見出し画像

博士課程大学院生の本分は研究ですよという当たり前の話。

 タイトルが私の主張です。でも、この主張って時代遅れなんでしょうか? どうかな?(本当に分からない。)

 こんにちは、黒都茶々と申します。元博士課程大学院生で、満期修了したあと論文書いて学位とりました。今の仕事は公務員。全然研究のことは関係ない仕事をしています。

 noteを始めたのは、大学院生時代の生活について情報提供しようと思ったからなんですが、今日はちょっと、博士課程に進学する目的について書いてみたいと思います。

同窓会に参加して、博士課程に求めるものを改めて考えた

 そもそも、なんでこんなこと書こうと思ったかと言いますと、ちょっと大学の同窓会的なものに出席いたしまして、そこで私があまりにもマイノリティだったので悔しく思った…というか、モヤってしまったんですよ。で、その場では空気を乱すのもなんだなと思って発言せず(言うて私もチキンだからさ)、ここで吐き出させていただくわけです。

 まず、状況からご説明を。
 うちの大学は博士課程出身の人たちに、研究者以外の仕事に就けるようにサポートしてくれる支援室があります。博士課程に進学した学生は、一般企業へ就職するのはなかなか厳しい状況です。ひとつの問題としては、企業サイドが博士課程の学生を重要視していないというのがあるのですが、学生側にも問題がありまして、就職活動の方法が分からなかったり、博士であるということをうまくアピールできなかったりするんですよね。
 この支援室では、企業側に働きかけてくれるだけではなく、一般企業に就職しようとする学生をサポートしてくれます。私はあんまりここのサポートは受けなかったんですが(相談は行ったけど、公務員試験は勝手に受けて勝手に内定取ってきた)、そこの先生が良い先生なので、卒業後もなにか機会があると連絡をもらったりしていました。

 事の発端は去年の話。その就職支援室の先生から、セミナーをするので講師として喋ってくれないかとお願いされました。そのセミナーは、博士課程を卒業して、アカデミア以外の仕事に就いた人が講師となり、学部生や大学院生を対象に、在学中のことや仕事のことについてお話をするというものです。博士課程に進学して一般企業に勤めている人は沢山いるらしいのですが、公務員やってる人はあまりいないみたいなので、スピーカーのバラエティを増やすために今回お声がけいただいたようです。ありがたや。

 もちろん私は二つ返事で引き受けまして、セミナーの講師をさせていただきました。あまり参考になるお話ができた気はしませんが、まぁそれは良いとしましょう。

 で、ここから本論に近づきます。そのセミナーですが、私以外にも講師として呼ばれた人たちがいました。起業して会社を経営している人とか、化学メーカーで働いている人とか、海外の人道支援団体でボランティアしている人とか、まぁなんというか煌びやかな経歴の方々です。

 セミナーが終わった後に、講師として喋った人たちで歓談する機会を設けていただけていて、そこでちょっと卒業生の方々とお話させてもらいました。同じ大学出身で、卒業年もそこまで大きな違いはない人たちなのですが、学部やキャンパスが違うので完全に初対面です。共通点は博士課程に在籍していたというだけ。

 あ、前情報が不足していたので追記させていただきますが、この会の講師たちは、博士号取得者で、アカデミア以外で働いていて、かつ、「リーディング大学院の卒業生」という共通点があります。
 リーディング大学院というのが何ぞやというのは、文科省のサイトを見ていただければ正式なものはわかりますし、私の過去記事見ていただければ当事者目線の評価もしておりますので、もしよろしければどうぞ。
 リーディング大学院というものをざっくり言ってしまうと、小泉政権下でポスドク1万人計画が達成された後、博士課程出身者が職にあぶれる事態が発生したので、博士たちもアカデミア以外のとこに就職しようぜ!というのを後押しをするために、+αの付加価値をつけてあげようというプログラム。修了するためには英語の授業受けたりセミナー企画したり海外いったりいろいろ面倒な修了要件を満たさないといけません(それはプログラムによってさまざま)。
知名度低すぎで就職に有利にもなったりしないプログラムではありますが、出張の費用出してくれたり修士の学生にも金銭支援があったりするのはありがたかったです。

 その、リーディング大学院出身者が集まり、手探りの歓談スタート。共通の話題がほぼないので、仕事の話とかリーディング大学院の話とかになるのは目に見えています。

研究だけできても仕方がないという雰囲気?

 まぁ、全員リーディング大学院出身なわけなので、結構リーディング大学院という制度に肯定的な意見がでてきました。あるプログラムでは、起業(本当にするのか練習なのか知らないけど)することが必須だったみたいで、そのときの計画の仕方とか事業のコンセプトの決め方とかが、すごく今の仕事に役に立っていると言っていました。他のプログラムでは、授業が全部英語で、海外の大学院と連携してなんぞプロジェクトをやっていたりしたらしい。まあすごい。

 私の所属していたプログラムは、他のプログラムのように研究とは無関係なことはほとんど求めず、普段のラボの研究からちょっと派生するようなタスクばかりでした。なので、他のプログラムの話聞いていると、「え、あんたらそんなことできる余裕あったの? すごすぎん?」って感じでした。私なんて、基本平日は朝から晩まで、土曜夕方まで、日曜日は昼までくらいラボにいる生活してて、それでも実験結果足りない知識足りない論文読まなきゃ勉強しなきゃ、ってひいひいしていたのになぁ。時間の流れが違うのかな。

 ま、他のプログラムの人が自分らのプログラムを称賛するのはいいんですが、ちょっとなんだかなと思ったのが、「学生の時に起業という経験をしないのは損だ」「研究だけやっていればいいという先生もいるが時代遅れ」みたいな発言が出てきて、それにみんな賛同する空気になったんですよね。
 生存者バイアスかかってるのは確かなんですが、「大変だったプログラムを自分たちがこなしてきた」→「今の自分があるのはこのプログラムのおかげ」→「このプログラムをこなせないなんて能力低い・これからの時代生きていけない」みたいな論理展開が彼ら彼女らの頭の中にあるみたいな感じで、それがなんとも気持ちが悪い。(プラス、ここにいるのはみんなあの大変なプログラムを修了した仲間だ、みたいな仲間意識もあったのかもしれない。)

 個々人の考えは人それぞれで私ごときが口を出す話でもないですし、マイノリティであることを自覚しながら発言するストレスを感じるのも嫌だったので(その価値がこの会にあるとは思えなかった)、私は終始にこにこしてなにも語らずだったのですが、いやー、待てよ、お前ら。学生の本分は研究だろうがよ。と私はずっと思っていた。

 起業? 英語? 留学? うん、お好きになさるが良いよ。でもさ、あんたらなんで博士課程進学したのよ。研究するためじゃないのかね。まず研究をしなさいよ。まるで研究じゃない活動がメインで素晴らしかったみたいな言い方をするんじゃない。

 と、私は、おそらくその会にいた人たちからすれば「古い」と言われてしまう考えを頭に描きながら、その会を去ったのでした。

もやった理由を再度考える。

 人の人生は基本的にどうでもいいし、他人の考え方も基本的に(私に害がなければ)どうでもいいと考えている私ですので、その会の参加者もまぁ基本的に「どうでもいい」んですよ。
 にもかかわらず、ずるずると尾を引いて思い出すたびにイラっとしています。一体どうしてなのか。

 自己分析して考えたイラっとポイントは以下の2点。
 1点目は、友人知人をバカにされたような気がしたから。2点目は、私の働き方を否定されたような気がしたから。多分、これら2つの理由で、私はあの人たちと相容れないなと思ったのだろう。

 1点目についてですが、研究だけをして頑張ってきたのに学位を取れないで満期退学、あるいは、何年もオーバードクターをすることになってしまった友人や先輩をバカにされたような気になってしまったから、だと思う。
 すげえ経歴をお持ちですげえバイタリティでなんかわけわからんほどすげえ人々にはわからないだろうけど、研究って運の部分も大きい。運と言っても、サイコロ投げて出てくる目を待つような単純なものじゃなくて、研究テーマも先生もコンペティターも実験設備も、いろんなことがファクターとして存在している。私たち学生ができるのは、いっぱい勉強して真面目に論文読んで必死に実験して、くじ引きの箱にできるだけ当たりくじが多くなるようにするだけで、でも、どれだけ当たりくじが多くてもハズレくじをひいてしまうことだってある。本人の努力とかは無関係で。
 だから、博士課程の学生で、オーバードクターした、論文が出なくて学位が取れなかった、メンタルやられて休学してしまった、っていうのは、能力が低いことを示す要素ではないと思っている。毎日ラボに来て真面目に実験していても、D6まで行ってしまうことはある。

 リーディング大学院のプログラムは、学位取得には関係ない。だから、リーディング大学院関連の授業に出たりすることは、すなわち研究以外のことをすることを意味する。あの同窓会に来ていた人たちは、博士課程に在籍している間に、リーディング大学院関連の(しかも本人たち曰くかなり大変な)授業を受けていたという。必然的に、本来研究に注力するはずの時間は削られたはずだ。(それにも関わらず、きちんと博士号を取得しているということなので、多分本当に能力は高い人たちなのだとは、思う。)
 そんな彼ら彼女らが、本分であるはずの研究をないがしろにするような発言をしていたので、なんか「研究にそんな力入れなくても、学位なんてとれますよ」と言われたような気がしたんです。それってつまり、頑張ったのに学位を3年で取れなかった人を蔑んでいるような気がして、すごく、もやっといらっとしたんですよね。
 ま、あの小一時間の短い時間で、あの人たちの考え全部分かるわけでもないので、被害妄想といえばそうだけど。

 私がイラっともやっとした理由の2点目は、同じ組織の中で長く仕事を続けることを否定されたような気がしたから。

 少し情報が不足しているので付け加えたいのですが、当日の話題で、1つの企業(場所)で働き続けるのは今の時代にそぐわない、自分のスキルを上げるためにも、どんどん転職して新しい知識を習得するべきだ、という会話がなされたのです。そこから派生して、新入社員研修が無駄に長いという愚痴や、ある業界では、同じ企業で働くのは数か月が当たり前で、1年居れば長いね、と言われるという話なども披露されました。
 高々10人に満たない人々の意見ではあるのですが、その場ではその考えにみんなが賛同して、異論を認めないという雰囲気。これまでの終身雇用を馬鹿げている、時代遅れだ、成長がない、と言わんばかり(というか言っていた)の空気でした。

 私は公務員で、働き始めてから10年にも満たないキャリアしかありません。基本的に2~3年単位で部署を異動しますが、いつだって「まだよくわからないことあるなぁ。まだ勉強することがあるなぁ」と思いながら異動することになっています。
 なので、とてもじゃないですけど、数年単位、数か月単位で転職する人の気持ちが分からず、メリットもまた分かりませんでした。自分の職場を思い浮かべたんだけど、数か月しかいない人に任せられることなんて何一つないよ?

 そんなアウェイな状況でしたので、その同窓会での、古い慣習に対する批判、終身雇用に対する批判が、全部私自身に言われているような気分になってしまったのです。誰も、私を追い詰めようとか責めようとか思っていないのはもちろん理解しているのですが。
 今思い返せば、あのとき、長く同じ企業(職場)で働き続けるメリットについても情報提供できれば良かったのかもしれませんが、あの空気感の中、一人の意見を言ったところで分かってはもらえないなと感じました。新しい価値観の中で生きてる私たちスゲェ、みたいにみんながワイワイしている中で私が発言したところで、「そういう意見もあるよね」と受け入れてもらえるイメージがまるで思い描けず、なんなら「これだから公務員は古いんだよ。サービスも悪いし」と言われてしまう状況が容易に想像できました。なのでもう、口出しするの自体が面倒になってしまったんですよね。

 私も、彼ら彼女らの実際の仕事内容は知りませんが、多分、公務員たる私たちと、なんらかの企業に勤めるあの人達とでは、仕事の性質が大きく違うのです。

 あの会の参加者たちが働いている世界は、きっと必要とされている能力が明確で、仕事の発注と納品と期限があって、それをこなしてお金を貰う世界なんだと思います。そういう働き方が楽しいということならいいと思います。でもそれって、自分の能力を切り売りするという働き方でしかないのかなと思いもします。仕事はそういう一面も確かにあるのですが、タスクをこなしてそれだけを仕事だという働き方だけが至上であり希求すべき姿であるかのように語られるのは好きではありません。(正しい間違っているという話ではなく、個人的に好きじゃないってだけですよ。)
 私たち公務員の仕事は、継続性が大切です。悪しき習慣と言われる部分もあるとは思いますが、これまでの政策がどのように考えられてきて、なにを目標に動いているのか、大きな流れの中で自分の役割を見つけて働く必要があります。劇的に物事を動かすヒーローはいません。でも、私たちの生活がこれまでと変わらず送れるように物事を処理していく必要があります。(無論、良い方向に変えていくという変革も必要ですが、それは数年とか数十年単位で動くお話。)やってみてダメでした、やっぱり戻りますというのは、できる限り防がなくてはいけない。そういう世界で、私は働いています。

多様性があっても、理解しなければないのと同じ

 多様性が大事ですね、とよく聞く。10年以上前から聞いているかもしれない。ダイバーシティというやつだ。
 今回は、多様性を尊重するというのは難しいし、やっぱり慣れていないんだなと思った。私もだし、あの同窓会に参加していた人たちも。

 あの同窓会に参加していた人たちがどうするべきだったかは分からないけれど、少なくとも、あの奇妙な連帯感というか仲間意識みたいな空気は気持ち悪かったなと思う。でも、それを具体的にどうしてほしかったかは今でも私はわからない。

 私がするべきだったことは、長い間同じ組織で働いている公務員という人間もいますよと発言すること、それに、一つの組織で長く働くこともいいことあるんですよという新しい情報をあの集団に提供することだったのかもしれない。

 この同窓会、実は、今年のどこかでもう一度開かれる予定なのである。またアウェイになるのかなとも思いつつも、結構私は参加に乗り気でもある。今のところ、公務員の働き方について教えてあげようとか、分かってもらいたいという気持ちは全くない。
 非常に意地の悪い話で恐縮なのだが、私と違う世界で、私と違う価値観で生きている人たちがなにを考えているのか知りたいと思っている。向こうの世界の考え方に賛同する気はまるでない。ただ、批判するためにも、彼ら彼女らの考え方を知っておかないといけないなという妙な使命感のためである。我ながら、底意地がわるい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?