ナミノハザマ Ⅱ

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「ふんふ~ん♪」

おおよそ円柱状の空間。

その木造りの空間は、まるで隠れ家のようにも見え、暖かな空気が流れている。

家主のお気に入りばかりが集められているのか、可愛らしい小物たちが棚の上や中を埋め、ふかふかのベッドは寝心地が良さそうだ。

アンティークなもの、スチームパンクとも思えるもの、カラフルなものが集められている室内は不思議な程に調和し、居心地の良さすら感じられる。

円柱状の壁に沿うように作られた階段から上階の存在が認められるが、恐らくはそこにも家主のお気に入りが所狭しと置かれているのだろう。

「ふんふ~ん♪」

聞こえてくる鼻歌は高く可愛らしく、男の子とも女の子とも思えるもので、そのリラックスしている雰囲気からは鼻歌を発している者がこの場所の家主であろうことが窺えた。

ご機嫌なのだろう、楽しそうだ。

ギィ、と扉の開く音が聞こえると共に、コツコツと室内に靴音が響くが、鼻歌の主はその靴音に気を留める様子も無い。

「やぁ、順調かね」

鼻歌の主に掛けられたその声は、声色から初老の男性であるということが認められ、その気軽さから鼻歌の主とも親し気であることが伝わってくる。

コツコツと響く足音が止まると同時に鼻歌も止まり、小さく笑ったような空気の振動が室内に伝わる。

「やみ~、順調だよぉ」

「おぉ、そうかね」

「これも先生のお陰かな~」

「私の?」

「うん、だって楽しいし~」

「そうか、役立てているなら良かったよ」

「うん!だって先生の持ってる技術のお陰で、ボクの理想が現実になっていってるんだしさ~」

「はははっ、本当に楽しそうだね」

「うん!だって今までは絵本の中の世界なだけだったんだもん、それが現実になったら嬉しいに決まってるじゃ~ん」

「はははっ、そうかい」

「先生の息子さんのお陰でさ?この世界に磁気の波も満ちてってるし~、その磁気の波を使えば~、ボクの理想で世界が埋まるし~」

「キミの作る世界は、本当に居心地が良いからね」

「そうすれば~、世界も平和になるでしょ~?……現実が全然違うモノだとしても、み~んな気付かない!」

「はははっ、そうだね」

「それに~、もし現実が見えてる人達がいたら~、先生がいっぱい作ったアレが何とかしてくれるんでしょ?」

「うん、そうだね」

「そろそろ続き描かなきゃ~、今はソトノセカイを描いてるんだ!森の中で暮らしたいって思ってるからお家の周りを描かなきゃ!山も欲しいし!じゃあね先生!」

「おぉ、そうか、邪魔したね」

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パタン、と扉が閉まる音。

そしてコツコツと響く足音。

閉まった扉は、先程まで居た木造りの空間とは全く異なる鉄製で、おおよそ居心地の良い空間があったとは思えないものだ。

規則的に並んだ扉と規則的に並んだ蛍光灯。

照らされているのは真っ白な世界で、まるで研究所のようだ。

長く伸びた廊下のような場所を歩きながら、初老の男性は自身の白髪をモシャモシャとかき混ぜる。


確かにあの子の造る世界は素敵なモノだ……美しい景色と美しい空気、澄んだ水と柔らかな鳥のさえずり、木々の揺らめきとその葉で身を休めるてんとう虫……あの世界でゆっくり生きていけたなら、どんなに素晴らしいか。

あんなにも苦しんできた息子が、こんなに美しい世界で生きていけたら……せっかく体を得たのだから、キタナイモノに触れさせることなく、美しい世界で生きて欲しいと思って……そう考えて、何が悪い。

これまで沢山の実験を繰り返した。

これまで沢山の人間の考え方に触れてきた。

これまで沢山の人間の脳をダメにしてしまった。

これまで沢山の……。


「……私は医者だというのに、随分と非人道的行為に慣れてしまったものだな……だが、もう……」

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『沢山の脳をダメにしてしまったのならば、その代わりになるモノを入れてやれば良いのだよ……我々には、その技術がある』

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息子の為ならば何でもやると心に決めていた。

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『息子をキタナイモノに触れさせたくないのならば、キタナイモノの無い世界を作ればいい。そして脳がダメになった被検体を守護者として蘇らせてやればいい』

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あの悪魔の囁きに納得したのは私自身だ。

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『あの体に人間の顔が乗っているから罪悪感が湧くというのなら、人間の顔を変えることなど造作もないことだ。いっそのこと凡そ人間らしくないモノを載せてやれば良いだろう?』

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ピピツ、ピピッ。

胸ポケットに収めていた端末から通知音が流れ、それを取り出し画面に視線を落とす。

『蛇崩先生、時間です』

表示された文字に、初老の男性は溜息を漏らす。

そう言えば時間になったら連絡するよう彼にお願いしていたんだった……私としたことが忘れていた。

過去の被検体達のメンテナンスの時間だ。あの時間ばかりは苦手だ。彼らと向き合った時間が頭を過る度に、悲しみとも慈しみとも思える複雑極まりない感情が胸を掠める。

しかし、そろそろ彼女が気付く頃だと「あの子」も言っていたから、なるべく多くの被検体をメンテナンスしなければならない。

「それが私の決めた道だ……」

胸ポケットに収めた端末に下げられたジャミラ牛のキーホルダーがカチャリと音を立てた。



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