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気まぐれ日記2021.6.23

【竹の時代】
最近なぜか『竹』を意識するようになった。
最近というより『ずっと』かもしれない。なぜかリスペクトしている。竹はすごいんだぞ!というこの秘めた想いをどうしても吐き出したくなった。
竹は捨てる部分がないくらい用途が広いし、生命力も強い。見た目も緑が綺麗で落ち着く。色んな形で出会うたび『竹はすごいなぁ』と感心してしまう。

放置竹林や笹林など『竹害』として時には厄介者扱いされるが、根を張り土壌を守る心強い存在であることは間違いない。

そしてこの放置竹林についてはいくつか理由がある。
食用として最もおいしいとされている外来種の『孟宗竹』が昔から日本国内でも生産されていた。しかし安価な輸入品が増えたことと建築様式や生活様式の変化で竹材の需要が減少したことで生産者が減り、管理されなくなってしまったのだ。非常に残念である。

私たち日本人と竹の歴史は古く、孟宗竹が国内に広まる前から竹は存在し縄文時代の遺跡からも竹製品が出土している。古来より竹は有用な植物として農業でも漁業でも、身近で加工性の高い素材として扱われてきたのだ。

竹を題材にした昔話も『竹取物語』が有名だが、調べてみたらこれ以外に全国各地で35話も残されていた。
それほど昔から馴染み深いものなのだ。


『竹』といってすぐ思いつくのは、
・日本庭園や生け垣
・タケノコやメンマなどの食品
・竹細工などの工芸品や器
・竹炭(食料にも)
・竹酢液
・竹馬や竹とんぼなどの遊び道具

などなど竹の用途は尽きない。きちんと調べれば他にもたくさん出てくるだろう。
笹の葉も、おにぎりや和菓子を包むのに利用されている。これは笹に含まれるフィトンチドやサリチル酸といった抗菌性の揮発物質による効果で食品が日持ちするから、らしい。正確な効能を知らずに使っていた先人の知恵はすごいと思う。

そういえば、実用的な白熱電球を発明できたのも京都の竹のおかげではなかっただろうか。

タケノコから竹になるわずかな期間に、大量のCO2を吸収するらしいし、放置竹林を除けばいいことしかないのではないか。


ちなみに、熊の仲間であるパンダは食事の80~99%を笹が占めている。天敵や餌の競争を避けるため中国山岳地帯の山奥を生息の場としていた。そこに冬でも枯れることなく1年中得ることができたのが笹竹だったのだ。競うことより大変な思いをしてでも山奥での生活を選んだパンダがますます好きになった。


正月は門松、春はタケノコ、夏は七夕、流しそうめんなど1年を通して大活躍。
門松として使われるのは、生命力が強く子孫繁栄の縁起物とされているからというのが一般的な説。
また、七夕飾りとして使われるのは、笹竹が神様の依り代とされている説や古来中国の行事『乞功奠(きこうでん)』でのお供え物に笹を敷いていた名残とも言われている。
竹は冬の寒さにも負けず、真っ直ぐ力強く育つ生命力が備わっていることから、神聖な力が宿っていると信じられ、あらゆる神事に利用されてきた。
お盆の精霊棚に笹を飾るのも、結界を張る為や精霊を宿す為など諸説ある。


《竹の花言葉》
・節度
・節操のある
・忠誠、忠義
・強さ、不動
・誠実
・持続可能性、耐久性
・幸運

日本はもちろん世界各国でも竹は縁起物として扱われている。しかしなぜか日本では竹の花が咲くと不吉とされている。60~120年に一度しか咲かないという現象が珍しく、つい何か起きるのではないかと勘ぐってしまうのだろうか。
なぜこんなにも花が咲かないのか、また花が咲くと不吉とされてしまうのかが不思議でならない。

竹(タケ)とは、広義には、イネ目イネ科タケ亜科に属する植物のうち、木本(木)のように茎(稈)が木質化する種の総称。

よく考えた事はなかったが、竹は『木』ではなくどちらかと言えば『草』に分類されるらしい。確かに竹の花は稲の花に似ている。
これは専門家によっても意見が分かれるらしく、竹は『竹』として特別に木でも草でもなく『稈(かん)』と呼ばれるそうだ。

ちなみに、正確にいうと『笹』と呼ばれるものにはパンダが食している『笹竹』=『竹』と、まったく別の品種で日本特有の背丈が低い『笹』がある。今回は同じイネ科という事で細かい事はスルーする。

竹は無性生殖の一種で栄養生殖で増える。
地下茎でみな繋がっており、この地下茎から直接タケノコが生え竹になる。成長期には1日で1mも成長することがあるらしい。私も(精神的に)これくらいの勢いで成長できたらいいのだが。

そして何より竹の一番の魅力は『しなやかで強い』これに尽きる。私の目指す所だ。
人としても竹のように真っ直ぐでしなやか、そして強く生きていきたい。

以前読んだ本に書いてあった言葉。
これが自分を成長させてくれるような気がした↓

・否定しない
・信じる限界を広げる努力をする
・信じたものをむやみに信じ過ぎない

先入観をなくし、まずはすべてを受け入れてみる。
そして大事なのは信じ過ぎないこと。何か違うと直感で感じたら一呼吸置いてみる。
実践となるとなかなか難しいが、柔軟な思考を持ちながらも自分自身の芯をしっかり持ちたいと思う。

もう一冊「そ・わ・か」の法則より↓

・何事も実践しなければ意味がない
・目指すは『夢も希望もない暮らし』

夢と希望に満ちあふれた生活とは、言い換えれば「まだまだ」「もっともっと」「あれもこれも足りない」といつまでも満足できないという生活かもしれない。そういう生活が好きな人はそれでいいが、これが一生続くのでは疲れてしまう。
これに対して「夢も希望もない暮らし」のほうは、すなわち感謝に満ちた暮らしということ。このほうがよっぽどラクで楽しい人生だと思う。

ということで、多くを望まずただただ前向きに、そして日々感謝しながら生活していきたいと思う。

以前、悩みがないのが悩みと書いたことがあるが、この楽観的な考えこそが「夢も希望もない暮らし」なのかもしれない。期待していないから、何かしてもらえば嬉しいし有難い。そして毎日が楽しい。
クヨクヨ悩んでも仕方ない。

私が経験してきた事は人によっては地獄みたいな出来事と捉えられる場合もあるだろう。隠す事でもないが、わざわざここには書かなくてもいいような出来事だ。
その時はたくさん悩んだし苦しみもした。
でもその経験があるからこそ今の自分があるし、その事さえ今となっては青春のように感じる。

要は考え方ひとつ。
人生乗り越えられる試練しかやっては来ない。どんなに辛い事があっても、その先には必ず明るい未来が待っている。なぜなら今の人生は魂を磨くため自分でプログラミングしてきたからだ。私はこの考えを信じている。
なので『なんとかなる』の楽観的思考で人生を楽しみたいと思う。

自然災害は必ずやってくる、でもある程度対策はできる。
病気になれば受け入れ、心当たりがあればできる範囲で健康的な生活を心がければいい。
嫌な人に出会ったら、私の(学びの)為に、カルマを背負ってまでこんなに悪い姿を見せてくれるんだと感謝すればいい。無理に付き合うこともない。

夢も希望もないというのは例えだと思うが、常に前向きに捉え感謝の気持ちを忘れずにさえいれば毎日楽しいことしかないのだ。

この世は楽しんだもん勝ち。
感謝したもん勝ち。


…竹の話題から脱線しまくってしまった。
竹には私を熱くさせる何かがあるのかもしれない。
(たぶんないでしょう)




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