名馬の記憶 (クロフネ)

これは個人的な記憶と見解だけで話します。
なので多分に間違いもあると思いますが悪しからず。
暇潰しにどうぞ。
第一回目はもちろんこの馬。

クロフネ

早いものでもう20年近くも前の馬になるんですね。
現在競馬を見てる方では現役時代を知らない方の方がもしかしたら多いのかも知れません。
種牡馬としては今でも良く名前を目にすると思います。

この馬は名前のイメージと違って実は芦毛なんです。(白い毛並み)
なぜそんな馬にこの名前がついたか?
実は昔の日本ダービーは外国馬は出走出来なかったんです。(いわゆる鎖国ダービー)
この年初めて外国馬に日本ダービーへの出走権が与えられたんです。(それでも条件付き)
あの黒船ペリーが日本を開国しに来たのとダブらせる様に、そしてユーモアを交えてこの白い馬は【クロフネ】と名付けられました。

デビュー戦は秋の京都の芝で距離は1600㍍か2000㍍やったと思います。
500㎏を越える馬体は名前のイメージ通り筋肉の鎧を纏ってる様で圧巻でした。(少し太め残りあり)

レースは直線だけしか覚えてませんがスパートを開始した所で前をカットされる不利。
立て直して加速するもエンジンが掛かった所でゴール。2着でした。
馬体的にも加速するまでに時間が掛かるタイプなので致命的な不利は間違いなかったです。
負けて強しの内容通り直後の2戦目の未勝利では圧倒的人気に応えて楽勝のレース内容。
そして12月の阪神2000㍍(当時500万下)エリカ賞。
出世レースでもあるこのレースを3馬身差でレコード付きの余裕の勝利。
その圧巻ぶりからダービー候補に名乗り出ました。
そして暮れの阪神ラジオたんぱ杯3歳S。(現在の2歳G1 ホープフルS的な位置)(かなりの出世レース)

ここでも圧倒的1番人気を背負って、レースも楽勝!となるはずでしたがよもやの3着。
ここで先着を許した2頭が、後の無敗で皐月賞を勝って引退する、アグネスタキオン。
そしてジャングルポケットです。
クロフネが負けるとは思ってませんでしたが、当時調教師も7分程度の出来、これで勝てると思ってたと言っていました。
その言葉の期待を胸に4歳の初戦(現在の3歳)クロフネ陣営が選んだのは毎日杯、NHK マイル、日本ダービーと言うローテーションでした。
そうです。外国馬は皐月賞には出走する事が叶わない。
そしてダービーに出るのはNHK マイルの勝利が条件なんです。
今ほど全てが整備されてる訳ではなく今思えば過酷なローテーションとも思います。
しかしその初戦毎日杯で圧巻のパフォーマンスを披露します。
スタートを普通に出て好位につけると何もせず2着馬コイントスに5馬身差さらに5馬身差で3着馬。
そしてタイムは1.58.6やった気がします。
この時のレコードタイムが1.58.3。しかも秋の絶好馬場での古馬が叩き出したタイムに春の3歳馬が何もせず0.3差!
かなり衝撃的やったのを記憶してます。
そして何よりその雄大な馬格から出る他馬とはまるで違う完歩の大きさに驚きました。
だからこそ暮れに先着を許した2頭との勝負はまだついてない!とも思い期待が膨らみました。

そして迎えたNHKマイル。
2着以内が絶対条件ですが中2週での大一番日本ダービーに向けてどれだけ余力残しで勝てるか?という内容のレース。
しかしクロフネに取っては厳しいレースになります。
久しぶりのスピード勝負で前半の位置は普段より後ろ。しかもレースは逃げ先行馬が残る展開で直線では絶望的な位置取り。
これは負ける!と思った人も多かったと思います。
が、クロフネの力は圧倒的でした。
ただ1頭次元の違う脚で差し切るのです。
そして日本ダービーへの道をこじ開けました。

迎えたダービー。
宿敵アグネスタキオンは直前で怪我を発症し引退してしまい再戦は叶いませんでしたが、ジャングルポケットとのリベンジマッチ。
雨上がりの重馬場。

1番人気はジャングルポケット、僅差で2番人気クロフネでした。

結果は1着ジャングルポケット。
クロフネは5着でした。
初めてクロフネがもがいた走りを記憶してます。
勝ちを確信して且つ応援してたのでとても悔しかったです。

休養を挟み秋に復帰したクロフネが目指したのは菊花賞ではなく天皇賞秋。
(距離か出走資格がなかったかは忘れました。)
但しここでも外国馬は賞金順で2頭までという条件付き。
その叩き台として使った神戸新聞杯では3着。
折り合いに苦労してたのを記憶してますが早熟やったんかな?という不安が残る内容でした。

そして迎える天皇賞。
前週まで賞金順で2番目!出れる!
という喜びから一変。
急遽アグネスデジタルが参戦を表明。
クロフネは出走資格を失いました。
(この時はめちゃくちゃデジタルの陣営を恨みました💦)
がそのアグネスデジタルが無敵のテイエムオペラオーを破って勝利します。
それはそれで少し報われました💦

道を塞がれたクロフネ陣営が決断したのは天皇賞前日の武蔵野Sです。
そうあのG3でダート戦の武蔵野Sです。

クロフネを語る中でこのレースと次のG1 ジャパンカップダート(現在のチャンピオンズカップ)はたぶん話すまでもないと思うほどレースを見た人の記憶に残ってると思います。

武蔵野S
ここでも抜けた1番人気に押されたクロフネが見せた走りは衝撃以外ありませんでした。
レースは1600mでもちろん違いますが、当時1000mのレコード保持者で圧倒的スピードを誇るサウスヴィグラス(産駒の短距離ダート成績も抜群)相手に1000m時点で何もせず並び掛けるという絶対的スピードの違い。そして2着ダートG1 馬イーグルカフェに何もせずつけた着差が9馬身。
1.33.3というダートではあり得ないレコードつき。
ここで言っておきたいのはこのタイムが20年破られてないのと、これが良馬場やという事。
(ダートのレコードはほぼ重馬場か不良馬場です。)

そしてその走りから次走ジャパンカップダートでは圧倒的1番人気。
2番人気に押されたのはダートの本場アメリカから参戦の当時アメリカ最強馬リドパレス。(やったと思います。)
この時の鞍上武豊騎手のレース振りは忘れません。
東京ダートの長距離ではあり得ない3角からの超ロングスパート笑
間違いなく負ける事はないと思ったレースぶりでした。
それに応えるべく着けた着差はG1 で7馬身。
もちろん未だ破られなき2.05.9のレコードつき。
2着馬はそれまで日本ダートでトップのウイングアロー。しかもウイングアローは前年の勝ち馬でその時と同じタイムで走ってます。

誰もが翌年参戦を表明してるドバイワールドカップをこの馬なら初めて日本馬が勝てると思ったと思います。(ドバイの馬場的にも芝、ダートどちらもこなせる馬が合ってる。)

しかし怪我で引退を表明。

ここから日本馬がドバイを勝つのに10年かかりました。
タラレバは禁物ですがもし出てたなら!と誰もが思う馬やったと思いますしこの馬の衝撃は凄まじかったです。

今でも私の中でクロフネ以上のダート馬はいないと確信してます。

あの筋肉の鎧を纏った馬体は忘れもしません。

以上でクロフネの個人的な話しは終わります。
長々と失礼しました。

補足
クロフネ産駒は芝で短距離、短縮こそが狙い目ですよー😊

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