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発達障害「ギリ層」の孤独 当事者会の感想

こんにちは。

今回はただのつぶやきです


借金玉さんは、発達障害の人を
「バリ」「ギリ」「ムリ」の
3種類に分類しています

コレ、わかりやすい。

「バリ」=「発達障害」ではあるけれども、これまで何も困らずに、仕事も人生もやってきた人たち

「ギリ」=多くの困難を抱えつつも、対策することでどうにかこうにか社会でやっていける人たち

「ムリ」=公的な扶助が必要な人たち

ムリ層については、
このように言及していました。

無理に働くことは命に関わります。二次障害のうつで寝込んでいる人も、ここに含まれます。僕自身、二次障害のうつで寝込んでいた時は、本1冊読むのも無理でした。


たしかにわたしも
双極性障害になった際は
本1冊すら読めない状態でした

LINEもメールも食事も
まともにできなくなり、
平日、皆が働いている時間帯も
ほとんど身動きが取れませんでした。

社会のお荷物になるくらいなら
このまま死んでしまえばいいのに、と
何度も願いましたが…

結局死ねませんでした。

身体が回復するにつれて、精神も
再び持ち上がってきましたが

たぶん、今後の人生では
バリ層に到達することは無く

ギリ~ムリを移行することになると思います

今までもそうでしたしね。

初めはなんとか
仕事に食らいついていたけど、

疲れはててギリ→ムリに落ち
今再び、回復してギリに戻ろうとしている

ギリ⇔ムリ層のややこしい精神


以前、ADHDの当事者会に行ったとき、
わたしは自分の心が真っ黒なことに
気づいてしまいました

当時、会社での業務に困難を感じて
解決のヒントをさがすため参加したのですが

会場には

空気を読まずに不快な発言をする人、
時間を気にせず話し続ける人
言動がちぐはぐな人…

あまりにカオスで、

ついこう思ってしまいました。


「わたしもADHDだけど
この人たちほど、酷くないな…」

「一緒にされたくない」


一方、ほかの参加者からは

「ふつうっぽい人が来た!」
「定型じゃないの?」

とストレートに言われ、さらに複雑な心境に。


その後、帰りぎわ、とある参加者から
LINEを教えてほしいと言われました

「LINEは苦手なので、交換したくない」

とくり返し断ったところ


「ADHD同士なら、困難もわかり合えて
きっと仲良くなれる」と説かれ…
帰り道の電車の中で1時間も懇願されました


そのとき、イラッとして

「しつこいな。この人と
同類と思われるなんて苦痛だ」

「仲良くなれるなんて決めつけるな」

と思ってしまった


いや、我ながら最低。。。。


これは紛れもない差別で、
相手をバカにしてないと出てこない言葉

自分もADHDの癖に、他人をそうやって見下して。

「一緒にするな」というのも、酷い話。

わたしみたいな人間がいるから
障碍者どうしでも、相互理解が深まらない。


普段は、
「定型」と呼ばれる人の輪にうまく入れず
足掻いているくせに

ADHDの輪にも入り切れてない
いや、入ろうとしていない。

色んな意味でギリギリの癖に
明らかなADHD者には差別をする

最悪だ・・・

不安定だけど、「ギリギリふつう」


そんな自分の居場所はどこなんだろう…?

ムリ層から這い上がったところで、
バリ層には到底到達できない。

毎日困難ばかりで、
どう転んでも人生ハードモード!

でも一見「ふつう」
だから助けてと言えない
自力で生きるしかない。

友人たちは「定型」のできる人が多いから
擬態して話を合わせてしまう

まれに調子のよい時には、サクサク
仕事ができてしまう
んで、勘違いされてしまう

でも、薬を飲んで精神を落ち着けないと
「ふつう」のフリすらできない

そんな波のある自分が、安定して
人並み程度に生きていくには?

不器用でも、居場所や自尊心を
失わずに働き続けるには?

ちょっとでも、誰かのチカラになるには?

きっと、一生問い続けることになりそう。



泥まみれですが

深呼吸して、がんばりますー・・・

いつか、
同じく泥まみれの人の居場所を作れたら

ワタシは自分をすこし、許せる気がする


ふぅ。


読んでくれてありがとう。またね☻



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