FRENZ2022、終わってみて

以前書いた記事

終わってみて

なーに俺は浮ついたこと書いてたんだろうなって、思ってます。
出展5年、一般参加でも3年も間が空くと、マスクで衰えた表情筋と一緒に色々鈍るんだなと。

他ではなかなか味わえない満足感を味わえる、独特なイベントです。

https://note.com/kuroi_shin/n/nf9c8adb1cd18

満足感じゃなくて、喪失感とドス黒い何かが残るイベントが今年でした。
全作品、本当に良かった。それぞれが良かったからこそブッ刺さった。
ぶっ刺さったからこそ自分の嫌なところが浮き彫りになる。

良い作品が、どれだけ刺さっても「どうにかしてこの人に感想を伝えたい」という程の熱が、自分の中には生まれなくて、客観的に見てる自分が常にそんな自分の行動を戒めてくる。
「人にどう見られているか」をずっと気にして感想ひとつ話しかけに行けないのに、その「どう観られているのか」をちゃんと想像して自分自身を直せない自分に心底腹立たしいなと改めて思ってます。
出展者の皆さん、こんな自分がただツイッターに感想流すだけのBOTになってて、本当にごめんなさい。
今一つ熱くなれない自分の作品で、熱くなれる人がいるかと言われたら、いないでしょ?としか思えない。
学生に「自分が作ってて楽しい作品じゃなきゃ、視聴者も楽しんでくれないよ」とか偉そうなこと言ってるのに、自分が熱持ってなくてどうすんだと。

友人から今回自分が作ってた作品への感想として「100点の楽曲に100点の映像打ち返せてすごいじゃん」と言われたけど、それは100点の楽曲がなければ自分は0点しか作れないということでもあるなと。
100点の楽曲がそこにあるなら、5000兆点で打ち返せてないと、あのイベントではただ刺し殺されるだけだなと。
しかも100点の映像のうち、80点はチームのリソースを使ってのものだ。それを上手く使えてるから100点って言ってもらえてると思うけど「僕を刺殺してきた作品たちは、本当に20点分の労力だったか?」って思う。
あれだけ8月頑張ったけど、それでも自分は20点しか仕事をしてなかったのかと思い知ってしまった。

こんな記事書いてる場合じゃないけど、どこかに置いておかないと忘れてしまう。
上っ面の言葉だけでも置いておかないと、忘れてしまう。
来年こそは「会場にいないやつも、画面越しでも熱を感じるぐらいの何かを作りたい」。
僕はずっとあのコロシアムにそもそも立ててないんだということに気付かされてしまったなと。殺し合いができてるのは、コロシアムに立ててる自分以外の皆さんだ。
まだ足りない。お金も時間も技術も知識もスキルも足りない。
もっと観ます。もっと考えます。もっと作ります。
僕は何もないただの一般人だから、もっと何かに執着しないと作れないんだなと。

だからこそ、また来年、殴り合い地下で。