大草原の小さな家感想録 ~シーズン3 1話 「にせの牧師さん」~

大草原の小さな家 をDVDで観返しており、その感想の備忘録です。内容についてのネタバレ大いにあり。

さて、シーズン3までまいりました。
1話めです。
一言で言うなら、
「くっそ、こんなので……」
でしょうか。

オルデン神父は高熱のため馬車の車中で倒れたところを、田舎の小悪党、ボッジキス夫妻に助けられます。
夫のボッジキスは、なんというか、妙に人なつこいところはあるが、人のものをかすめ取ることに躊躇がない感じの男。
オルデンが神父であること、火事で被災した街のために寄付を募るところだったことを知ると、自分がオルデンの友人という触れ込みで牧師になりすまし、インガルスのいる街ウォールナットグローブで義援活動を行い、その救援物資を横領することを思いつきます。

オルデン神父の服。時計(この時計には、ウォールナットグローブの住民がオルデンに寄贈した旨が刻印されております。これが重要な伏線となります)。それらを身につけ、単身馬に乗ってウォールナットグローブへ潜入します。

ボッジキスが街で初めて会った住民は、インガルス家のメアリーでした。
メアリーは牧師の助手を願い出、街のあちこちへ行って物資を集める手伝いをするのでした。
前半はメアリーのその聡明さが際立ちます。しみったれ銀行家のスプレイグ氏のところでは、スプレイグ氏の心をくすぐり10ドルよけいにせしめ(口が悪い)、なんとあのケチで有名なオルソン夫人を口車に乗せ、ただで物資を集めておく倉庫を借り受けます。
(その代わり、オルソン夫人は懐を痛めることなく60ドルの寄付をしたことがしたためられ、街の人たちにいい顔が出来るわけで、Win-Winというところ)
だが後半になると、ボッジキスの生来の人の良さというか、人を惹きつける魅力のようなものが、人々の心を動かすのです。
夫に先立たれた老婦人は、ボッジギスにかつての粗野だが明るく快活だった夫の影を見ます。
そして「死にたい」と言ったはずのその口で、流行歌をボッジキスと一緒に口ずさむのでした。
また、エドワーズ家の末っ子アリーシャは、病気の犬が日に日に力を落としていくことに心を痛めていましたが、その犬がついに虹の橋を渡ってしまい、消沈していました。
そこへエドワーズがボッジキスに「なんとか娘をはげましてほしい」と頼みます。
ボッジキスは言われるままにノアの箱舟の話をし、怪しい話はこびながらも最終的にアリーシャに犬を墓に入れる決意へと導きました。
エドワーズは彼に手を差しだし、感謝の意を表します。

そして。
計画通り、ボッジキスは救援物資を置いた倉庫から有り金を盗み出す……はずでしたが、その直前、オルソンと鉢合わせします。
ですがオルソンはまったくボッジキスを疑う様子を見せず、義援のために骨を折った牧師ボッジキスをねぎらいます。

そして、本来予定していなかった日曜日の礼拝。
(実は、土曜日には物資を盗んで家に帰る予定でした)
ウォルナットグローブの人たちが見守る中、ボッジキスは自分の犯そうとした罪を告白しようとします。

……と。
時系列を戻して。
実は、ボッジキスに献身的に付き従っていた助手メアリーは、ボッジキスの着替えの際、端に置かれたオルデン神父の「時計」に気づくのでした。
ここのメアリー(メリッサ・スー・アンダーソン)の演技は白眉です。
すっと表情が消え、「時計はここよ」とだけ告げるのですが、それだけでホッジキスが何者で、本当は何を企んでいたかを全て見通していることを示します。
このメアリーの目が、ボッジキスの心を動かした一因であったことは間違いないでしょう。

ボッジキスが全てを告白しようとしたとき。
熱病を克服し、黒服に身を包んだ姿で皆の前オルデン神父が姿を現しました。
驚き、何かを告げようとするボッジキスを制し。オルデン神父は口を開きます。
その言葉は、ボッジキスの罪を告発するのではなく。
ただ、感謝を告げたのみでした。

結局、ボッジキスは、礼拝に参加していた妻と共に礼拝堂を去り。
バックに賛美歌が流れる中、
「一体何が起きたのか分からない。初めての感覚だ」
といい。
「まあいいさ。家に帰れば食うに困らない程度の生活はできる。それでもいいかい?」
と妻に問います。妻の答えは Yes. でした。

さて。
ボッジキスという小悪党を改心させたのはなんだったのか?
ウォルナットグローブの人たちの温かさと、他人のために自分の持っているものを差し出す健気さでしょうか?
うーん。
それだけじゃない気がするんですよね。

なんというか。
ボッジキスという男は、元々倫理観が薄い男、というより、なにかかつてにワケがあって心が捻れたのではないか、という匂いがするのですね。
彼の語る苦労話は老婆を惹きつけますし、彼の朴訥な語り口調の神話が幼子の心を開かせたところを見ると、元々人の心に共鳴する資質をもっていたはずなのに、いつの間にかそれを忘れている、という感じでした。
まぁ、だからこそ奥さんもいやいやながら彼に付き従っていたのでしょう。

僕は、実はメアリーがかなり重要な役割を担ってたのじゃないかと思うのです。
彼は小悪党で、侮蔑されていることは慣れていたはず。
それが、メアリーや街の人たちに感謝され、牧師としての役に慣れてくるに従い、本来持っていた自分の快活なころの気持ちへと近づいていたはず。
なのに、日曜の礼拝当日、たった一個の時計からメアリーに全てを見透かされ、あの「見慣れた」(であろう)自分を嘲る、冷ややかな目を経験した。
街で初めて会い、自分を手伝い、心を通わせ始めていたという心があったはずで、それだけにこの侮蔑のまなざしには耐えられなかったのではないでしょうか。
しかしそんなメアリーも、オルデン神父の言葉にまた全てを悟り、オルデンが神の名においてボッジキスを「赦した」ことを心から喜ぶかのごとく、笑顔を戻すのです。
メアリーのこの心の揺れ動きを見ているだけで、観ている我々はなにか癒やしのようなものをもらったような気がするのです。

泥棒が改心する、ただそれだけの話。
なのに、こんなにもいい話になるのですね……。やられました。

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