ナミノハザマ

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彼女の心は澄んだ空のように晴れ渡っていた。

突如その姿を現した世界最高峰の狂気山脈。神々が坐するかのようなその峰々からの帰還の最中、彼女の心は自分で想像していたよりも軽くなっていた。

半ば生存を諦めていた友人の姿を目にすることが出来たからなのか、それとも新たな宿り木となる存在を見つけたことに喜びを見出していたからなのか……。

体も気力も削がれている筈なのに、彼女の足取りは軽く、下山してからの未来を考える程の余裕すらあった。

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しかし彼女の脳裏には、不思議な映像がフラッシュバックしていた。

それが自分の過去の経験なのか、それとも想像なのか、それとも不思議な力が見せているのかは見当もつかないが。

自分が登山家として参加した狂気山脈。

登頂を目指す登山隊と、自分以外の数名の隊員の姿……。

ブリザードに見舞われ動くことも叶わぬ中で狂気に侵されていく仲間達。

未確認生命体を一心不乱に追う者、過去の登山隊に所属した隊員に纏わる物を探す者、自分の探求心に忠実な者……そして過去の遺物に心酔する者。

あれは本当に起こった出来事なのか、それとも……。

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「大丈夫?モノエちゃん」

声を掛けられハッとした。

そうだ、自分は下山途中ではないか。

今まで共にあることで安心することが出来ていた友人を失い、心のバランスを崩しかけていたけれど。

自分に手を伸ばしてくれた新たな支えがココにいるではないか。

失った友人の為にも、新たな支えの為にも、私は必ず下山しなければならない……。

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そんな彼女は無事に下山を果たす。

しかし『ソレら』が彼女を手放す筈が無かった。

彼女は下山から数日の間、消息を絶ったのだ。

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これは現か幻か……。

脳外科医を名乗る妙齢の男性が語り掛けてくる。

『キミのカラダを〇〇〇にくれないか』

正直、悩んだ。

けれど、心を痛め動かされたのは確かだ。

いくつかの約束を交わした。

それを彼が守るかどうかは分からない。

しかし、これまで重ねてきた会話の中で、彼自身も苦渋の決断だったのだと私に伝わってきたことも間違いではないと思う。

真っ直ぐに男性を見つめれば、彼は嬉しそうとも悲しそうとも思える表情を浮かべた。

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弾かれた様に目を開くと、どうやら眠ってしまっていたみたいだ。

周りの様子を見渡せば見慣れた自室。

さっきの妙齢の男性は夢だったのだろうか……それとも現実だったのだろうか……。

夢だと言い切るにはやけに現実的で、けれど現実だと言い切るにはやけに現実感が薄い……だって、自分のカラダを他人に与えるなんて。

きっと夢だったんだろう。

ベッドの上で横になっていた体を起こせば、そのカラダは間違いなく自分のモノに感じるし、違和感も無い……が、多少の頭痛と倦怠感が残っていることに気付いた。

あの山脈から戻って数日は経過しているから、その疲労でも残っていたのか……そう思いながら頭痛の残るこめかみを擦り、ベッドサイドのテーブルに手を伸ばしてスマホの通知を確認した。

「……え?」

そこには、友人達からのメッセージ通知やSNS通知の他に、あまりに現実離れしたニュースが速報で表示されていた。

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【速報】都庁占領、テロの可能性。突如現れた強力な磁場との関係性。

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この平和な日本で都庁が占領されるようなテロなんて起きるのか……そう思いながら速報ニュースをタップし画面に表示させてみれば、期待を裏切るには十分な画像が表示された。

上部が破壊された都庁、その崩れた部分を覆っている黒い雲、その黒い雲を守るかのように伸びた黒い触手のような物体……そして天辺に輝く妖しい赤い光。

ニュースをスクロールしてみると、どうやらLIVE映像と思われるリンクが貼られていて、どういうことなのか気になった私はそのリンクをタップした。

「……どういう、こと」

中継をしているアナウンサーが、事件のあらましを説明している。

突如として都庁の上部が爆発するかのように崩れたこと、火災が起こっていないことから爆薬の類が使用された爆発ではないということ、崩れた部分を覆い隠すかのように黒い雲が濃くなっていっていること、それと共に触手のような謎の黒い物体が現れ始めたこと。

でも、私にとって報じている内容はどうでもよかった。

アナウンサーが映る画面の奥の方、野次馬が集まっている辺りが目に入ってから、冷や汗が止まらない。

野次馬が各々手に持っているスマホ……都庁に向けて動画を撮る者、自撮りをする者、誰かと話す者とそれぞれ思うままに行動しているのだが……そのスマホが問題なのだ。

「どうして、報じない、んだ」

沢山の野次馬が手にしているスマホから、黒い粒のようなものがポッと生まれては黒い雲に吸い寄せられていく。それも、一度限りでは無く何度でも生まれては吸い寄せられ黒い雲に吸収されていく。

「……ま、さか」

あの場にいる誰もが気付いていないのか。

あの場にいる誰もが見えてすらいないのか。

スマホから生まれる黒い粒が増えていく度に、黒い雲がどんどん大きくなっていっているというのに……。

あの黒い粒は何なのか、どうして黒い雲に吸い寄せられていくのか、どうして黒い雲に覆われているのか、黒い雲を守る触手は何なのか。

分からないことだらけで理解可能な域を超えたその映像を眺めながら、冷や汗が止まらないどころか体も小刻みに震えてきた……その時。

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ザザッ、と。

持っていたスマホの画面が砂嵐に侵され。

次の瞬間、画面に表示されたソコに映っていたのは……

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見慣れた姿だった。

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「……え」

間違えたりしない。

『ソレ』は、『ワタシ』だ。

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崩れた壁、剥き出しの鉄柱、画面の周りに映る黒い粒と、『ソレ』を守るかのように蠢く触手。

言葉を発することが出来ず、画面から目を離すことも出来ずにいると、画面に映っている『ソレ』は、青白い光を発しながら微笑んだ。

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『やっと約束が果たせたね』

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その言葉を聞いた瞬間、走馬灯のように頭の中を映像が駆け巡る。

脳外科医を名乗る妙齢の男性。

雷に撃たれて運ばれたと言われ横たわっていた手術室。

壁越しに会話を重ねて仲良くなった存在。

動けるようになって訪れた扉の向こう側。

そして自分にかけられたあの言葉……

『キミのカラダを〇〇〇にくれないか』

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「あ、あ……」

『やっと、会えた』

「な、なん、で」

『キミがくれたこのカラダ、すごく素敵なんだ』

「え、なん、で」

『キミの記憶も残ってたんだ、だからボクはキミの望みを叶えてあげる』

「いや、なに、を」

『だって、世界を磁気の波で満たす、って』

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まるでテレパシーのように頭に流れ込んできた画像……。

それは、目の前の『ソレ』が、何かの研究所の様な場所を破壊し、月の光にひとり照らされている場面。

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『私(オマエ)が望んだ世界だろう?』

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ニコリと微笑む『ソレ』は、ワタシ……

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どれだけの時間、そうしていたのだろうか。

気が付けばスマホの表示はいつも通りで、SNSのタイムラインも騒がしいし、メッセージの通知も増えている。

さっきのニュースをクリックすれば、やっぱり黒い粒には触れてないし、これからを案じる声も上がっているけれど、ニュース自体がフェイクなんじゃないかという話題も出始めていた。

外国からのテロ予測とか、だったら政治家なんとかしろとか、こんな時に使える政治家なんていないとか、それぞれ好き勝手言い放題でみんなが他人事に考えてることも窺い知れた。

ネットはいつも通り、善意と悪意で溢れている。

あの黒い粒はもしかしたら、ネットに溢れた悪意を磁力に変えたもので、あの子はソレを自分の力にして集めてるんじゃないか……なんて、現実感の薄い想像が頭に浮かんできた。

全力で5000m走をさせられたみたいな倦怠感と脱力感が全身を襲っているし、冷や汗も止まらないし体の震えも止まっていない。まるで得体の知れない怪物を目の前で見てしまったような感覚だ。

もし私の想像が正しくて、カラダのこの反応が正常なのだとしたら……あの子はとんだ化け物になってしまったことになる。そんな化け物を私が止めることが出来るのか。

けれど……このままにしておくわけにはいかない。

でも、誰がこの黒い粒とあの子の存在に気付いてるっていうんだ、ネットの話題に上がってないってことは、気付いてる奴もいないってことだよな……。

それに、私は……

そんなつもりであの子に自分のカラダをあげたわけじゃない。

「……行く、しか、ない、かぁぁぁ!!」

あの脳外科医のくそじじぃ!!

次に会ったら一発くらいブン殴ってやる!!

腹を決めた私は、いつものリュックに必要そうな物を詰め込んだ。役に立つかは分からないけれど、いつも飲んでる大好きな銘柄の酒もひとつ放り込んだ。

そして、先に逝ってしまったあの子がくれた、勝負所では絶対に欠かせないジャミラ牛のキーホルダーもリュックに下げた。

「さぁて!……行くっきゃないかぁ!」

外は快晴、旅立ちには良いコンディションだ。


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