見出し画像

日本はすでに科学技術立国ではないし、今後ノーベル賞は取れない

 こんにちは、黒都茶々と申します。
 現在は定職(not研究職)についておりますが、かつて大学院の博士課程というものに在籍しておりました。

 これまでのnoteでは、博士課程の大学院生の生活や学業についてお伝えしておりますが、今回は少し派生して、今後の大学院教育と科学技術の発展について書きたいと思います。

 私は文部科学省の役人でもありませんし、教育に関する専門家でもありませんので、以下の文章は私が見聞きした範囲から考えたことにすぎないことは、まずご承知ください。

私の年代の研究者が、ノーベル賞を取ることはない。

 まず、一言で結論を言ってしまうと、この先、日本発の研究は、少なくとも大学からは産まれないように感じています。(それでは、企業からは産まれるのか、というと、私は企業に属して研究したことがわかりません。)

 大きな理由は、若手研究者不足。新しく研究者になりたいという人も不足しているし、その一歩を踏み出した大学院生の支援も不足している。研究者を目指す人が減っている根本は、研究者という職業の魅力がなくなってきているから。(他のもっと魅力的な職業が増えた、と言い換えることもできる。)

 有名な研究者にもいろいろなタイプの人がいますが、すごい発見をした人って、20代後半~30代でその発見をしている気がします。今の研究者なら、ポスドク、あるいは、任期付き助教をしているくらいの年齢だと思います。このポストは、基本的には任期が3年とか5年とかです。こんな任期付きのポストで、新しいチャレンジングな研究に、落ち着いて取り組めるか? と考えてみると、少なくとも私の答えはNoかなと思います。新しいことを勉強しつつ、実験もこなしつつ、ラボでは学生の指導をして、頭の片隅では将来の心配もして、しかし体は一つしかない。研究者とて生き物なので、毎日、食べて、寝て、適度に運動して、生命活動を維持しないといけないけど1日は24時間しかない。

 そんな状況で、確実に成果を出せる仕事に取り組みながら、結果が出るかどうか分からないギャンブルみたいな研究をできるお金・体力的余裕はあるのかな。自分のポスドク生活を思い描いてみたんですが(もちろん空想)、ぎりぎりの状況で生活しながらなんとか結果を出して論文書いている最中、「結果が分かりそうな研究していていいの? それで楽しいの? 研究者の本分は新しい発見をすることでしょ?」なんて正論パンチ食らったら死んじゃうと思いました。私はね。

そういう人しか生き残れない世界なんだよと言われたらそれまでですけど。とにかく、少なくとも私はそういう人間ではなかったのです。

競争を勝ち抜かなければ、研究を続けることができない。

 嘘かホントかは知りませんが、私が学生だったときの教授たちが若手だった時代は、学位とってなくても助教とか講師とかになれたらしいです。助教とか講師として給料貰いながら、学位を取ることができたそうです。そんでもって、そのポストって出身ラボの先生が斡旋してくれたりしたらしいのです。なんて牧歌的な時代でしょう。

 先生たちの時代が良いのか、と聞かれると、素直に頷けない部分も、まぁあります。教授がポストを斡旋してくれていたということは、才能のある誰か(ポストを斡旋してくれるような教授にコネがない人や、教授から個人的に敵視されている人)が研究職に残れなかったということを意味しています。今のシステムの方が、競争して切磋琢磨して能力のある人だけが生き残るシステムになってるよ、って言われたら、そうかもしれないです。

しかし、近年の日本発の論文数の減少、トップジャーナルへの掲載数の減少などを見ると(私は具体的データを持っていないけれど)、切磋琢磨して生き残った奴だけ採用する方針はあまりうまく働かなかったのではないか、と思わずにはいられないのです。一見効率的に見えるものの、必要なものまでそぎ落としてしまったのかもしれません。いずれにせよ、研究業界とは相性の悪い効率化だったと感じます。

 私は、このシステムの良くないところは、「切磋琢磨して能力のある人が残る」のではなくて、「能力のある人が、他の業界に流れていく」というのが実態だと感じているんですよね。(だから別に、上澄みだけを掬い取っているわけでもなんでもない。)

結局、研究者という職業の魅力が、昔ほど大きくなくなってしまったのではないか?

 もし、研究者というのが、誰からも魅力的でみんなが「なれるものならなりたい」という職業ならば、切磋琢磨方式でもいいかもしれません。ただ、労働環境、賃金、将来性などを他の仕事と比較したときに、大学の研究者というものが魅力的かと聞かれたら、そうでもないのではないかなと私は思うのです。実際、私は別の業界に流れた人間ですし。

 手っ取り早く、とりあえず賃金の面だけでも解消できればいいのになと私は思っています。お金がすべてとは言いませんが、働くモチベーションの一つとして賃金がありますし、お金がなければ文化的に満足して生きていくのは難しいです。研究者の給料は、お世辞にも高いとは言えないです。暮らしていくには十分かもしれないけど、結婚して子供育てて、ということが何の心配もなくできるでしょうか? それに加えて、任期付きなので将来不安定です、給料が安定してもらえるわけじゃありません、ってなったら、研究おもしろいと思っている人たちだって企業に流れますよ?

 ノーベル賞、日本人が取ったなんだのかんだの、って騒いでいますが、あれ、過去の栄光と考えた方がいいと思います。昔の牧歌的な時代にいい発見した人が祀り上げられているだけ。これからの時代は、日本人がノーベル賞を取っていたのが幻かと言われるくらい、そういうタイプの研究は出てこなくなると思っています。

 以上、「日本はすでに科学技術立国ではないし、今後ノーベル賞は取れない」をお届けしました。元博士課程大学院生(一応研究者の卵だった)から見たことを書かせていただきましたが、どれくらい妥当でしょうかね? 正解はありませんが、このままでは良くないよ、というのは間違いないと思っています。

 すごく本心を書くと、私はすごく研究好きでしたよ。でも、給料を得る手段としては、割に合わないと思ったんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?