いかがわしくあれ、新しい文化に立ちすくむなソフトバンクグループ株式会社代表取締役会長 兼 社長孫正義

※引用メモ

いかがわしくあれ、

新しい文化に

立ちすくむな

ソフトバンクグループ株式会社

代表取締役会長 兼 社長

孫正義

平成の歴史は、すなわちインターネットの歴史とも重なる。平成の最初の数年間で産声をあげ、十数年でブロードバンドとなり、二十数年でモバイルインターネットへと進化し、社会や人々の生活にすっかりと根づいた。常にその中心に、孫正義(61歳)がいた。インターネットとともに平成を駆け抜けた孫はひとつの時代が終わるいま、何を思うのか。そして、きたる新時代をどう予見するのか。

昭和から平成に移り、30歳代に入った孫正義は、まさにこの時代に頭角を現し、インターネット産業の先頭に立って情報革命をリードし続けた。平成2(1990)年、すでに起業していたコンピューターソフト卸売り販売の会社をソフトバンク株式会社に社名変更し、平成6(1994)年に株式の店頭公開を果たすと、平成8(1996)年には米ヤフーと合弁でヤフー株式会社を設立。人々はヤフーを入り口にインターネットをサーフィンするようになり、ウェブサイトの運営者はこぞってヤフーにリンクを掲載してもらうことを目指した。

そしてADSL方式のインターネット接続サービス「Yahoo! BB」を低価格で大々的に展開すると、日本のインターネットは一気にブロードバンド化へと舵を切った。ボーダフォンを買収し、携帯電話事業に乗り出したソフトバンクが日本に初めて「iPhone」をもたらすと、インターネットの主戦場はパソコンからモバイルへと移行し、小さな、しかし高性能のコンピューターをひとり1台持つことが当たり前の時代となった。それらのすべてを仕掛けた孫が、インターネット史における平成という時代を総括する。

平成のインターネット、「まだ生まれただけ」
この先も何百年と続くであろうインターネットの歴史の中で、平成の30年間というのは、どんな位置づけになるのでしょうか?

孫インターネットの黎明期、いわゆるその当時の“大人”とされた人たちは、我々はリアルの中で仕事をしていると。インターネットというのはなにか怪しげなバーチャルな空間で、君たちはなにを浮ついたことを言っているんだと。そういう見方でしたよね。それでも、インターネットに未来があるんだと言い続けた結果、だいぶ変わった。

1996年、ヤフー創業のころ(写真:毎日新聞社/アフロ)

今は、インターネットが生活の中心になってきていると誰もが感じているだろうし、そもそもインターネット黎明期にまだ若かった我々が、逆に大人になって世代が変わっているわけだから、世の中の常識が変わるのも当然です。

ただ、これからも続く長いインターネットの歴史からすれば、平成の30年間というのは、まだインターネットが生まれただけ。そういうところだと思いますね。これからさらに広がりますから。

思い描いていたとおりの未来がやってきた
怪しげなインターネットにかじりついていた人たちが、今はむしろ世の中の中心に立ってきている。それは大きな変化ですね。ちなみに、平成が始まったころはすでにソフトバンクを起業していましたが、当時に思い描いていた未来のとおりに今はなっていますか?

孫多くの人が「想像してなかったでしょう」と言うんだけど、僕は当時からこんなふうになるんじゃないかと思っていました。「孫のくせに不遜だ」とか言われそうですが(笑)。いや、そもそも、平成が始まるずっと前、1970年代後半くらいには、いずれこうなるであろう、ということは見えていた。カリフォルニア大学の学生だったころ、10代のときからネットワークコンピューティングに触れていたという原体験がありましたから。

その後、1980年代後半には日本でも徐々にパソコンが普及し、平成初期にはインターネットの仕組みができ、平成5(1993)年にインターネットを閲覧するブラウザーの「Mosaic」が出てきて、本格的なインターネット時代が始まりました。

孫やっと来たかと。一般のコンシューマーが自分のパソコンをインターネットにつないで、ひとつのキャンパスや会社の中のネットワークじゃなくて、不特定多数の人々とフラットに情報をやりとりすることができる。そんな時代が来たぞと、もう鳥肌が立ちましたよね。

インターネットを発展させた立役者は当然ひとりではないし、あちこちで起きたさまざまなストーリーがひとつの大きな流れになったわけだけれども、やっぱり、ブラウザーの礎となった「Mosaic」や「Netscape Navigator」をつくったマーク・アンドリーセンの功績は大きいですよね。

僕はまだ「Mosaic」のときに、真っ先に飛んで会いに行きました。一緒にやろうと(笑)。その後、マークや「Netscape Communications」のもうひとりの共同創業者であるジム・クラークが、スタンフォード大学の研究用ワークステーションで「Yahoo!」をつくっていたふたりの開発者、デビッド・ファイロとジェリー・ヤンを支援して、ヤフー・コーポレーションが生まれ、後にグーグルだ何だと生まれていったわけですからね。

マーク・アンドリーセン、最初のウェブブラウザー「Mosaic」を開発した(写真:Justin Sullivan/Getty Images News/ゲッティイメージズ)

平成における「決定的な遅れ」
思い描いたとおりの未来に進んでいく過程で、常に米国が情報革命やインターネット産業の中心に存在し、最近ではスマートフォンなどのデバイスで中国や韓国がリードしています。日本の存在感は平成という時代を通じて減退しました。

孫そうそう。平成は失われた30年間。日本は、まるごと下っていってしまった。昭和末期の1980年代、日本が「電子立国」と言って、家電を中心にすごく自信満々な時期がありました。そのときに、いわゆるソフトウエアのことをバカにしている人たちがいました。

僕らがいくら、「これからはソフトの方が大事ですよ。ソフトこそが頭脳で、ハードは言ってみればただの箱、道具にすぎません。ソフトが主役になる時代が絶対に来ます」ということを言っても、「ハードウエアこそが主役である」と。いかがわしい若い小僧たちがソフトウエアだとはしゃいでいるけれども、わけがわからないし、アルバイトで雇って書かせておけばいいと。そういう“大人”が多かった。

当時の日本の主流のビジネスマンたちは、モノをつくってなんぼ、モノづくりにこそ魂があるみたいなね。結局、それが日本の決定的な遅れにつながったんですね。

日本のインターネットの発展に「大した貢献はしていない」
そうした風潮のなかで、孫さんはソフトウエアにこだわり、日本のインターネット産業の発展にも貢献しました。

孫いや、大した貢献はしていないですよ。世界や時代がいや応なくインターネットやテクノロジーの方向に流れているわけで、我々が存在していようがいまいが、インターネットというのは勝手に大きくなっていったと思うんですね。決して、その流れを斜めに見るんじゃなく、一生懸命その波の最先端のところにしがみつき、問題や課題も自分たちが解決する側に回らなきゃいけないということで、もがき苦しみながらも、一緒に歩んできたというだけです。

孫はそう謙遜するが、孫やソフトバンクグループは平成という時代で、インターネットそのものの普及を後押しし、さらにモバイルインターネットへの移行も加速させたのは事実。もはや、社会や生活、経済活動に欠くことのできない存在となったインターネットは、きたる新しい時代に、どのような変貌を遂げていくのだろうか。そしてその時代を明るい未来にするため、我々はなにをすべきなのか。孫が指針を示す。

令和は、AIインターネットの時代へ
ここからは、この先の未来の話を聞かせてください。令和は、情報革命やインターネットの歴史において、どのような時代になると思いますか? そして、その時代を明るいものにするためには、どうすればいいと思いますか?

孫インターネット自体は、植え込みの時代が終わり、昔でいう“読み書きそろばん”のような当たり前の存在となった。これからは、収穫、ハーベストの時代です。その収穫期において、収穫を大きく左右するカギとなるのは、やはりAI(人工知能)でしょう。すなわち、AIが時代を明るくするカギにもなる。

もうAI以外の案件は持ってくるな、というくらい、今、僕自身もAI一筋です。インターネットが始まった当時、ソフトバンクの本業はパソコンソフトの卸と出版で、インターネットからの収益は売り上げの0.1%くらいだったけれども、僕は「もうインターネット以外には興味がない、パソコンの仕事は持ってくるな」と完全に振り切った。0.1%のことに99%のチカラで突っ込んでいきました。

同じように、僕は今、もう99%、AIに集中している。そのくらい振り切っても、世界ではなかなか難しい勝負になっています。

2018年度のソフトバンクグループ決算説明会ではAIの重要性を強調した(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

インターネット企業というのは、もはや仮想空間のいかがわしい会社ではなくなり、現実世界を大きく左右するようになったけれども、AIを使いこなすAIインターネット企業とそうではない素のインターネット企業では、100対1ぐらいの差が開いていくと思います。頭のいいネットワークと、単につながっているというネットワークとでは、決定的に差がつく。だから、ヤフーも気をつけなければいけない。

コンピューティングはこれからまた、約100万倍になる
これからの時代、人間がやるインターネットと、AIがやるインターネットでは、途方もない差がつくということですね。

孫そう。コンピューティングの世界には、性能を決める“3大要素”がある。プロセッサーの演算能力、メモリー容量、それから通信するスピード。それ以外の要素は全部誤差です。その三つがそれぞれこの30年間で約100万倍になったわけです。

そして、ここから先、もう一度、約100万倍になるわけです。中途半端に知っている人に限って「AIにも限界がある」「ムーアの法則はもう限界だ」とか、言いたがる人が多いんだけれども、僕は「バカか」と言っておく。それはあなたの頭が限界にきているだけだと。

「ムーアの法則」を提唱したゴードン・ムーア(右)。ロバート・ノイス(中央)、アンディ・グローブ(左)とともにIntelを築いた(写真:Intel/picture alliance/アフロ)

ここから何が起きるかというと、AIをさらに加速させるいわゆるプロセッサーの世界は、GPUだ、TPUだ、クォンタムコンピューティングだ、というふうに、さらに新しい枠組みでどんどん進化して約100万倍になる。メモリーも約100万倍になって、通信も5G、6G、7Gと出てきて約100万倍になると。

つまり、コンピューティングの能力が約100万倍になれば、人間の頭が考えられる程度のロジックはすべてAIも考えられるようになるわけです。今ですら、囲碁だとか将棋だとかチェスだとか天気予報だとか、限られた分野では、AIはすでに人間の頭脳を超えているわけでしょう。それが、ここからさらに約100万倍になると思ってくださいと。そうしたら、通常、会社でしているような類いの仕事だったり、生産性を問われるものだったり、ほとんどのテーマはAIがぶち抜いていくと。

機械にはできない人間ならではの価値
そうなったときに、人は何を生きがいに暮らしていくのでしょうか?

孫どんな時代でも、常に人に生きがいはあるわけですよ。昔、機械がないときに人々は手で田植えをして、手で魚を釣って、手で土を運んでいたけれど、機械が登場しても職は奪われるどころか、むしろ新しい職が次々に生まれていった。同じように、AIがどんどん人間の仕事をこなすようになっても、AIを道具として使って、AIとともに提案をしていくコミュニケーションの仕事が次々と誕生するはずです。

あるいは、AIによる代替で可処分時間が増えることによって、人はもっとアートやスポーツやエンターテインメントや料理といった、より人間らしいことに時間を費やし、生きがいを見いだしていくことができる。

逆に言うと、機械とAIができるような単純労働やルーティンワークは、そんなものをなんでわざわざ人間がするの?という時代が訪れる。人間はもっと人間らしく会話をしようよ、触れ合おうよと。人の温かみを感じるサービスや商品をリスペクトしようよと。そういうことによって生まれる、新しい価値や新しい仕事、これはもう山ほど生まれてくるはずです。

日本のAIの進化を遅らせる“老害”に危惧
つながるインターネットから、AIインターネットへと劇的な変化を迎える新時代に突入するにあたって、日本が抱える課題はなんだと思いますか?

孫新しい時代が来たというときに、振り切りすぎるぐらい振り切ってもなおかつ難しいわけですよ。なのに、中途半端な理解の学者も含めた“大人”たちが相も変わらず、「そっちに行ったら危ない」とか、「そっちに行くとこんな問題点がある」とか、言うわけです。これはもう百害あって一利なし。僕は日本にとって最大の害はそういう人たちだと思うんですよね。

いまや、米国や中国は、たとえば医療や建設、不動産、交通、そういったさまざまな産業やサービスの分野にAIの技術を取り込んで活用して、どんどん大きくなっていっている。なのに、活用すらできないでいる日本では、AI音痴の人になってしまっている人たちが、「AIはここに限界がある」「人間の仕事を奪ってしまう」みたいなことを偉そうに言うんですよ、知ったかぶりしてね。

パソコンやインターネットが出始めのころもそうだったんですよね。大人たちはすぐに未来を否定したがる。ハードウエアに固執して、それで日本は後れをとった。同じように、今度はAI革命に対してもインテリぶって、斜めに見るような人たちが、日本のAIの進化を決定的に遅らせてしまうんじゃないかと僕は危惧しています。

ビートルズも幕末の志士も当時はいかがわしかった
となると、令和に孫さんやソフトバンクグループが果たすべきミッションというのは、AI時代への懸念や踏みとどまる要素を振り払って、みんながAIの恩恵を享受できるような時代にするということですね。

孫そうですね。僕は、19歳のときに米国でマイクロコンピューターのチップを見て以来、一貫して情報革命のことだけを見ているわけです。ただ、その情報革命の最先端の波が10年に1回ぐらい変わって、パラダイムシフトしていく。その波の手前で、ほとんどの人がこの堰を越えるとなにか危ない世界が待っているみたいに考えて、手前の住みなれた世界、理解できる世界にとどまっちゃう。

言い換えると、日本の悪い癖は、自分たちがわかる過去の世界のことを本業と呼ぶ。本業からはみ出すやつは危険なやつだと、邪道だと、すぐに言いたがって、いかがわしい目で見るわけです。最近で言うと、「月に行く」と言いだすと、メディアもよってたかって厳しい目を向けたりね。いや、確かに彼らはいかがわしいですよ。でも、そのいかがわしさが必要なんですよ、堰を越えて波に乗るためにはね。

新しい文化というのは常にいかがわしいところから生まれる。ビートルズだって、当時、僕らが子どもだったころは、いかがわしいと。あんなのを聴いたら不良になると言われたわけですよ。でも今では音楽の教科書にも出てくるでしょう。

2001年12月、Yahoo!BBのモデムを無料で配布し、格安のブロードバンドを一気に普及させた(写真:ロイター/アフロ)

だいたい幕末の志士たちも、当時はいかがわしい連中だったんですよ。当時の“大人”たちは幕府の側にいたわけですからね。でも、いかがわしい若者たちが、新しい時代をつくった。幕府や藩の重臣の中には、いかがわしい若者たちがもしかしたら未来を切り開くかもしれないと理解を示した大人もいたわけです。

いかがわしさに喜びを
令和に何か日本が変わる必要があるとすれば、否定の文化から、許容の文化へ変わるべきだと。

孫そう。だから、今の大人たちも、全員とは言わず一部でもいいから、いかがわしい若者のエネルギーに対して、「もしかしたら、これが日本の未来にとって必要なことかもしれない」というふうに、理屈で理解できなくても直感で感じ取って、励ましたり応援したりする許容力をぜひ持ってほしいなと思いますね。

励ますというのは、なにか政府予算をつけるだとか、そういうことではなくて、たとえば「いいじゃないか」と言うだけで、それだけで空気は変わっていくんです。米国では、いかがわしい連中を「すごいぞ」とたたえる。それで、赤字なのに上場して、がんがん伸びて、いつの間にか黒字になって、ヒーローとしてたたえられるわけです。アメリカンドリームと言ってね。最近では中国でもチャイニーズドリームだと言って。でも、ジャパニーズドリームってないんですよね。

なにか歌にもあるじゃない、「ニッポンの未来は♪」とかって。日本の未来を明るくするために、みんなでワーッといかがわしく語り合おうよと。ニタッと笑いながら、みんなでわいわいやってお祭り騒ぎをすると。だから、いかがわしさに喜びを(笑)。これをしないと、僕は日本に明るい未来はやってこないと思いますね。

GAFAは、かわいいねと言っておけばいい
「GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)」と呼ばれる米国の巨人について、お聞かせください。AIをも含む第4次産業革命の時代においてもGAFAが主権を握ろうとしていると米国以外の世界が警戒しています。日本はどう対峙していけばいいのでしょうか?

孫いやいや、警戒したり対峙したり戦ったりする必要はないと思うんですよ、同志ですからね。革命を広げていくことが人類の未来に役立つんでね。

だから、別に長州だとか、薩摩だとか、土佐だとか言う必要はない。みんなが革命の同志で、彼らは彼らの得意な範囲で一生懸命、頑張ると。別のやつが別の範囲で頑張るから、彼ら自身も脱皮していかなきゃいけない。情報を整理して提供する、単なるつながるインターネットの会社から、AIを使って推論して、推奨していくと。そういうふうにサービスの本質を変えていかなきゃならない。

そもそも、GAFAだとか巨人だとか言っているけれど、じゃあ彼らがなんのビジネスを取っていったのかというと、広告と小売り、このたった二つなんですよ。これって日本のGDPの中の何%ですかと。広告なんて1%くらいでしょう。一般小売市場だって10%程度。残りの90%は、GAFAと言っているインターネットの巨人たちが、まだ全然、手に入れていない世界ですよね。

それに、これからAIがすべての産業をもう一度、再定義するという時代に入っていくわけです。つまり、たかだか1%ぐらいの市場で天下を取ったとか、取られたとか大げさなんじゃないのと。ああ、かわいいねと言っておけばいい(笑)。そのくらいの気持ちでいないと、考えは縮こまっちゃうし、卑屈になるだけです。

だから、これから新しい時代、新しい競争、新しい革命が始まるんだから、まずは自分たちが未来を切り開いていこうという大それた絵を描く。そういう気概や器を持った、いわゆる“大ぼら吹き”が、日本にも必要だと僕は思います。大ぼらというのは日本語ではネガティブな言葉。でも英語に直すと「big vision」と言うんです。素晴らしい言葉。だからエネルギーが出るわけです。

もう1日24時間では足りないくらい。革命の夜明けのときは、昼も夜もなく頑張らなきゃ、勝てない。ましてや起業家はそう思わなきゃ。

大きなビジョン、夢があるから、孫さんの活力はいつまでも失われないわけですね。最後に新時代に向けてこの特集を読んでいる読者にメッセージを。

孫何度でも言います。いかがわしくあれと。それで、大ぼらを吹こうよと。夢を持って大きなビジョンを描こうよと。

著者・編集:井上理 / Yahoo! JAPAN

写真:殿村誠士(別途記載の写真を除く)

https://heisei.yahoo.co.jp/interview/4.html

再生核研究所声明481(2019.4.4.) 改元に当たって、日本からの贈り物、ゼロ除算算法 ー 新数学

( 流石に 素晴らしい日本の文化。感銘しました。力が湧いてきました。凄い考えも浮かんできました。令和。

新元号 令和は、漢字、発音、形、由来、素晴らしいと感じました。 そこで、力が 湧いてきました。 ゼロ除算算法は 特異点の世界に立ち入った 全く新しい世界、数学ですので、 改元を機会に 日本発(初)の 数学の基礎の確立に貢献したい。 日本数学会、日本国の力をかけて 世界に貢献すべく努力したい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E5%92%8C

時ときに、初春しよしゆんの令月れいげつにして、気き淑よく風かぜ和やはらぎ、梅うめは鏡前きやうぜんの粉こを披ひらき、蘭らんは珮後はいごの香かうを薫かをらす。 )

そこで、万葉の美しい心情を篤く受け止めて ややもすると日本の文化、精神の弱点とみられる数理科学の基礎に 日本国が今後永く世界に貢献できる新数学として ゼロ除算算法の大きな展望を 新時代を迎えるに当たって述べたい。日本発(初)の基礎数学、新しい世界観を 世界の文化に貢献すべく世界に展開しようではないか。

そもそもゼロ除算算法とは、ゼロで割る問題 (ゼロ除算) から由来するが、ゼロ除算は 古くはアリストテレス以来 不可能であることの象徴と考えられ、物理学上でもアインシュタインの最大の懸案の問題であったとされる。特異点での問題はブラックホールの問題と絡ませて、現在でも広く議論されている。しかるにその本質はゼロ除算算法の概念で捉えられ、原理は解析関数の孤立特異点での 新しい世界の発見 として説明される。従来、特異点においては、特異点の近くでの研究を行い、特異点そこでは考えて来なかった。すなわち、特異点そのものでの研究を可能にしたものであるから、全く新規な世界、数学である。不可能であると2000年を越えて考えられてきたところ、可能になったのであるから、その大きな意義と影響は既に歴然である。その影響は数学の全般に及ぶばかりか、我々の世界観に甚大なる影響を与え、世界史の大きな展開期を迎えるだろう。現代初等数学は、本質的な欠陥を有し、数学の基本的な再構成が求められ、新しい未知の雄大な世界の解明が求められている。

今こそ、新時代を迎えるに呼応して、新数学、新時代を開拓して、日本国は世界に貢献できるように、努力して行こう。

これらの事実を裏付けするものとして、次を参照されたい:

再生核研究所声明 479(2019.3.12) 遅れをとったゼロ除算 - 活かされな い敗戦経験とイギリスの畏れるべき戦略

再生核研究所声明 480(2019.3.26) 日本の数学の後進性

以 上

再生核研究所声明 480(2019.3.26) 日本の数学の後進性

再生核研究所声明 479(2019.3.12) 遅れをとったゼロ除算 - 活かされない敗戦経験とイギリスの畏れるべき戦略

ケンブリッジ大学とミュンヘン工科大学のIsabelle 計算機システムはゼロ除算x/0=0 を導いた。

2019.2.16. 夜、奥村博氏から計算機が ゼロ除算ができるとの下記情報が寄せられ、下記の方と連絡が取れた:

この状況を思考して、声明の題名が湧いてきた。これは日本の広く自然科学や政治社会の後進性という 一面を示しているように感じられる。 日本の永い伝統を有する日本人の優れた感性に由来する いろいろな文化の質の高さ、音楽、芸術、宗教、庶民的な文化の高さに比べて、自然科学哲学、政治哲学などに 本質的に由来する面では いわば輸入の感じが今なお抜けきれない。 多くは欧米見習いの文化の色彩が 今なお濃厚であると判断せざるを得ない。 その特徴は 自立して価値評価ができず、欧米の評価などを気にしながら評価を手探りで行い、研究者として自立できず、本質的に欧米追随を範とする研究姿勢をとっているといえることにある。 日本の代表的な数学者、高木貞治や岡潔はヨーロッパで活躍して一流の評価を得る数学者になられたのであって、日本固有のものとは言えない。 その後のフィールズ賞受賞たちも 欧米で数学を発展させて国際的な評価を得ていると判断される。 その面で 佐藤幹夫氏の研究などは 日本独自なもので、研究の質は高く、一流とみなされるが、日本の評価や世界の評価も未だ不十分であると考えられる。 佐藤氏は 国際交流が盛んでなく、日本の自立が今だ不十分であるためと判断される。 しっかりとした価値判断ができるには 自然哲学など しっかりとした裏付けが必要であるが、その辺の基礎が未だに弱いと考えられる。

要するに 良いものとは 何かの価値評価ができない状況を 声明の表題は述べている。 我々は、良いものとは何かと絶えず問うべきである。 数学とは何かと問うべきである。さらには、人間とは、人生とは何かと絶えず問うべきである。

まず、心情を述べて、具体的に指摘して置きたい。

ケンブリッジ大学とミュンヘン工科大学では既に ゼロ除算算法を 計算機での実用化をなしていて、数学者のチームを作って研究されているということで 新奇なものに取り組む速さに 驚嘆させられている。 日本でのゼロ除算の反響の様子と比較すると驚嘆させられるが、驚嘆さは 多くの人にとって同様ではないだろうか。しかも、研究開発には秘密の部分が有って、 現状では詳しい様子が中々入ってこないようになっていることがよくわかる。 軍と政府の膨大な補助の下で計画が進んでいることは 研究計画の公表から分かる。 もちろんゼロ除算の研究だけでは無く、大きな課題の下でなされている:

It is nice to know that you will present your result at the Tokyo Institute of Technology. Please remember to mention Isabelle/HOL, which is a software in which x/0 = 0. This software is the result of many years of research and a millions of dollars were invested in it. If x/0 = 0 was false, all these money was for nothing.

Right now, there is a team of mathematicians formalizing all the mathematics in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 for all x, so this mathematical relation is the future of mathematics.

https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/

2019.3.6.15:23: To accept that x/0 = 0 produces no contradiction, using the rules of Isabelle/HOL. You could download the software and try to prove that 1 = 0 (this will be impossible). http://isabelle.in.tum.de/

There are millions of dollars invested in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 (this is not a joke): https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/

Prof. Saitoh derived that x/0 = 0 from pure geometric intuition and he was right.

2019.3.8.22:23: The deduction that z/0 = 0, for any z, is based in Saitoh's geometric intuition and it is currently applied in proof assistant technology, which are useful in industry and in the military.

そこで、簡単なおおざっぱな回想である。 後進性の一面を表している。

アルフォースが クライン群の論文を1964年に発表されて、 日本で ぼちぼち論文が出たりしたのは 20年も遅れてである。それで優秀な先生方が 研究を始めようとしたら、膨大な高級な論文が続々出て、専門著書さえどんどん出版されるようになった。 これではいくら日本の優秀な人が挑戦しても 大事な 基本的なことはなされてしまい、哀しい立場に置かれてしまう。思えば、多くの日本の数学は、同じようではないだろうか。 すると後追いの細やかな研究、末梢の研究に追い込まれ兼ねない。 この現象は 多くの後進国に見られる 仕方のない現象とも 言える。

そこで、新規な課題を大事にし、挑戦的な研究にも目を向けたい。 先駆けと表現されるような研究課題である。 その意味で、ゼロ除算の研究は絶好の研究課題であると考えられる。 現状は、しかし、既に組織的に研究されているというから、公になる前に 既に後れを取っているとも言える。

このような状況で、建設的に、前向きに進めるために簡潔に要点を纏めて、注意を喚起したい:

1)もちろん研究には、動機、目標、など大事であるが、新奇なものを大事に育てたり、挑戦する態度を積極的にすすめること、

2)展望が見えて、末梢であるとと考えられるものは研究課題に多いから、形式的な細分的なものや追随型は 省エネを考えるべきである。 いくらやっても大事ことが出ていないのが分かっていても 形式的な結果を出すために 仕方なくやっている研究課題が蔓延しているのが現状ではないだろうか。

3)数学者が競争心が強く、いたずらに難問に挑戦して、取り組んでいる姿が多くみられるが、研究は基本的であることを重視して、楽しい研究を楽しむような態度で 研究ができるように 段々にしていくべきでは ないだろうか。 研究者は立ち止まっては何のための数学かと問うべきである。

これらは誠に畏れ多いことであるが、率直に感情を真面目に表現したものである。その心は、己を空しゅうして より良い社会を築くように 率直な提案を行っていこうという 再生核研究所声明の趣旨にある。

以 上

再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切

(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

http://www.scirp.org/journal/alamthttp://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007

http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)

Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces

Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh

With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.

Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),

数学基礎学力研究会のホームページ

URLは

http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku)。

簡単に理由を纏めて置きたい。

1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。

2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。

3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。

4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。

5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。

6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上

再生核研究所声明222(2015.4.8)日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める

ゼロ除算の成果は 2015.3.23 明治大学で開催された日本数学会で(プログラムは5200部印刷、インターネットで公開)、海外約200名に経過と成果の発表を予告して 正規に公開された。簡単な解説記事も約200部学会で配布された。インターネットを用いて1年以上も広く国際的に議論していて、骨格の論文も出版後1年以上も経過していることもあり、成果と経過は一応の諒解が広く得られたと考えても良いと判断される。経過などについては 次の一連の声明を参照:

再生核研究所声明148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方

再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?

再生核研究所声明161(2014.5.30) ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究

再生核研究所声明163(2014.6.17) ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案

再生核研究所声明166(2014.6.20) ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観

再生核研究所声明171(2014.7.30) 掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する

Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics

Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$

再生核研究所声明188(2014.12.15) ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

再生核研究所声明190(2014.12.24)

再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0

再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界

夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明

― 再生核研究所声明193(2015.1.1)―

再生核研究所声明194(2015.1.2) 大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議

再生核研究所声明195(2015.1.3) ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について

再生核研究所声明196(2015.1.4) ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について

再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?

再生核研究所声明202(2015.2.2) ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待

再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え

日本の数学が、欧米先進国のレベルに達していることは、国際研究環境の実情を見ても広く認められる。しかしながら、初等教育から大学学部レベルの基本的な数学において 日本の貢献は 残念ながら特に見当たらないと言わざるを得ない。これは日本の数学が 大衆レベルでは 世界に貢献していないことを意味する。これについて 関孝和の微積分や行列式の発見が想起されるが、世界の数学史に具体的な影響、貢献ができなかったこともあって 関孝和の天才的な業績は 残念ながら国際的に認知されているとは言えない。

そこで、基本的なゼロ除算、すなわち、四則演算において ゼロで割れないとされてきたことが、何でもゼロで割れば ゼロであるとの基本的な結果は、世界の数学界における 日本の数学の顕著なものとして 世界に定着させる 良い題材ではないだろうか。

内容の焦点としてはまず:

ゼロ除算の発見、

道脇方式によるゼロ除算の意味付け、除算の定義、

高橋のゼロ除算の一意性、

衝突における山根の現象の解釈、

の4点が挙げられる。

6歳の道脇愛羽さんが、ゼロ除算は 除算の固有の意味から自明であると述べられていることからも分かるように、ゼロ除算は、ピタゴラスの定理を超えた基本的な結果であると考えられる。

ゼロ除算の研究の発展は 日本の代表的な数学である 佐藤の超関数の理論と密接な関係にあり(再生核研究所声明200)、他方、欧米では Aristotélēs の世界観、universe は連続である との偏見に陥っている現状がある。 最後にゼロ除算の意義 に述べられているように ゼロ除算の研究は 日本の数学として発展させる絶好の分野であると考えられる。 そこで、広く関係者に研究の推進と結果の重要性についての理解と協力を求めたい。

ゼロ除算の意義:

1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 1/0=0, 0/0=0をもたらしたこと。

2) ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。

3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。

4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、 独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。

5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。

6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。

7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。

8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。

9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:

基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。

10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。

11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:

現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかの未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。

12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。

次を参照:

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観

再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。

以 上

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。

一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269

1+0=1 1ー0=0 1×0=0 では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。

0??? 本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・

割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

まして、10個のリンゴを0人で分けた際に、取り分 が∞個の小さな部分が取り分は、どう考えてもおかしい・・・・

受け取る人がいないわけですから、取り分は0ではないでしょうか。 すなわち何でも0で割れば、0が正しいのではないでしょうか。じゃあ聞くけど、∞個は、どれだけですか???

小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・

ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。

https://www.pinterest.com/pin/234468724326618408/

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522#知恵袋_

一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。

Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

https://notevenpast.org/dividing-nothing/

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・

∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849/a37209195?sort=1&fr=chie_my_notice_canso

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849#知恵袋_

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。

唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/%E5%A0%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%8F%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E6%95%B0%E5%AD%A615.5.htm

世界中で、ゼロ除算は 不可能 か

可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・

しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでもセロであるという意外な結果が得られた。

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

天動説・・・・・・∞

地動説・・・・・・0

1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように

何とゼロ除算は、可能になるだろうと April 12, 2011 に 公に 予想されていたことを 発見した。

多くの数学で できないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。

Dividing by Nothing

by Alberto Martinez

It is well known that you cannot divide a number by zero. Math teachers write, for example, 24 ÷ 0 = undefined.

After all, other operations that seemed impossible for centuries, such as subtracting a greater number from a lesser, or taking roots of negative numbers, are now common. In mathematics, sometimes the impossible becomes possible, often with good reason.

Posted April 12, 2011More Discoverhttps://notevenpast.org/dividing-nothing/

アラビア数字の伝来と洋算 - tcp-ip

明治5年(1872)

http://www.tcp-ip.or.jp/~n01/math/arabic_number.pdf

地球平面説→地球球体説

天動説→地動説

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0

地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/.../que.../q12153951522#知恵袋_

一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように

地球平面説→地球球体説 地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス

地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン

地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス

天動説→地動説:アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/.../%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9...…

何年かかったでしょうか????

1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0

何年かかるでしょうか????

ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート)https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・

宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38

Reality of the Division by Zero $z/0=0$

http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。

そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。

先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。

反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。

いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。

大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。

複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。

ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。

地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。

以 上

追記:

http://www.scirp.org/journal/alamthttp://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007

http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdfDOI:10.12732/ijam.v27i2.9.

*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and

Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.

(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)

Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces

Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh

With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.

Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),

数学基礎学力研究会のホームページ

URLは

数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学数学基礎学力研究会の基本理念は{ 楽しい数学 }です。より多くの方々に「数学は面白い」と思っていただけるよう、種々の活動をwww.mirun.sctv.jp
D\"aumler's Horn Torus Model and\\ Division by Zero \\ - Absolute Function Theory -\\ New World

http://vixra.org/abs/1904.0052
Division by Zero and Bh\={a}skara's Example
http://vixra.org/abs/1904.0028
Division by Zero Calculus in Trigonometric Functions
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http://vixra.org/abs/1903.0566
Division by Zero Calculus in Complex Analysis
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Zero Expresses Non-possibility
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The Simple and Typical Physical Examples of the Division by Zero 1/0 ...

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Horn Torus Models for the Riemann Sphere and Division by Zero ...

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Zero and Infinity; Their Interrelation by Means of Division by Zero - viXra

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há 9 horas - Authors: Saburou Saitoh. In this paper, we first fix the definitions of zero and infinity in very general senses and we will give their simple and ...
We Can Divide the Numbers and Analytic Functions by Zero\\ with a ...

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03/02/2019 - Authors: Saburou Saitoh. It is a famous word that we are not permitted to divide the numbers and functions by zero. In our mathematics, {\bf ...
Avisos acerca de resultados filtrados
Para mostrar os resultados mais relevantes, omitimos algumas entradas muito semelhantes às 5 já apresentadas.
Se pretender, pode repetir a pesquisa incluindo os resultados omitidos.

そこで、ゼロ除算の理解は、未だ容易ではないと考えて、どんどん結果をプレプリントとして公表して行くこととした:

Saburou Saitoh
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Zero and Infinity; Their Interrelation by Means of Division by Zero
Authors: Saburou Saitoh
Category: General Mathematics
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Horn Torus Models for the Riemann Sphere and Division by Zero
Authors: Wolfgang W. D\"aumler, Hiroshi Okumura, Vyacheslav V. Puha, Saburou Saitoh
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A Meaning and Interpretation of Minus Areas of Figures by Means of Division by Zero
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The Simple and Typical Physical Examples of the Division by Zero 1/0=0 by Ctes\'ibio (BC. 286-222) and e. Torricelli (1608 1646)
Authors: Saburou Saitoh
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We Can Divide the Numbers and Analytic Functions by Zero\\ with a Natural Sense.
Authors: Saburou Saitoh
Category: General Mathematics

ゼロと無限大の関係を述べた論文原稿が 公刊されました:

Zero and Infinity; Their Interrelation by Means of Division by Zero

Authors: Saburou Saitoh

In this paper, we first fix the definitions of zero and infinity in very general senses and we will give their simple and definite relation by means of division by zero. On this problem and relation we have considered over the long history beyond mathematics. As our mathematics, we will be able to obtain some definite result for the relation clearly with new concept and model since Aristotle and Euclid.

Comments: 13 Pages. In this paper, we first fix the definitions of zero and infinity in very general senses and we will give their simple and definite relation by means of division by zero. On this problem and relation we have considered over the long history beyond mathema

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