刀剣乱舞 廻 -虚伝 燃ゆる本能寺-EPISODE 4「角逐の鋼達」感想・考察

※この記事には他のメディアミックス作品のネタバレが含まれている場合があります※
※歴史などに詳しくない、舞台の虚伝を見たものの全てを覚えているわけではない、そのため考察はお粗末なものになっています※
※今後、加筆したり消したりするかもしれません※

満月の夜 山姥切国広と三日月宗近

おそらく最重要と言ってもいいこの場面
大きく3つにわけて感じたことを書いていく

心がなければ惑わない、それは検非違使と同じ?

「心というのは実に不便だ
織田にあった刀たちを見てつくづくそう思う
心がなければおもいに惑わされずに済むはずなのに」
山姥切国広はこう言っている

だが、「心がない」というのは検非違使と同じなのではないか
刀剣乱舞ONLINEの検非違使ポエムを見るに検非違使には知性がなく無感情である様子が書かれている
もしかすると検非違使側の審神者は検非違使から知性を奪う事で心を持たせないようにしているのかもしれない(知性を奪っている=心を奪っているとは限らない、そもそも知性を奪っていることも推測の域を出ていない書き方ではあるが)

心があれば確かに惑い弱くなる時もあるが、それを乗り越えることでより強くなることができるのだと思う
(野暮だが心がなければドラマもおきないしね)

付喪神の成り立ち、過去に跳び思いがめぐる

「おれたちに心があるのは物であるからではないか
お前はあの月(満月)を見て何とおもう
その美しいと思う心があの月に宿る
その心はいつぞやお前にかえってくるかもしれん
心とは森羅万象をめぐる
織田にあった刀にもお前にも託された心があり
それがめぐりめぐって繋がっていく
もしあの月が顕現したならばさぞ見事な付喪神となろう」
心がなければ惑わないのに
山姥切国広の言葉に三日月宗近は上のように返している

まずこれはまさしく、刀剣男士の成り立ちそのもの
人のおもいが刀剣に宿り、そのおもいを審神者が励起させて刀剣男士となる
そして、おもいがかえってくる
これは舞台をジョ伝まで見て感じたことだが(虚伝再演の方はまだ)、刀剣男士たちが歴史を守るために時間遡行し、その時代の人間・元主と関りを持つことで描かれるストーリーに反映されていると感じた
(本来、過去の人間に関わることは歴史改変の恐れがあるためタブーであるが)
つまりここで山姥切国広と三日月宗近が話している内容は舞台刀剣乱舞・刀剣乱舞廻の根幹であり核となるものだと思う

月を照らす光

会話の終盤
山姥切国広は三日月宗近に「近侍としてどうすればいい」かと問いかける
それに対して三日月宗近はこう返答している
「月の本来の姿は岩肌
自らの意思であの姿であることはできない
日の光に照らされてようやくあの美しい姿を成す
お前はお前を信じこの岩肌のように荒れた本丸をその心で照らしてやればよい
あの月を照らす日の光のように」

これは月が三日月宗近(と本丸)、太陽が山姥切国広という解釈でいいだろう
そしてここで第三話の冒頭、三日月宗近と始まりの五振りで日の出を見に出かけたシーンが繋がってくるくる気がする
三日月宗近が日の出を見たいと始まりの五振りを連れ出していた
大侵寇では三日月宗近を救うために始まりの五振りのいずれか一振り(おそらく多くの本丸では最初に選んだ始まりの一振りだと思うが)と共に椿寺の地に出陣することになる
まさに月を照らす日の光、ここに辿り着くように感じた
この本丸の始まりの一振りは山姥切国広だが、それぞれの本丸ではこの五振りの中のいずれか
その一振りがそれぞれの本丸の三日月宗近にとっての日の光になるのではないだろうか

四部隊対抗戦闘訓練について

四部隊全員の戦闘シーンが描かれていてよかった
始まりの五振り同士での戦闘もベタだがアツい

尺の都合などあったのだろうが結果の詳細は描かれなかった
(そもそも織田の刀たちの不和を解消することを第一の目的にしていたため、勝敗はどうでもよかったのかもしれないが)

刀剣男士についてではないが、森の各所に配置された数十体のこんのすけはこわかった
あれはこんのすけに対してどいう感情を持ってるかによって感じ方が違いそうだが(笑)
こんのすけから送られてきた情報をスクリーンにうつすと説明していたが、やはり管狐は情報系統のデバイス的な役割をはたしているように見える
でも生活インフラは旧時代的なのに電子的な部分もあるのはどういう線引きなのだろう、左文字の部屋の天井の照明とかね

第三部隊の腕章について

第三部隊の男士がつけていた腕章の刀紋は部隊長の歌仙兼定のものではなく、やはり加州清光のものに見える
他の部隊は部隊長の刀紋を腕章にしていた
特にそのことに対して言及もなかったし、第三部隊の何かしらの策というわけでもなさそうだった
そのためこれはおそらく作画ミスなのかなと思う

でもこれだけキャラクターが沢山登場して、デザインの装飾も細かいとこれくらいのミスは出てきてもおかしくない気もする
アニメの制作現場は過酷とききますし、廻のアニメが始まってから目立った男士たちの作画崩れなどはなかったはず
むしろ刀剣乱舞がこれだけの巨大なシリーズになると当時はまだ不明だった頃にあれだけのハイクオリティを維持して映画まで突き抜けた花丸がバケモノだったんじゃないかと思う
一旦の終わりと区切りをつけるのも今更ながら納得感がある
(ぜひ続きをつくって欲しいという気持ちはもちろんあるが)

その他ゆるい感想

刀剣男士たちそれぞれの様子

・手をあげて質問する前田かわいい
・愛染と蛍丸 愛染の方がでかい 明石いないのが逆に新鮮
・廻の堀川は兄弟たちと一緒にいることが多い気がする よい
・宗三に謝罪する長谷部 舞台では立場が逆なのでおもしろい
・織田の刀たちを見かけた骨喰が「長谷部たちが優先だ」と気にかけている
 今回の目的を知らされていたのかは不明だがよいシーンだった
 (前回の夕暮れ時の縁側に鶴丸が来た際、いたので知っていたのかも)

おわりに

今回も駄文を最後まで読んでくださったみなさま、ありがとうございます

4月に無料で見ることができる舞台はすべて見ました
第一話から第三話までの話で、「ここはこういうことだったのか!」という発見があったのがよかったです
時間があるときにでも第一話から第三話までの感想記事に加筆修正などしていきたいですね(いつになるやら…)
5月の無料作品は慈伝までが一区切りとなるそうなので廻が全部終わる前には見ておきたいと思いました
それでは次の記事もお付き合い頂けたら嬉しいです

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