見出し画像

著:北澤 豊雄 氏 「ダリエン地峡決死行」(読了)が越境されたダリエンのエンバラ族と一緒にいた私。

中南米パナマ共和国に原生する、紺色に肌を染めるフルーツ「ジャグア」を日本に輸入し、化粧品加工してジャグアタトゥー用インクを販売しています。

京都へ用事で出掛けた時に、ふらりと立ち寄った本屋。
旅人のノンフィクションが好きなので、コーナーに目をやると、
真っ先にこの新書が目に入った。

ダリエン ? ダリエンってあのダリエン ? ダリエン って、

決死するような地域だったのか・・・

爆速で買いました。

画像2

「ダリエン地峡 決死行」著者:北澤 豊雄氏

「ダリエン地峡」と呼ばれるコロンビアとパナマの国境地帯。
過酷な自然環境に加え、反政府ゲリラや麻薬組織の運び屋が往来するなど、世界でもっとも危険な地帯と言われている。その道なき国境を、空路と海路をつかわずに歩いて踏破しようとした一人の男の、足かけ3年間に及ぶ挑戦の記録。
〜amazon 作品紹介より抜粋

なんとなくそっち(コロンビア)は危なそうだなぁ・・・くらいの危機感しかなく、パナマ在住のフロンティア精神溢れるアメリカ人ファミリーと一緒だから、何も心配することはなく、安心安全の滞在でした。

コロンビア国境越えの道路が繋がっていないとは知りませんでした。
コスタリカ方面だけでなく、1号線は大型トラックはバンバン走っているので、フェリーでコロンビアへ向かっていたんですねぇ。


================================================

私は今までに現地のサプライヤーや加工作業場を視察しに、2回パナマを訪れています。
1度目は2015年11月
2度目は2019年6月

遠回り旅が好きなので、
初回は、関空ー韓国(仁川)ーアメリカ(ロサンゼルス)ーパナマ(パナマシティ)

昨年の2度目の渡航は、私のパスポートにイランのビザがあるので、アメリカ経由は諦めて、関空ーオランダ(アムステルダム)ーパナマ
の行程にしました。

※イランのビザがあるとアメリカ入国出来ない、ということはなく、大阪(東京)にあるアメリカ大使館へ出向き、B-2ビザを申請、面接して、申請料を支払えば10年有効の短期観光用のビザを取得できます。
書類さえ揃えれば、すんなり貰えますが、面倒です・・・。


ヨーロッパ経由の南米は、一見とても遠回りに感じるけども、KLMだけで行けるので、途中アムステルダムの友人の家に遊びに行き、軽く観光してからパナマへ行きました。

画像2

この景色から11時間ほどで、パナマシティに到着。
そういや思い出した。

パナマに着いた時に、機内にラップトップを忘れていたのよ・・・。
頭上の物入れの中。Lost &Foundへ行って、必死で訴えて、無事手元に戻ってきました。あ〜よかった。

血の気引いたねぇ・・・。今まで何度も血が凍るような出来事あったけど、今思い出せるTop5は、

1)イスタンブールでのトランジット中にパスポート紛失(無事)
2)インド・ラダックで高山病&酸欠になり、山頂近くの救急テントに運ばれる(無事)
3)ドバイの空港でスマホ紛失(無事)
4)タイ・プーケットで食あたり&過呼吸で救急車で運ばれる(無事)
5)イラン・テヘランのアライバルビザで不備のため、イミグレの別室で6時間拘束(無事)


ん? 凍るほどでもないな、全部無事だし。自分の不注意だし。勉強になりました。 年々歳のせいか、方向音痴と物忘れが加速している気がする。いや、気ではなく確信している。もう無理はしますまい。

画像3

画像4

パナマシティーにあるオフィス・レジデンスで数日泊めてもらい、一仕事してから、車で東部ダリエン県まで行きます。
市内はどこも大渋滞しています。

3時間ほど走ると、一本道のボッコボコのアスファルトの穴を、トラップを避けるように滑走していきます。なんでそんなに穴あく?と不思議なくらい穴だらけなんです・・・。穴だけでなく、盛り上がりもあるし、対向車線を豪快にハイスピードではみ出して走行するので、あ”〜〜〜〜〜ぶつかるぅ〜〜という時は、そっと目を瞑ることにしています。(見なきゃ怖くない)

途中いくつか警備のゲートがあり、身分証明書を掲示するポイントがあります。そんなに厳しくなく、パスポートチェックでおしまいです。

熱帯雨林なので、1日に何度か大雨が降りますよ。

2015年に訪れた時、こちらのホテルに滞在したことがあります。


◉ Hotel and Restaurante Avicar

画像5

初めてのパナマだったので、先方さんが気を使ってくれたのでしょうねぇ〜
一泊だけでしたが、ハチドリがいたり、レストランも併設されていて、心地の良いところでした。



2度目からは、ジャングルの中のサプライヤーの自宅に泊めてもらっていました。

画像6

画像7

ジャグアジャパンのパートナーであるチャドとジェイソンは、1984年に両親と共にアメリカから、パナマのジャングルに引っ越したため、この地域で育ちました。
ファミリーでパナマのダリエン地区でのサポートをしています。
ジャグア事業のほか、モリンガ製品の製造販売、北米市場にも展開しています。

SANARA Farms Inc

なかなか、ダリエンのエンバラ族の場所まで到着しないな・・・。

すみません、続き「その2」を準備します。



次回は、
・エンバラ族の住む高床式の村を訪問・滞在
・交流やサポート活動
などをお伝えしたいと思います。

ではでは!ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?