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伝統が消えぬよう私たちはタブーをおかした(2021加筆修正版)①

島はすっかり春を通り越して、夏の香りがする。

島のニガイがもうやがて始まる。

ニガツバン、ンマミヌバン、と続いたら、竜宮を迎え、そしてムシバライウガン=夏の豊年祭が行われる。

タイトルにあることを書いたのは、もう、4年前のこと。

ずっと忘れられないし、忘れてはならないし、

そして、今も考え続け、突きつけられていること。

4年前のムシバライウガンで、私たちが島でおこした事件、というか、タブーについて、今一度思い起こしてみようと思う。


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以下、2017年、4月20日のfacebook投稿より。

伝統が消えぬよう私たちはタブーをおかした

長文です、時間があれば、読んでください。
身内に不幸があった家の者は、1年間は神事には参加できないという、島のしきたり、というか、そんな慣習が島にはあります。
昨年、4月に義父が亡くなり、梅ちゃんからの教えもあり、私は一年間、神事に遠いところに身を置いていました。
そして、また今年も1年間神事に参加できない身となってしまいました。
高齢化の島では、不幸があったのは我が家ではなく、今年はまた特に何件も続き、来るムシバライウガンへの参加辞退の声が続きました。
そうして、踊りの奉納ができるのは、Iターン家族の女性たち、数名だけであることが判明した時、一人の女性が言いました。


これって意味があるの??
こんなナイチャーばっかで踊って島の人は嬉しいの?
もう今年はこんな風だからって、人もいないからって婦人会の踊りは無しにした方がいいんじゃないの?


昨年もやはり不幸が多くて、参加できるものは僅かで、わずかながらでもIターンも島嫁もどうにか神事や行事で踊りを踊ってきた。
そして、そのわずかな人間に負担がのしかかっているのも痛いほど分かっていることでした。


今年だけじゃない、この先も、不幸があるたびに、神事に参加できない人がいる。
高齢化が著しい来間島では、その数は恐らく年々増えていく。


こうして島の神事や祭祀に参加する人間が減り、ゆくゆくは存続できない状態になりかねないのが、人口160名あまりの過疎の島の現状。
1年間の神事への参加への禁止、この慣習に囚われいる限り、島の伝統行事は成り立たなくなる、そう私は思いました。


私は決断しました。
踊ろう。
月曜日にお葬式をやった人間が、木曜日のムシバライウガンで踊るなんて、島じゃとても考えられない、タブーを犯すことへバッシングは目に見ている。
それでも、島の人に批判されても、笑われても良い、私は踊ろう。


義弟に話してみた。
彼は、黙ってうなづいた。
先輩島嫁に話してみた。
「ええと思うで。」
島に嫁いで30年すぎても、抜けない関西弁で彼女は言った。


それから、婦人会の仲間たちにも話してみた。
同じく喪中の島嫁が言った。
「亡くなったおばあは、私にこんな時だから踊るな、とは言わないはず。
むしろ踊れ、と言うはず。踊ってほしいと願っていると思う。」


別の島嫁が言った。Iターン者が言った。
「でも、不愉快に思う人もいるはずやで」
「周りはええ気持ちしないんじゃない?」
「昔は喪中とかそんなん関係なくやっていたとうちの人は言ってたよ」
「辞めたらもう二度と復活はできないと思う、それでもいい?」
それぞれの思いがあった。


様々な意見が交錯する中、かくして、もうみんなの心は決まっていた。
「みんなで踊ろう」
そんな思いを区長さんに電話で伝えた。
1年前に伴侶を亡くした区長さんはじっと話を聞いていた。
「みんなの気持ちは分かる」
「あした、カミンマたちと相談する。みんなとできる方法を考える、それが島にとって一番大事なことだと思うから、また明日電話するから」


そうして、返事を待つこと、丸一日。
この待ち時間が、島のリアル。
自治会役員の話し合いの中で、カミンマとの話し合いの中でも、賛否両論あったであろう。
これを快く思っていない人がいるのが分かる
慣習を守るべきだという人も絶対的にいる。
そして、伝言を受け取る。


「やりなさい、若い人がそうやるというならやりなさい、とカミンマは言っている」


そして、最後の最後に夫へ報告。
「わたし、あした、踊るら」
決めてから、いや決まってから報告するのはいつものこと。
「ふ~ん。まあ、いいんじゃない?」と夫。
これもいつものこと。


こうして迎えた、本日、ムシバライウガン。
おばあたちの会話が止まった。
それから広がるひたひたと広がるひそひそ話。
あからさまにとげとげしい顔もある。
覚悟はしていたが、けっこうきつい。
「だ、だいじょうぶなの?あんたたち?」
心配顔で駆け寄ってきたねえさん。
カミンマのおばあが、いつもと変わらぬ顔で私を見つめていた。
その目に宿る優しさを感じていた。


そして、踊った。
島に生きる喜びを、
神のために踊る喜びを
絶やさぬために、
繋ぐために。


古い慣習を捨てることで、伝統を守る。
ううん、そんなたいそうなことは考えていない。
いま、格好つけてみただけだ。
都会で生活する人にしたら、こんな慣習にとらわれて生活をしたり、いちいちお伺いを立てて物事が決まっていくなんて、まどろっこしくて、格好悪いかもしれない。
もっとスマートなやり方があるかもしれない。


だけど、これが私が生きる島。
私は嬉しい。
ただただ嬉しいのだ。
こんなにも素敵な仲間が島にいることが。
こんなにも私の生きる島が美しいことが。
空も海も、雲も、こんなにも美しい。
追記。


4月21日 ムシバライウガンの翌日の朝に記す。
今さらながら、恐ろしい。
自分の責任、ことの重大さが身に沁みます。
島の日々は、喜びと畏怖とともにある。

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