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9年間大学に通い続けた私の自己紹介(あるいは先生との戦いの記録)

初めまして。黒都茶々と申します。
現在は定職(not研究職)についておりますが、かつて大学院の博士課程というものに在籍しておりました。

noteをはじめる動機

今回、noteという場を借りまして、博士課程というものについて細々と情報発信できればいいなと思っています。世間的にどう思われているのか分かりませんが、大学院博士課程に在籍していた人間はあまり多くないのではないのかなと思うので、無責任に生の情報を発信できればいいなと。

博士課程って、どんなもんだと思いますか? 大学院や文部科学省のパンフレットでは、最も高度な知識を必要とする学問の使徒の卵であり、やりがいと希望に満ち溢れているかのような煌びやかな言葉が並ぶ割に、ネットの海に潜ってしまえば凡そ悪口しか書かれていないという、よくわからないポジションでもあります。これほど本音と建前が乖離している職業って他にあるでしょうか?

この記事を一番読んでもらいたいのは、これから研究室に配属される大学生の方や、大学院博士後期課程に進学しようか迷っている修士課程の方、そして、その親御さんたちです。

私は、大学院博士後期課程に進んだ方がいいよとも、進んじゃダメだという気もありません。ただ、体験談があまりに少なく偏っているため、正しい判断がし辛いのではないかと心配になったのです。親御さんの立場だと、そんな恐ろしい場所に我が子が行ってしまうのか、と反対したくなってしまうのではないかと考えたからなのです。

結論を言うと、大学院博士後期課程は楽な道ではありません。しかし、最悪で損ばかりするというものでもありません。正しく対処して進めば、上手く活用できる進路の一つであると、私は考えています。(そう考えると、その他の進路と全く変わりませんよね)

今回から、大学院の基礎知識や学生生活などについて、いろいろお伝えしていこうと思っていますが、私の体験談はあくまでも1サンプルでしかないということは重々ご理解いただいた上で読んでいただければと思います。もっと劣悪な環境にいたという方もいらっしゃると思いますし、逆にそんなにひどい環境にはなかったよという方もいらっしゃると思います。どうか、そのような方々は、自分たちの体験を記事にしてください。研究もそうですけど、N数はできるだけ多い方が真の値に近づきますので。(標準偏差は大きいままだとも思いますが。)

それでは、前置きが長くなりましたが、まずは私の自己紹介をいたします。

自己紹介

詳細はそれぞれ関連する記事で書きたいと思いますので、ざっと概略を。

大学4年間+大学院(修士)2年間+大学院(博士)3年間=合計9年間大学に通っていました。全部同じ大学です。旧帝大の一つで、専攻は生物系です。

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大学入学:大学を選んだ理由は、家から通える距離にある国立大学だったからです。学部を選んだのも、「生物の授業が一番好きだったし点数が良かったから」というもので、大した志もなく入学しました。ちなみに、推薦入試で合格したので、なんだか裏口入学をしてしまったかのような後ろめたさを感じていました。合格できた理由は、推薦の筆記試験の生物の問題の、「DNAが遺伝子の本体であることが明らかになるまでに行われた研究および研究者について述べよ」というざっくりとした問いに、ハーシーとチェイスの実験からドリーの話まで気持ち悪いくらい書きまくったからだと思います。(今は書けない)

大学生1~3年:実家からの通学が片道1時間半~2時間かかったというのと、友達を作るということを大して重視していなかったので、部活やサークルには入らず、バイトも図書館の書架整理くらいで、のんびりと過ごしていました。本は沢山読んでいました。小説ばかりでしたが。
今思うと、人生で一番ぼんやりしていた時代でした。
授業は卒業必要単位数を超えてコレクターのように取りまくり、せっかくなのだからと教職も履修していたので、お勉強はしていたような気はしますが、あまり覚えてはいないです。

大学4年:私の学部では4年生からラボに配属されるので、神経を扱っているラボに行きました。この時点では、大学院はどこか別の大学院に行こうと思っていたので、1年間だけお世話になる予定でした。(まさかこの後5年間居座ることになろうとは、夢にも思いませんでした。)研究を始めて半年、4年生の後期から指導教員が別の研究機関でポストを得たので、くっついていくことにしました。10月くらいに引っ越しして、初めての一人暮らしスタートです。
大学院は、元の大学と、指導教員の新しい所属先(総合研究大学院大学というところ)を受けて、合格してます。冬まではこの指導教員の下で大学院まで進学するつもりだったのですが、卒業研究のまとめ方で指導教員の方針に疑問を持ち、2~3月の時点で決別を決意。4月から元の大学のラボに戻りました。引っ越し再び。実家生活の再開です。

大学修士1~2年:元のラボに戻り、指導教員を変更して2年間研究するものの、研究テーマに発展性を見出せず、また、この指導教員とも衝突し、決別。しかし、貧乏性ゆえこの2年間の実験も論文にしたいと主張し、幸か不幸か諾の返事をもらう。ちなみに、DC1は落ちました。ああああ。

大学博士1~3年:修士のときの指導教員とさよならし、同じラボの別の先生の下で研究をスタートしました。使っている生き物からして違うので、ゼロからのスタート。1年の初めの半年はこれまでの研究をリサーチしたり、修士の研究の論文を書いたりして過ごしました。DC2に採択されたのを機に、新しい研究テーマに本腰を入れるとともに、一人暮らし開始(2回目)。これでやっと通学時間を研究にあてられます。やったね。
博士3年の春に、適当に就活をしてみたら内定がもらえたので、就職。私が研究職に進むと思っていた先生、突然の就職の報告に絶句。先生には悪いことをしたなぁ、と思ってはいます。

社会人1~2年:平日は働きながら、土日に論文を書く辛い生活。先生の協力もあり、2年目の終わりに公聴会を経て、無事学位取得。
学位は取ったけど、最終学歴は退学なんですよ、悲しいですねぇ。

というわけで、今に至ります。
普通の博士の学生と違うのは、
① 指導教員を学部→修士→博士ところころ変えた。
② 単位取得退学したあとに論文を書いて学位を取得した。
ってところくらいでしょうか。
指導教員を変えるとともに研究テーマも扱う生き物も変わったので、結構いろんな実験をできます、というのは密かな自慢ではありますが、今の仕事にも就活にも特に役には立っていません。

以上、「9年間大学に通い続けた私の自己紹介(あるいは先生との戦いの記録)」をお届けしました。あくまで表面上をさらりと撫でただけですが、私という人間の輪郭が少しでも具体的になりましたか?

次回は、「学士と修士と博士。「とりあえず行っとけ!」の修士と背水の陣の博士」をお届けします。博士という制度について、私見を交えて解説いたします。

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