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『違国日記』の完結によせて①-尊重することと庇護すること-
『違国日記』が完結した。
連載当初から追っていたとても好きな作品であるため、結末に自分が納得できるのかの不安を抱えながら最終巻を読んだのだが、個人的にはとても満足できるフィナーレだった。
わたしは元々作者のヤマシタトモコ氏のファンである。今から十数年前、初めて手に取った作品は『HER』だった。
この年、『HER』は漫画界の大きな賞を受賞して話題になっていて、わたしが通っていた大学のキャンパス側の書店でも平積みになっていた。表紙の色使いに惹かれて購入し読んでみたのだが、「女性の欲望をここまで赤裸々に、おしゃれに描けるものなのか!」と、とても驚いたことを覚えている。当時20歳そこそこのわたしには触れたことのなかった、ドロドロした、それでも愛おしいと思える女性の内面を描いた漫画であった。
先日、『違国日記』完結にあたり久々に読み返してみたら、やっぱりすごくおもしろかった。最終話がいちばん好き。
『HER』に限らず、BLを含めてヤマシタ氏の初期の短編はジャンルがバラエティに富んでいて、作者の引き出しの多さを思い知らされる。その一方で、「今の作者であれば、このような描写は描かないのでは」と思うものも多い。初期の短編によく見られる「成人と未成年の恋愛」がわかりやすい例である。それは、『違国日記』がグルーミングともとれるような、大人が子どもの尊厳を尊重せずに支配することを決して許さない作品だからだ。
このあたりに、ヤマシタトモコ氏の意識がアップデートがよく表れている。そしてそれは、ご本人も以下のインタビューの中で語っている。
で、ようやく『違国日記』の話である。
※以下、結末までのネタバレを含みます。
「尊重」と「庇護」を両立させること
『違国日記』は中学卒業を間近に控えた少女、田汲朝(たくみあさ)が両親を交通事故で亡くすところから始まる。両親の死をきっかけに、朝は今までほとんど交流のなかった親類の1人と再会する。それが叔母の高代槙生(こうだいまきお)である。槙生と朝の母、実里(みのり)の間には長年確執があったため、叔母と姪であっても2人はほとんど顔を合わせたことがなかったのだ。初めましてと言っても過言ではないくらい疎遠であった2人だが、両親の葬式で朝が親戚間をたらい回しにされているのを見た槙生は勢いで朝を引き取り、保護者となることを決める。
朝と槙生と周りの人達の交流、そして朝の成長を描くのが本作の内容であるが、『違国日記』を『違国日記』たらしめ、最も強烈な印象を残すキャラクターが槙生である。
…朝 あなたが わたしの息苦しさを理解しないのと同じようにわたしも
あなたのさみしさは理解できない それはあなたとわたしが別の人間だから
少女小説家の槙生は人見知りで片付けが苦手、1人の時間がないと耐えられないという変わり者である。そして作中、「人と人はわかり合えない」というスタンスを徹底して貫いており、『違国日記』では全編を通してこの「わかり合えない」ことが描かれる。
それは両親を亡くしたばかりの15歳の朝に対しても同様で、槙生は同情して朝を慰めるような発言は一切しない。予測でものを言うことも決してない。
もしもわたしが 「お母さんはこう思っていたはずだ」とか言えば
気が晴れるか知らないけど それはできない
なぜ わたしのほしい嘘を知っているのに
たとえその場しのぎでも 決してくれないのだろう
一見冷たいように思える槙生であるが、これはそれだけ朝という人格を尊重していることの裏返しでもある。「まだ15歳の子供だから」と同情したり下に見たりすることなく、「あなたの感情はあなただけのもの」と繰り返し説き、未成年の朝を1人の人格として対等に扱っているのである。朝の親友えみりとの初対面の場面でも槙生はえみりに敬語で話すのだが、ここからも、下の世代の子どもを決して舐めない槙生らしさがうかがえる。また、「わかり合えない」と言ってもそこで思考を停止するわけでもない。槙生は「わかり合えない、だから歩み寄ろう」と朝に伝え続ける。
でもあなたの感じ方は あなただけのもので 誰にも責める権利はない
あなたの感情はあなたのもので わたしはそれを変えさせることはできない
…ないがしろにされたと感じたなら悪かった だから…歩み寄ろう
…わかり合えないのに?
そう わかり合えないから
その一方で、槙生には「未成年の朝は社会の中で庇護される存在である」という意識が強くある。というか槙生のこの意識は朝に対してだけに留まらず、子どもは子どもであることを踏みにじられてはいけない、そのために自分たち大人はすべきことをしなくてはいけないという彼女の考えに繋がっている。
朝 あなたの母親が心底嫌いだった
死んでなお 憎む気持ちが消えないことにも うんざりしている
だから あなたと彼女が 血が繋がっていようといまいと
通りすがりの子供に思う程度にも あなたに思い入れることもできない
でも あなたは 15歳の子供は こんな醜悪な場にふさわしくない
少なくともわたしはそれを知っている もっと美しいものを受けるに値する
わたしはあなたに何かあったんじゃないかと思って ぞっとしたし
あなたとわたしの間の感情には関係なく あなたを気遣う責任がある
でもおばあちゃんは… お母さんが死んですごく泣いてたから
大事に思ってたんだなって思ったよ
でもあなたに両親に遺体を見せた わたしはそれが絶対に許せない
このように槙生は、朝という15歳の少女を一個人として徹底して尊重する一方で、大人として彼女を庇護する役割を決して放棄しない。人と関わるのが苦手な自身を「世界と繋がるのがうまくない」と嘆きながらも、槙生には槙生なりの正義のようなものがあって、そこからはみ出る出来事は決して見過ごさない。だからこそ朝を引き取り、朝に両親の遺体を見せた実の母に憤る。未成年への尊重と庇護を両立させ、そこから外れる事象は無視できない人物なのである。
これは本当に難しくて、何度も壁にぶち当たって、時に相手も自分も傷つける姿勢だと思っている。日常的に未成年と関わる仕事に就いているわたしにとって、槙生のこの姿勢は理想であるのだが、うまくいかずに何度も目の前の子どもを傷つけ、自分も傷ついてきた。それでも、やめてはいけないと槙生を見ていると強く思う。
庇護の視点でいうと、槙生以外にも朝を支える大人は何人か登場するのだが、際立つのは槙生の後見監督人である弁護士の塔野(とうの)ではないだろうか。
正直なところ私は小説を読まないので 理解はできなかったんですが…
お父様に抗議申し上げたいですそれは!!
対話すべきところを舌打ちというのは決して感心しません!!
そんなことで子供の自尊心を…
塔野は朝の後見人である槙生を監督する弁護士で、2人の生活を制度面からサポートする立場として登場する。勉強が好きで空気が読めず、小説も映画も漫画も、いわゆる「物語」を一切読んだり観たりしない塔野は、作中でも珍しい人物である。小説家で「物語が必要」な槙生とは対照的な人物であるが、塔野もまた子どもの人権が侵されるのを決して良しとはしない。まったく異なる内面を持っているはずなのに、自分なりの正義に従って行動するところには、どこか槙生と重なるところがある。背景に物語がある小説家の槙生が観念的な立場で朝の成長に関わるとすれば、弁護士の塔野は社会と関わる実用的な面で朝を支えていくのである。
最終話には朝と塔野がやりとりをする場面があるのだが、塔野の朝への呼びかけも、対する朝の返答も、フィナーレとして素晴らしいのでぜひ読んでもらいたい。
ちなみに勉強が好きで空気が読めないという塔野の特性は、物語中盤で扱われる「男らしさの呪い」にかからなかった要因でもあるのだが、次回はその辺りに触れてみたいと思う。
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