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私の考える博士課程の闇 ~私が覗いた深淵と、先輩の嵌った沼~

こんにちは、黒都茶々と申します。

現在は定職(not研究職)についておりますが、かつて大学院の博士課程というものに在籍しておりました。

前回は学部、修士、博士それぞれの課程の役割などを紹介しましたが、「博士課程って大変って聞くけどどういうこと?」という方に向けて、博士課程に在籍する辛さについて、個人的感情も交えて紹介したいと思います。

ネットで検索すると、ネガティブなワードが並ぶ

「研究室」や「博士課程」とネットで検索すると、大体ネガティブなワードがセットになってヒットします。
研究室に関連する話題の大半は、「こんなに大変だったけど、がんばって乗り越えたなぁ…」という感じの、昔を懐かしむもの、あるいは、「こんなに大変だけど、がんばってるぜ!」という慰めあいのようなものであり、研究室の「あるある」ネタと捉えればよいと思っています。

しかし、博士課程とセットになった検索結果は結構ガチで困窮している場合も多く、電波を通して怨嗟の声が聞こえてきそうなものも多いのが現状です。
博士課程に関するネット情報をざくざく適当に検索して、体験談などを読みましたが、「まぁ、あり得るよなぁ」というのが正直な感想。珍しくもない、と言うのは言いすぎですが、ネットに書き込まれている記事のような酷いラボ、酷い先生、酷い環境はうちの大学にもありました。今更びっくりもしませんよ~。そういうのに当たらないような選択をする必要はありますが、この件については別記事で紹介したいと思います。

博士課程が大変、というのは多分すべての博士課程の学生に共通するのではないかと思うのですが、どういう心理状態なのか、ということを、「金銭面」「社会面」「研究面」から書いていこうと思います。

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金銭面 ~借金の金額だけが積みあがる~

博士課程の学生にはお金がありません。
学生なので大学に学費を払わなくてはなりませんし、朝から夜まで研究しなくてはならないので、アルバイトなどをしている余裕はありません。

昨今問題になっている奨学金も、大学時代から借りていたら何百万円にもなってしまいます。
私は修士から奨学金を借りていましたが、退学する時点で350万円の借金がありました。深刻さはその人の家庭環境によってかなり差はあるとは思いますが、借金がどんどん膨らんでいく恐怖はなかなかのものです。

旅行に行って遊んだり、他の趣味に没頭したりする時間もほとんどないので出費も少ないのも事実ですが、金銭面そのものよりもむしろ、社会面と研究面のプレッシャーと相まって恐ろしいほどにのしかかってくるのがこの圧力の特徴。
私は運良く日本学術振興会の博士研究員(DC2)に採択され、学費も半額免除されていたので、博士2年と3年は金銭面でのプレッシャーはほとんど感じず生きてきました。
しかし、これが博士4年とか5年とかになってしまうと、かなり違っただろうなと思います。

社会面 ~社会人の友人と、まだ学生の自分~

自分が博士課程の学生をしている間も、修士課程で卒業・就職した元同級生たちは、働いてお金を稼いでいます。
対して、自分は社会経験ゼロ。
研究は楽しいしやりがいはあるものの、未だ学生で将来の見込みも立たない。博士課程の学生の友人とつるんでいると楽しいのですが、ふと、楽しんでいていいのだろうか、という冷めた自分も顔を出します。

私は博士の友人がたくさんいたので、この点についてはお気楽に過ごしてきましたが、博士期間は一般企業に就職した友人たちとは少し疎遠になってしまいました。
あまり自覚はありませんでしたが、引け目を感じていたんでしょうかね。その人たちとは、私が就職した後でまた会うようになりましたが、やはり数年分社会人デビューが遅れていると、話題が少しズレてしまいますね。ま、気にしないですけど。

かなり少数派の道を歩くことになるので、他の人と比べてしまう性質の人には、博士課程進学というのは向かない選択肢かなと思います。

研究面 ~私は頭が悪いのか?~

博士課程の学生の悩みは、なんといってもこれですよ。研究が、進まない!という焦り。そして、その理由は自分の能力不足なのではないか、という疑念。

研究が進まない→卒業できない→オーバードクター→学費がかさむ、就職できないetc.

研究が進まないと、金銭の問題も就職の問題も、すべてが悪い方向に転がって行くんですよね。あくまで心理的なものですけど。
逆に言えば研究さえ順調ならとりあえず目下の悩みはなくなります。がしかし、どうにかしたいとは思っていても、まずどうすればいいのかわかりませんし、どう足掻いたって一朝一夕で研究が劇的に進むわけではないので、苦しいわけなのです。(この期間が大切というご意見もあるとは思いますが。)

私の場合は、自分で行きたいと決めて進学した博士課程だったので、「あのときの選択は間違いだったのではないか。私はもともと研究者になんてなれる実力はなかったのではないか」と、自分に攻撃が跳ね返ってきていました。
しかしその一方で、他の同級生に比べたら研究はできる方だ、いままでこんなに真面目にやってきたのだから、という自負もあり、「自分にならできるはず」という希望も捨てきれずにいました。
自分に期待しつつもそれを自分で疑うという、今思えば袋小路でいいこと一つもない考えなんですけど、当時はそれら二つの感情を常に反復横跳びしていました。

研究する際に厄介なのが先生の存在で、彼ら彼女らは問答無用ですでに私たち博士課程の学生も一人の研究者であるように接してきます。指導教員は指導者というよりアドバイザーであり、研究の主体は私なのです。あくまで、船を漕ぐのは私。行き先を決めるのも私。ということで、結果が出ないことを「指導が不十分」と結論づけることもできず、私はもうひたすらに自分の無力さを嘆くことになるのです。

あとは、同期の人間たちの進捗状況も地味にプレッシャー。研究って運なので、能力ない奴でも、いいテーマ引き当てたり指導教員に取り入ったりするのが上手いと、海外の学会行ったり賞取ったり論文出したりするんですよ。そういう華々しいのに比べて、自分は、、、と思うともうダメですよね。私は、博士からテーマ変えた人間だったので、「遅れてて当然」って顔してましたけど、それでもしんどかったなぁ。。。

20代中盤の若者ですから、不足分を取り戻そうと寝る間も惜しんで研究できてしまいます。徹夜という無茶もできてしまいます。
しかし、そのうちに体力も精神も壊れます。
そうしてボロボロになって、消えていく人は消えていきますし、休学する人は休学します。

ちなみに私は博士2年の時に、何をしても涙が止まらない状態になって、カウンセリングルームに駆け込みました。この時は、カウンセリングしてもらって事態を好転させようという気はまるでなく、私がもしも自殺あるいは突然死したときのために、私の置かれた状況を客観的に記録しておいてもらいたい、というなんとも捻くれた動機ゆえでした。
今思えば、この心理状態がすでにちょっとおかしいですね。

先生との関係がすべてを握る

博士課程の学生の苦しさは、多分、先生との相性でかなり変わってくると思います。当たり前ですが、指導教員のサポート無くして博士論文は書けません。

どう研究を進めるか、まとめるかだけではなく、具体的に論文をどう書くか、どの雑誌に投稿するか、といった技術的、手続き的なことまで、一人で全部できる学生はまずいません(私には無理)。

しかし、その途中で、当然ながら衝突することがあります。自分はもっと実験したいのに、先生に止められる、あるいはその逆で、自分は必要ないと思うのに、先生はやれという。他には、先生はIF(インパクトファクター)の高い雑誌に投稿したがるが、自分はもっと掲載が確実な雑誌に投稿したい、など。逆もまた然り。

この時に、先生との信頼関係が大切になってきます。

これは実際の先輩の話ですが、時間も体力もない学生が、「どうあっても学位が欲しい」と思っている一方で、先生は「良い研究成果を出したい」と思っていて、どこまでの内容でまとめ、どの雑誌に投稿するかでもめにもめました。私は、部外者として、先生の言うことも先輩の言うこともまぁ妥当(というか理解できる)と思っていたんですが、この人たちは折り合いつける話し合いができなかったんですよね。自分のことではないので詳細は省きますが、このような状況になったときに先生のことを信頼できないと、「自分の業績のためだけにあの人は投稿を遅らせているのではないか」と疑う心が生じてしまい、論文を書くこと自体のモチベーションが下がってしまいます。果てには、「この論文が出ないことで、先生も苦しめばいい」という自爆テロのような思想にまで行きつきます。

なんともまとまりがなくて申し訳ないですが、ここまで読んでくださりありがとうございます。お金と将来とプライドと研究成果が複雑に絡み合ってぐっちゃぐっちゃになってしまうのが博士課程の大学院生なのでした。

以上、「私なりに考えた、博士課程の闇 ~私が覗いた深淵と、先輩の嵌った沼~」をお届けしました。博士課程のときに感じていたことをいろいろ書きましたが、博士の学生の考えていることに少しでも共感いただければ幸いです。

次回は、「博士課程に進んだ理由と、研究者にならなかった理由」をお届けします。いつもに増して個人的な感情メインになってしまいますが、よろしくお願いいたします。

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