活は送れなくなるんじゃないかとも思う。

ラニーニャ現象、とてもかわいい名前だけど、あの大雪と猛暑。地球の温度が上がったり下がったりして、そのたびに、たくさんの生き物が絶滅しているのも納得。

脈絡のないことをたくさん書いたらスッキリした。
お腹へった。何か食べよう。

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