見出し画像

美的センスの現れるポスターとスライド

 こんにちは、黒都茶々と申します。
 現在は定職(not研究職)についておりますが、かつて大学院の博士課程というものに在籍しておりました。博士課程に対する考えや、在籍中に感じたことなどを細々と書いています。

 今回は、ポスターとスライドについて書いてみたいと思います。ポスターってなんぞや? という人もいらっしゃるかもしれませんので、そのあたりから書きますね。

学会発表は口頭とポスター

 いつぞやの学会発表紹介記事の中でも書きましたが、研究者たちが同じ研究分野の研究者たちと交流する「学会」という会合が、年に1回くらい開かれます。そこでは、それぞれ研究者が自分の研究について発表するわけですが、この研究発表、大きく分けると「口頭発表」と「ポスター発表」があります。

口頭発表=パワーポイントなどで実験結果を上映しながら、聴衆あてに講演。質疑応答は必ず最後に設けられている。質疑応答する人は前もって分からないので、なんかよくわからんおじいちゃんが質問してきたな、と思ったら大御所の先生だったなんてこともある(心臓に悪い)。
 枕詞で、「この分野に詳しくないので、基礎的な質問になって恐縮ですが…」とか、「私が聞き逃してしまったようなので教えていただきたいのですが…」とか遜りつつ厳しい質問をしてくる場合が多いので、こういうワードを聞くと発表者は背筋が凍ります。

ポスター発表=広い会場に、つい立てみたいな壁を設置して、ポスター(研究の内容を1枚の大きな紙に印刷したもの)をそこに張り出す形式。学会の会期を通じてポスターは貼り出されている場合が多い。気になる口頭発表のセッションが無いときに、自由に見に行くことができる。特別に設けられた「ポスターセッションの時間」は、発表者はポスターの前に立っておいて、質問を受ける。場所の番号の偶数、奇数で、交替制になっている。

スライド・ポスター作製に対する研究者の熱意

 ポスターもスライドも、基本的には発表者が作ります。スライドの場合はパワーポイントが、ポスターの場合はイラストレーターがよく使われるソフトでした。(イラストレーターは少し使うのにコツがいるので、パワーポイントで作っているところもあったようですが。)
 ラボによっては、スライドのテンプレート(使うフォントとか、テーマカラーとか、イントロで必ず使う図とか)がばっちりがっちり決まっているところもありますが、比較的自由に作れるところも多いかと思います。そこまでがっちり決まっていなくても、ラボカラーというのは微妙にあって、文字がいっぱい書かれているとか、紙芝居のごとく絵と図を多用するとか、アニメーションは絶対に使わせないとか、そういう雰囲気はそれぞれのラボにありましたね。(卒論発表会とかだと、すごくよくわかる。多分、指導者の手が結構入っているからだと思います。)

 私は通算3人の先生の指導を受けていましたが、それぞれ発表にかける情熱というか、指導方法は違いましたね。
 一番初めに指導を受けた先生は、フォント、行間、図の大きさまで事細かく指定してくる先生でした。それに従って資料を作成すると、自分のオリジナリティは全く残らない、というものでしたが、スライドを作る上での考え方(見やすさや喋る人の説明のしやすさを重視してスライドを作ること)について学ぶことができたので、一番初めの指導としてはまぁ良かったのかなと今は考えています。(すぐに、この指導のされ方では自分の成長に繋がらないと思ったし、何より全てをコントロールされるのに強いストレスを感じて指導者を変えましたが。)
 次に指導を受けた先生は、フォントや文字の大きさについて具体的に指示することはありませんでしたが、とにかく「紙芝居」みたいな説明をさせるのが好きな先生でした。図を多用し、できるだけ文字は少なく。先生のオーダーに従うと、まぁ大体紙芝居になっていました。多分、私の所属していた研究科であまり馴染みのない実験方法をメインにしていたので、例え学内の説明でもそれくらい気合入れないと誰にも理解されない、ということが分かっていたんでしょうね。この先生のやり方も、今となっては丁寧で良かったのかなと思います。リクエストに応えるのは大変でしたけどね。
 最後に指導を受けた先生は、自由な指導の先生だったので、スライドやポスター作製に関しても「間違っていなければOK」みたいなスタンスでした。前2人の先生のご指導のおかげで、ポスターやスライドの作成方法が大体分かっていた私にはありがたい姿勢でした。はじめからこの先生の指導を受けると大変だったかもしれないですけど、この先生の指導のもと優秀な先輩方はごろごろ卒業されてますし、学生間での教えあいみたいなものも多かったみたいなので、それはそれで良いのかも。この先生の研究に対する姿勢としては、「研究の中身が面白ければ、聴衆は聞いてくれる」というものが芯にあった気がします。それもそれで、間違ってはいない。

明らかにセンスがない人もいる

 先生たちの指導が入るので、ラボの外に発表できる段階では、程度はどうあれ整ったスライド・ポスターになるわけですが、学生それぞれが初稿を出してきた時点ではかなりクオリティに差があります。それはもう、面白いほどに。

 私の同期の話ですが、彼は本当にポスターを作るセンスがなくて、タイトルの文字が恐ろしく小さかったり、写真の後ろに文字が配置されていたり(当然読めないが、一部見えたりする)、図と説明文が無駄に離れていたりしました。もう、間違い探しというかおかしいところ探しに夢中になってしまって、研究の内容が全く頭に入ってこないレベル。
 もちろん、ふざけているわけではないので彼もかわいそうなんですが、「文字の大きさが揃っていないと気持ち悪い」とか「この写真は何を示しているか分かりにくいから図が欲しいな」とか、そういうのを無意識レベルでできない人にはポスター作り、スライド作りはかなり苦行だったのではないかと思います。なんとなく端が揃っていると落ち着く、とかね、そういうのを言語化して意図的にやらねばならないとなると、大変ですよね。

 中身がないのに資料ばかり美しいのもなんだかなと思いますが、成果があるのに資料が見にくいってのももったいない話だな、と個人的には思っているところ。
 ポスターもスライドも、ラボカラーと個人の趣味がにじみ出ていて面白いですよ。

 以上、「美的センスの現れるポスターとスライド」をお届けしました。私は割と、センスのいい方だったと自負しておりますよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?