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雛祭りを桃の節句に祝う⭐︎砂糖なしちらし寿司⭐︎ひな祭りの起源

3月3日は雛祭り
ちらし寿司を食べる日だ。

蛤は中国産で高額だったので断念。
代わりにアサリ、とも思ったが
結局、好物の牡蠣を購入。


砂糖なしでちらし寿司は作れるのか?

さて、砂糖を使わずにどうやってお寿司を作ればいいのだろう。

砂糖の代わりにみりん?
でも、本みりんの表示に糖類って書いてあるのが気になって買うのをやめた。
近所のスーパーの限界だ。
本みりんはあっても、ホントの本みりんは置いていない。

※ 糖類が添加されておらず、もち米、米こうじ、アルコールのみの原材料の本みりんを、ホントの本みりんと私が勝手に言っています。

仕方がない
りんご酢だけで酢飯を作るか。

原木栽培のスライス椎茸、蓮根、人参を醤油で煮るが、砂糖もみりんもなしでどうするんだ?

そうだ、
大根の漬物用に米麹甘酒を買ってきていた。
ひな祭り用の甘酒も兼ねている。
これを使ってみよう。

昆布だし、椎茸の戻し汁、醤油と米麹甘酒
テキトー分量


もしかして、酢飯の砂糖代わりに甘酒も使える?

胚芽米なのでちょっと色つき酢飯
酢4:甘酒2:塩1の黄金比で
3合米だけど2合米の分量で控えめに


最近、旅先での食事やら
連日の貰い物菓子やら、
お返しと思って買ったのに
結局1人で食べ尽くしたチョコなど

砂糖食べまくりの生活をしているのに
こんなレシピを考える意味はないかもだけど

この砂糖なしテキトーレシピを考案するのが
結構楽しくて気に入っている。

こんなに食べきれないから、半分以上は冷凍


ひな祭りの起源を探る

でも、もっと楽しかったのは、
雛祭りの起源を探ってみたことだ。

ひな祭りの起源は、上巳あるいは重三の輸入行事に由来しているそうだ。
上巳の節句とは、旧暦3月の最初の巳の日だったが、後に3月3日に定まる。
中国由来の行事と、日本由来の祓え行事とか雛遊びが習合していったようである。

現在のひな祭りは、
桃はまだ咲かない時期の節句となってしまっている。

これは、旧暦から新暦に変わって、桃がまだ咲かない新暦3月3日を桃の節句にしてしまったからか。
桃の花より3が重なる数の方が魅力的だったのだろうかと勝手に予想。

2月の節分は同じ数字が重ならないからなのか?日にちにはこだわっていない?

昔は大晦日に節分の豆まきをしていたという。現代でも新年の始まりともいう立春の前日に豆まきをしている。

しかし、

5月5日の菖蒲のない時期の端午の節句も

7月7日は梅雨時期で
織姫と彦星が雨のため会えない確率の高い七夕も、

季節より同じ数字が重なる日を選んで、現在も残されている。

まあ、仙台の七夕祭りは旧暦で行われているそうだが、旧暦の7月7日というわけではなさそうだ。旧暦7月7日ではなく、毎年新暦8月6〜8日にお祭りをしている。

というか、新暦を定めた明治時代。
それまで江戸幕府によって制度として定められていたこれら五節句の行事を
人々がその後の大正、昭和、平成、そして令和の世までやり続けるなんて予想していたのだろうか。

実際、新暦のカレンダーに残る五節句は、子どもの日としての端午の節句のみである。
カレンダーになくとも
1月7日は七草粥を食べ、
3月3日はひな祭り、
7月7日は七夕として願い事をする多くの日本人

9月9日はちょっと忘れられてる感もあるが、菊の節句である。菊まつりなんかのイベントは、10月や11月に行われていることが多いよう。


ひな祭りの話に戻ろう。
元々は女の子のお祭りではなく、流し雛のような祓い行事で、これも中国が起源かのような説もあるのだが、
もっと面白い説を見つけた。


※参考にした書籍は、鳥居礼著作の「言霊ーホツマ」

ホツマツタヱによる雛祭りの起源

越の国の皇子が手に木の実を持って生まれてきた。その実を庭に植えると、3年後の3月3日にりっぱな木に成長し、花も実も百個なった。
百(もも)になったので、それにちなみ、桃(百)の木と讃え名付けた。

まだ人成る前のヒナである二神
桃雛木尊(モモヒナ)と桃雛実尊(モモヒナ)が成人し、(つまり人と成り?)

神酒(ミキ)を
桃の花が咲いた3年目の3月3日にちなみ
三三九度酌み交わした後に
床入りされて夫婦の契りを結ばれた。

この婚儀を契機に、諸臣もそれに習い妻を納れ、諸民もこぞって妻を定め、国中に浸透していった。

、、、つまり、
雛祭りが桃雛木尊と桃雛実尊によって始められ
婚礼の儀式が制定されたことを祝い、
さらには子供たちが将来において結婚し、子孫繁栄に励み夫婦和合に努力することを祈念する祭りだ
…というのだ。

なんと面白い!

ホツマツタヱは、紀元前7世紀の縄文晩期に書かれたと言われているから、信じる人がいなかったことも過去の日本史教育を受けていれば仕方がないか。

その写本が最古でも江戸時代のものしかないからか偽書などとも言われている。

使われている文字も、漢字でも平仮名でも片仮名でもないヲシテ文字。

古事記や日本書紀と重なる内容もあるが、

ホツマツタヱが嘘なのか
記紀が嘘なのか

古事記と日本書紀も、書かれている内容に違いはある。どちらか一方を嘘とは言われていないのては?

ホツマツタヱが偽書ならば
なぜそんな作り話をしたのだろう。
現代人がファンタジー小説を書くような気分で
作り話を書いたのだろうか。


そういえば、江戸時代からという現代の雛人形は嫁入り家具もあるように婚礼を模している。

それを見て、ホツマの雛祭り起源を創作したのか

あるいは、
縄文晩期から伝わる婚儀の由来が、江戸時代のひな壇飾りに繋がったのか

何を信じるかで真実は変わるが

そんな日本の古代史に想いを馳せる、
この楽しいひと時。

私は、
桃の節句という暦的な節句は中国由来
だろうが、ひな祭りは日本古来のものと信じたい。

そうは言っても、そんなひと言では終われない日本の歴史。

だからもう少し勉強してみて、その探究を楽しむつもりだ。


ついつい夢中になって
随分と長い記事を書いてしまった。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

押入れには、
祖母が孫の為に手作りしてくれた
七段飾りの雛人形が
まだ孫は嫁に行ってないというのに
箱入りされたままの3月3日だけれど

なかなかいい雛祭りをお祝いできた気分に
満足している。

桃の季節ではないので、黄色い薔薇を飾って



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