気まぐれ日記2021.8.25
【結婚記念日】
数日前、父から突然「結婚して何年になる?」と聞かれた。突然だったことと、好きな事さえ覚えていられないくらい記憶力が悪いのですぐ答えずにいたら、「もう20年になるんじゃないか?」と言われた。
「(プレゼントとか食事とか)何か盛大にするのか?」
「いや、何も予定ないし何年経ったか知らない。20周年だとしても何もする予定ないよ。」
「やればいいのに…」
で、その日の夜、夫が帰ってきたので何年経ったのか聞いてみた。
いつもの事なので不思議がることもなく教えてくれた。計算は簡単で、2001年8月に結婚したので今度で丸20年、21年目になる。要するに盛大にやるなら去年だ。そして何もしていない。
父はイベント好きなので、覚えていたのだろう。
自分では買わないが、母に何か買わせて毎年小物をくれる。
入籍と結婚式は2001年8月25日(土)。
忘れないように私の誕生日を選んだ。
それで父も覚えているのだろう。
当時、夫が務めていたゴルフ場にあるホテルでの人前式。夫の職場ということもあり、とてもアットホームな式だった。
※8月でも暑すぎず清々しい1日
※どんな時でも食欲旺盛
※司会者から名前を書いてくださいのリクエスト
『くー』『みー』横書きがよかったな…
先に縦に書くもんだから私も縦書きにしたよ…
あれから21年…
お互いの体型はみごとに変わり、呼び方もパパ、ママ…いや、呼ぶこともしないかもしれない。
周囲からはよく夫婦仲が良いと言われる。確かに、言い合いはするが引きずることはない。
同級生で共働き、同じ立場で普段から言いたいことを伝えられているからかもしれない。
前にも書いたことがあるが、出逢いは高2、私の一目惚れだ。それから数年付き合い、あることをきっかけに結婚へと進んだ。
夫は事務系の仕事をしたかったようだが、接客業に回されることが多く、転職を繰り返したりなど不安定な状態だった。なので『ちゃんと自信をもって生活できるようになるまで、中途半端な事は言わない。』と最初から言われていた。
その頃はまだ先が見えず、ただダラダラと時間だけが過ぎていた。
簡単に言われるより、それだけ覚悟してくれてることのほうが私は嬉しかったので、ひたすらその時を待つことにした。
ある日の早朝、1本の電話があった。
確か彼の会社の先輩からだったと思う。
彼が単独事故を起こして病院に搬送されたとのこと。
声を聞くからにただ事ではない感じ。
『危ない』という言葉だけが耳に残った。
両親に病院へ向かうことを伝え、「慌てるな、落ちついて行け」と送り出してもらったが、私は冷静そのもの。
生きてくれると信じていた。
病院へ着くと、彼のご両親と会社の仲間達。
事故は深夜に起きたらしく、一通りの準備が終わりこれから緊急手術という事だった。
ベッドで横になっている彼の周りを、会社の先輩方が囲み「頑張れ、頑張れ」と声をかけている。
私はそこでも人見知りが発動され、少し離れた所から見守ることしかできなかった。
もちろん近くに案内されたが、拭き取った血も生々しく、ピクリとも動かない彼に何と言えばいいのか。
呼吸していることを確認するのが精一杯。
「死なないですから」「絶対大丈夫です」と、どこから来る自信なのかわからないが、先輩方にそう声をかけてその場を離れた。
先生から手術の説明があるとのこと。
立ち会えるのは家族のみ。参加を望めば立ち会えただろうが、当時はご両親とも面識はなかったし、言い出す勇気もなかった。
その間に、会社の先輩から話を聞くことができた。
深夜勤務の帰り、スピードを出し過ぎてカーブを曲がりきれなかったらしい。
右側の山にぶつかり今度は左側のフェンスへ。
たまたま同じ方角の先輩がいてすぐ後に現場を通りかかり、ひっくり返って大破している車が彼のものだと気付いてくれたらしい。
深夜1時過ぎだったそう。
普段なら車の通らない田舎道、すぐに見つけてもらえたのは不幸中の幸い。
現場の山には携帯電話が突き刺さっていたようで、警察にも『シートベルトをしていなかったら即死だった』と言われたそう。
お母様から聞いた先生の話では、頭蓋骨陥没と頸椎の圧迫骨折。助からないかもしれないし、助かっても半身麻痺が残る可能性が非常に高いとのこと。
『覚悟をしてください』という言葉の意味が私にはわからなかった。
頭蓋骨を一部外して脳内に溜まった血液を抜き取る手術は、とりあえず無事に終わった。首にもボルト。
その時覚悟したのは、たとえ寝たきになっても、意識が戻らなくても、一生介護していこうということだった。生きてさえいてくれればそれでいい。
車イスを押したり、意識なくベッドに横たわる彼を何度も想像しながら『私しかいない』と覚悟を決めた。
そして数時間後…
目覚めた彼には意識があった。
そして四肢の感覚は…とりあえずある。
先生から、この状態でどこにも麻痺が残らないのは非常に稀なことだと言われた。
それから私は毎日病院へ通った。
リハビリの甲斐あって、無事に退院。ほどなくして仕事にも復帰できた。驚異的な回復スピードだ。
怪我した場所が頭だっただけに、しばらく通院もしたが、異常はないということで通院も終了。
後から知ったことだが、この事故がきっかけで結婚について真剣に考えるようになったらしい。
私が先生の説明に立ち会えなかったことや、障害が残っても一生世話をする覚悟で看病してたこと…
リハビリ中変わった様子を見せていなかったが、この頃には気持ちを固めていたらしい。
そんなこんなで、あれから21年。
病気で不自由になってしまった私のお世話を、今度は彼が一生懸命してくれている。
関節リウマチを発症した頃は、箸を持つのも辛い状況が続いたが、高価な治療を受けさせてもらい今は寛解に近い状態になった。
それでも体を使いすぎると節々に痛みが出て赤く腫れるため、毎日の洗濯や買い物、食事はすべて夫がやってくれている。『家のことはやらなくていいよ』の言葉に完全に甘えている状態だ。
娘も私の病気がきっかけで医療系の学校に進学した。将来の介護は安心して夫と娘に任せようと思う。
ここまで来たらおんぶに抱っこだ。
もちろん、感謝は忘れずに。
これからもお互いを差さえあっていこうと思う。
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