2.言葉にしたい気持ち

前の記事を読み返してみたら、なんだかとても硬い書き方だなと感じました。
私が伝えたい人に届けるのにこの書き方が良いのかどうかわからないけれど、そこは試行錯誤していきたいです。

前の記事で、わかってもらうために言葉にしなくてはいけないと書いたのですが、もちろん言葉にしたことが全てではないし、言葉にした時点で自分の中にある気持ち、考えからは少し本質が変わってしまうようにも思います。
気持ちは複雑で一言では言い表せないし、言葉を尽くせば、その言葉の多さで何かが変わってしまう気がします。

そもそも、わかってもらいたい伝えたいから言葉にするのですが、逆になぜ言葉にしないのかと聞かれたら言葉にしなくてもわかってもらえるという思いと、こんな思いは伝えたくないから言葉にしないの二通りがあると思います。

そしてこの二つでいえば、伝えたくないから言葉にしないの方が気持ちの上で重要な気がするのです。
多くは誰かを傷つけたくない(自分、相手、その他の誰か)という優しい気持ちみたいなものから言葉にしないのです。

最近よく考えるのですが、この優しさって厄介なものですよね。
自分に優しく、他人にも優しくありたい。
でも優しくありたいと思って言葉にしたり、しなかったり、良かれと行動したことが全く見当違いだったりすることもよくあります。

自分がこう言葉をかけられたら、こう思う、こうされたら嬉しいと自分の考えを伝えたり行動したことが、相手の中で全く違うものとして捉えられてしまうのです。

自分と他人は違うので、同じ思考を辿るとは限らないのです。
分かり合えていると思っていた人と、こんな齟齬があることはとても悲しいです。
しかも齟齬があったことは大抵はだいぶ後になってから気づきます。
また気づかない場合もあります。
気づかない方が多いのかもしれません。
齟齬があるとこに気づかないから上手くいくことも沢山あるのです。

なにかのきっかけで齟齬に気づいてしまったら、これまでの全てが分かり合えていなかったのではないかと思って築き上げたもの全てが崩れることだってあります。

ここまで考えると分かり合うことは重要なのかとも考えてしまいます。

この答えが私の中で出ることがあるのかはわかりませんが、少なくとも言葉にせずにわかったつもり、わかってもらっているつもりで自分や誰かが傷つくよりも、相手を思って言葉にして行動して結果傷ついて(傷つけて)しまった方がいいと思うのです。

やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいです。
これは私の経験ですが、やらない後悔はいつまでも私の中に残ります。
やって駄目だった後悔は私の中で浄化されて、後悔はするけど、それでも、という気持ちが生まれるのです。

ここまで書いて、私は私なので、他の誰かは違うのだなと思いました。
ここまでその話を書いてきた私が。
そう思うとこれを書くことの意味とは?と考えて消してしまいたくなりました。

でも違いますね。
違う人がいるとわかって貰うために書くのですね。
私はこう考えます。あなたは違う考えなのですね。
そう、考え方は人によって違って、だからこそ言葉にしなければ、その違いがあるということを理解できないのです。

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