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大学の先生たち① ~先生たちはただの研究者である~

こんにちは、黒都茶々と申します。
現在は定職(not研究職)についておりますが、かつて大学院の博士課程というものに在籍しておりました。
前回は大学院の友達大切だよ~、というとても個人的なメッセージを発信しましたが、今回はラボ生活を左右する大学の先生たちについて紹介したいと思います。

盛大な勘違い:先生たちは教育者ではないという事実

大学の先生(教授、准教授、講師、助教…)は、教育者ではないのです、知っていましたか? 当たり前かな、どうなんだろう…? まあ、立場としては学生を教育する立場にあるのかもしれないけれど、この人たち、教育する立場になるための教育を受けていませんからね。もしかしたら大学独自でそういうレクチャーとかあるのかもしれないけれど、少なくとも、教員採用試験のような試験があるわけでもなければ、個々の先生たちが「教育したい!研究者を育てたい!」というモチベーションで大学教員やってるわけじゃないんです。

何を今更、なことを言いますと、彼ら彼女らは、「研究がしたい」から大学で研究者やってるんです。でも、大学だから教育活動をしなきゃならなくて、授業やら指導やらはおまけとしてやっているわけです。先生たちにとっても、教育活動は本業じゃありませんよと言いたいところなのではないでしょうか。明らかに教えるの下手でやる気ない人いるもんね。(授業で教えるの好きな先生とか、いないわけじゃないけど。)

ところが!です。大学生からすると、大学の先生たちも「先生」なのです。小学校、中学校、高校と、それまでに出会った「先生」というものは若人を成長させるために手を尽くしてくれる存在でした。そのような環境で育ってきた大学生にとっては、大学の「先生」は、自身が成長するためのヒントをくれるはずの存在なんですよ。(←これは盛大な勘違い。)

少なくとも、ラボに配属されるまではそんな感じのスタンスで問題はないかもしれないけれど、ラボに配属された途端、「あ、この人教育者じゃないや」と否応なしに気づかされることになるのです。マイルドに気づくのならまだしも、酷い裏切りとともに気づかされる羽目になる可能性もありますので、大学院生及び大学院進学予定の大学生は心の準備をしておいてね。

教育者ではないのならば大学の先生はなんなんだ

答え:研究者です。(タイトル回収)

そして、大学生・大学院生は先生たちにとってなんなんだ、というと、良くて弟子、悪くて無償の労働力です。弟子というとなんだか教育してくれそうな雰囲気がしますが、関係性としては親方と弟子、「俺の背を見て技を盗みな!」みたいな昔気質な伝達方法しか使われません。どうしてこんな伝達法しかできないかって、そりゃ、その先生たちもそうやってしか教えられてこなかったからです。教えられたことがないから、自分も教えることができない、という、当然の流れです。

でも、そういう伝達方法で、今の教授たちは教授にまでなれたんでしょ?と思うと、そうそう悪い手法でもないのかな、という気にもなりますよね。

思うに、昔はそれでも良かったのです。今ほど研究スピードは速くなかったし、競争ものんびりしていたでしょう。(だって郵送で論文投稿していた時代だよ?)

親方と弟子の関係性は、その牧歌的な時代においてはいい方法だったと思います。研究は教科書のように手法が体系化されているものではありませんし、試行錯誤を通して理解し成長する部分があるのは認めます。ただし、時代は変わってきているんです。学会発表で遺伝子名やタンパク質名を出したら、コンペティターがその分子に注目して先越されたりしちゃうんですよ。スピードが求められる時代なのでございます。意味のない試行錯誤しちゃってたり、打つ手を考えることができずに手が動いていない院生がいたら、アドバイスしてあげないと先に進めないし、下手すれば発表内容盗られたりメンタルやられて再起不能になっちゃうから。

特に、退官間近の大御所とかはこういうスタイルの人が多いと思う。時代のスピードにまるでついていけてなくて、過去の栄光にしがみついて教授の席に居座っているような人。そして、上で述べたような状況になってしまったときに、責任をすべて院生本人に帰属させるような人。

対処方法は?

ありません。教授に変化を求めるのは間違っています。三つ子の魂100までではありませんが、教授クラスになると頭が相当固くプライドも高いので、教育()スタイルが変わることはありません。

もし望みがあるとすれば、助教や准教授で比較的若い人にサポートを頼むことかなという気がします。ポスドクでもいいかもしれない。研究で行き詰まったら、こまめに相談することです。ただし、なにで困っているのか、自分が考えつく解決策はなんなのか、手短に体系立てて話さないといけません。いかんせん助教もポスドクも今やパーマネントではなく、自分たちの成果を上げるために必死ですからね。そして、研究実績が(教授に比べれば)短い人に相談するということは、的外れなアドバイスをもらってしまうという可能性も頭に入れておかないといけないです。(教授だってたまに頭悪いとして思えない実験提案してくるけどな。)結局は、自分の頭で考えることが必要ということですね。

もしもメンタル面で不安があれば、学校が提供しているメンタルケアサービスを遠慮なく受けるべきです。負けでもなんでもないし、恥ずかしいことでもないです。誰も味方がいない状態で戦っていくのだから、使えるサポートは全力で利用してください。

以上、「大学の先生たち① ~先生たちはただの研究者である~」をお届けしました。①があるということは、②があるということです。

次回は、「大学の先生たち② ~学生は無償の労働力~」をお届けします。今回は大学院生を弟子として見ている教授について書きましたが、次回は無償の労働力として見ている教授について書きたいと思います。

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