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家族の理解は必要だ ~応援しなくてもいいから批判はしないで~

 こんにちは、黒都茶々と申します。

 私は現在は定職(not研究職)についておりますが、かつて大学院の博士課程というものに在籍しておりました。

 今日のnoteでは、大学院生を金銭的にも精神的にもサポートしてくれる家族(主に親)について書いておきたいと思います。自分と親の関係、また、周りの友人たちの親とのやりとりを眺めて、思ったことです。

ラボに所属したことのない親にとって、研究室は未知の世界

 まず私自身のことについて書いておくんですが、私の親は文系学部出身で一般企業で働いていた人間なので、研究室の雰囲気や研究者の働き方などはまるで知らない人です。というわけで、私が大学入って、大学院に進学して、「博士課程行きますよ」と言ったところで、研究室に毎日行くとか、実験をして結果を出すとか、論文を書くということはちょっと想像しにくかっただろうなと思います。

 日本の大学の学部を見たとき、文系と理系だと文系の方が多そうなので、両親が文系学部卒ですっていうケースは多いと思うんですが(無論、大卒でない人も多いのは知っている)、そういう人たちにとっては、自分の子供が大学の研究室に行く、ましてや、博士課程に進学する、というのは、結構な不安な出来事かもしれません。

 何事もそうですが、今の時代、不安なこと、知らないことがあるとネットで検索することになります。博士課程、理系、とかで検索すると、あらまあびっくりネガティブなコメントばかりが出てくるわけですね。ラボで奴隷のような扱いを受けているとかね。

 私の親は、私が修士課程に進学しても、博士課程に進学しても、特にラボについて聞いてくることも不安を口に出すこともなく、私がやりたいようにやらせてくれたので非常にありがたかったです。

 しかし当然そういう親ばかりではなく、私と仲良くしてくれていた博士課程に進学した先輩の親はあまり協力的ではなかった模様。金銭援助を切るとか、研究に対して批判するとかそういうことはなかったようなのですが、先生との関係に悩んでいた先輩が親に相談したところ「先生の指導は正しいのだろうから、お前が頑張れ」みたいな返事をされたらしく、困っていました。
 小中高までなら、先生というのは基本的には教育に関する知識を持っている人たちだからそう言いたくなると思うんですが、大学の先生に限って言えばそんなもんではないですからね。教育的でないことしかできない先生いっぱいいるし。

 対先生で大変なのに、対親でも消耗するなんて、本当に気の毒だなぁ、と私は思っていました。

博士というものに期待を抱かれるのも辛い

 それじゃ、「頑張って博士になるんだよ」って、イケイケな感じでサポートしてくれるのが最高なのか、というと、そういうものでもない気がします。

 そりゃ、金銭的にはサポートしてほしいですけども、博士号取れることを前提とされると結構辛い。博士課程に進学したあとで退学し辛い(博士号を諦めづらい)背景って、親の期待もあるんじゃないかと私は推測しています。いい大人なんだから、自分で決めなよというご意見はごもっともなんですが、親が、子供が博士課程に進学したことを(博士になるということを)すごく喜んでしまっている場合、それをぶち壊してやっぱり退学したいというのはそれなりに勇気がいるような気がします。

 こんなこと書くのもなんですが、博士課程に入ったからと言って博士号なんてもんは確実に取れるわけではないので、仮に取れなくても落胆しないでほしいし、他に生きていく道を見つけることができたのなら、受け入れてほしいのです。

 こんなこと書いているのは、博士の時の知り合い(結局D6まで行った)がいろいろ健康的にも実験環境的にも良くない状態で、本人もモチベーション高くなさそうだったのに、博士の学生を辞められなかったからなのです。第一の理由は、本人が優柔不断で自分のことなのに真面目に考えていなかった(というか、そんな余裕もなかった可能性もある)というのはあると思うのですが、親がものすごく期待していたからなのではないかな、と推測しています。…これは外野の意見ですが。

親が研究者だと、子も研究者になる?

 私は、研究への適性は多少遺伝するとは思うんですが、それ以上に育ち方とか本人の好みが重要だと思っています。あと、努力も大きいかな。

 とは思うものの、周りを見ていると、研究業界に残っている研究者の友人たちは、親が研究者だよ、という人たちが多い気がしますね。今思い返してみれば、ラボの教授も准教授も親が学者だって言ってたわ。

 もちろん、親は普通のサラリーマンです、っていう友達も沢山知っているから、研究者の家系(遺伝的な才能)があるという気は全くないんですが、全研究者に占める、親が研究者である人の比率は、他の職業に比べて高いんじゃないのかなという気がする。

 理由の一つとしては、その人が育ってきた環境という点で、親のやっていることに興味を持つところからスタートして、同じような職業に就くということを目指すというのがあると思う。遺伝子レベルの問題じゃなくて、親が生物学の研究者なら動物や植物の図鑑が家にあったり、環境系のテレビ番組見て話をしたり、博物館によく行ったり、虫取りや植物の観察をしたり、っていう研究に繋がる行動を、成長過程で多く経験することが想像できます。
 お子さんがいる先生とかは、休みの日にお子さん連れてラボ来てたりしたし、そういう子にとっては、研究がすごく身近にあるので、将来の仕事として、研究者というものを目指しやすいのかな、というのがひとつ。

 もう一つは、研究者の子供は、職業としての研究者について、いい意味で楽観的になれるのだと思います。これは、親側の考え方にも通じるのかもしれない。特に、今の時代の研究者は、将来が不透明です。不確定要素がいっぱいあるので、うまくいかない未来も容易に想像できてしまいます。そんなときに、もし身近に研究者として生計を立てている人がいたら、「研究者でもちゃんと生活できるだろう」と思うことができます。一方で、そういう人が周りにいないと、「ホントに大丈夫か? 普通の企業に就職した方が良くない?」と考えてしまい(批判はしていない。考え方の一つですよ)、大学には残らなくなりがちになるのではないかな。

 そんなわけなので、子供が大学院博士課程に行きますよ、もしくは行っていますよという方がいらっしゃったら、ぜひとも楽観的に応援してあげてほしいし、もし諦めると言われても大きく落胆せずに受け入れてほしいとおもうのです。

 以上、親との関係いろいろについて書きました。ま、個人的なことを言わせてもらえれば、もう大学入った時点で独り立ちしたもんだと捉えて、適当に放置するのが親にとっても子にとっても幸せだと思うんですけどね。

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