Japanese music private exploration 『CHANCE OPERATION』
かつてはロックも聴いていたのだが、次第に他の音楽に興味を持つようになると殆ど聴かなくなった。今でこそ一回りしてまた多少は聴くようになったが、その殆ど聴かなくなった時期にもわずかに聴いていたのが日本のパンク・ニューウェーブ黎明期の諸作であった。
本作はそのシーンの中でもキーマンの一人であった"ヒゴ・ヒロシ"率いるバンドのデビューシングル(ソノシート)に続く12inch EPである。
ちなみに続く2枚組7inchではリズムボックスを利用し、ポストパンクとしてのダンスミュージックとの邂逅を先取りしたアフリカンヘッドチャージにも通じるスタイルがヤバ味で以前よりウォントリストの一つなのだが、ヤフオクでもそれなりに値が張り未だ手元には置けず。
今となっては知る人ぞ知るのかもしれないが、"ヒゴ"氏はプレパンク時代の1974年に東京ロッカーズの代表格バンド フリクションの前身 3/3参加後、77年にミラーズ結成、翌78年には日本のインディーレーベルの先駆けである「ゴジラレコーズ」を設立、そして東京ロッカーズがひと段落してミラーズ解散後の80年に始動したのがこのチャンスオペレーションであった。
その頃にはパンク・ニューウェーブも広くロックファンに認知されつつあったが、それに先んじて既に新たな表現を模索していたであろう本バンドの残された音源を聴くと、そのユニークさに惹き込まれる要素が多分にあり、自分にはそれがロックを色褪せずに耳を傾けてみようという気にさせてくれた一つの魅力であった。
東京ロッカーズとの関係はやはり語るべきだと思うが、かのコンピレーションを初めて聴いたときオープニングを飾るフリクションのインパクトが強くて、ミラーズは正直印象に残らなかった。
最近になって他のシングルや未発曲を改めて聴いてみたが、まだ誕生したばかりの音楽への手探り感や熱量からカッコ良さは感じるがやはり今から聴くと割とオーソドックスなスタイルに聴こえる。
片や、チャンスオペレーションの本作。もちろん後に登場する様々なバンドの中にもその類似性や雰囲気を感じることはあるが、ここでは野暮な話だろう。
また、後追い世代として色々見聞きする限り東京ロッカーズはひとつの出発点として熱いムーブメントだったのかなとは思うが、そこに登場した各人の本領が聴けるのもやはりその後の活動や作品からであろう。
既に9年も前になるが、ele-kingに掲載されたインタビューは全編興味深い内容で、そこでは影響が垣間見れそうなUKポストパンクやジャーマンロックからの直接的影響はなかったと語っているが、当時次第にインディーズシーンから登場したバンドらもメジャー化する様子を遠目にしながら、インタビュアーの話からも伺えるような反ディスコ派であったライブハウス派のフロアへの介入によって日本のクラブミュージックやレイブシーンが萌芽していったその胎動期にも"ヒゴ"氏がDJとしてシーンの先導役の一人として活躍していたことからしてもなんとなく頷ける話である。
その冷ややかさは、彼のみならず当時シーンで活躍した他のミュージシャンにも感じるのだが、フリクションが発したワード"COOL FOOL"に集約されているように思える。
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