大草原の小さな家感想録 ~シーズン2 12話 「父と子」~

大草原の小さな家 をDVDで観返しており、その感想の備忘録です。内容についてのネタバレ大いにあり。

なぜ途中からなのかというと、いい話だなぁ、から、つぼに入るまで助走があったからです。他の話についてはいつかまた。

エドワーズさんと、孤児となった3兄弟の長男、ジョンとの交流の話。
この義理の父子のお話に「父と子」というタイトルをつけた脚本家はすごい!
と思ったら、案の定本作の脚本はマイケル・ランドン(大草原の小さな家のお父さん、チャールズ=インガルスを演じた役者さんです)。
この人ほんま天才か、というくらい物語運びとチョイスする台詞がいい。良すぎる。

エドワーズとジョンは、お互いの価値観の違いから一見、うまくいってない。エドワーズは昔気質な、悪く言えば粗野、しかし情に厚い人間。
ジョンは物静かな文学肌の気質。悪く言えば神経質。
お互い、気持ちとしては相手を好きだし、好きでいたいのに、持っている感性や気質の違いから、相手が、自分が思うほど自分を好いていてくれてないのではないかと悩んでいて、そしてお互いに自分というものをもっと理解して欲しいと思っている。

本当の父と子だって、お互いの心の芯の部分なんて分からないし、分かり合えないし、もっと言えば人間相手なんだからそんなもんだろってわりきればいいじゃん、と思うんだけど。
それが出来ない、ちゃんと向き合いたいと願うほど、この二人は純朴であるということなのでしょう。

父親が子供に、自分の得意なことを教え込みたい、というのは、もう一種本能的な欲望なのではないか、とすら思うくらいで、エドワーズもご多分に漏れず、自分を理解して欲しいという気持ちを、
「自分が得意な狩猟をジョンに見せて、あわよくば自分を尊敬してほしい。そうじゃなくても、そういう経験をさせて、家に閉じこもりがちな子供に自然のいろんなことを教えてやりたい」
という形で叶えようとします。

一方で。
子供の方のジョンは、子供特有の神経で、
「文学好きで、世の男子と比べるとどこかなよっちい自分を、ふがいないと落胆せず、自分の得意分野である文章の才能含め、自分という人間をしっかりと見て欲しい。受け止めて欲しい。できれば好きになって欲しい」
という気持ちがあります。

この二人のすれ違いは、エドワーズがジョンに7ドル以上する(当時の通貨価値では、類推するに現在の、およそ30万円くらいに相当するのではないでしょうか。25セントの飲み薬が、貧乏な人には高すぎる、とあったので)ライフルを誕生日プレゼントに送り、ジョンを狩りに誘ったことで、表面化します。
その場はうまく取り繕おうとするジョンと、後日ジョンの本心を妻であるグレイスから聞いたエドワーズ。
自分の心を相手に分かって貰っていない、というわだかまりは、エドワーズとジョン、双方に降り積もっていくようでした。このへん、観ててどっちの気持ちも分かる観客としては、早送りしたくなるくらい胸の痛い場面であります。

約束通り猟に出掛ける二人。
途中、ジョンがエドワーズに、自分の思いの丈を文章で伝えようと手紙を渡す場面があります。
しかし、『とある理由』でエドワーズはその手紙を仏頂面で上っ面のみ眺め、すぐにポケットにねじ込むと、何ごともなかったように「いくぞ」とジョンに声を掛けたのでした。

これはエドワーズの失態と言えば失態なのですが、粗野なエドワーズに多くを求めてもしょうがありません。しかしジョンは、そんなエドワーズにはっきりと一度「落胆」します。
この落胆は、エドワーズという人間を軽蔑する方向に向う落胆ではなく、ジョン自身がエドワーズにとっては取るに足りない存在なんだ、という方向での落胆でした。
自分の思いを軽く扱われ、なかったことにされたのです。いわばジョンは「傷ついた」のです。

そして狩りを続け、二人は熊に襲われます。
このへん、最近の日本各地の熊出没情報ともかぶり、日本人にとってもタイムリーな設定となってます。
銃はジョンが持っています。熊にいいようになぶられる中、エドワーズは夢中でジョンに「撃て!」と叫びます。
ですが、内省的な性格の男の子がしばしばそうであるように、生き物を殺すことが全く出来ない性分のジョンは、熊の爪に引き裂かれ血を流すエドワーズを見ても、引き金を引くことができませんでした。

ここで、先ほどのジョンの「落胆」が、決定的な「インフェリオリティコンプレックス」として悲しみに定着してしまいます。
大好きな(義理の)父親の、命をすら助けることが出来なかった。
自分の「良いところ」を理解して貰えなかった焦りは、逆に父親の大切にしていたものを守れない貧弱な自分の本性を浮き彫りにしてしまった。

今まで、ジョン自身は「それでもいいんだ」と思っていたはずなのです。
戦ったり生き物を殺したり、世の男達が出来ることが自分に出来なかったとしても、自分には文章の才能があり、心優しき人間としていっぱしである、と信じて……いや。信じたがっていたはずですし、そういう形でエドワーズに理解して欲しいと思っていたはずです。

それが、現実を目の当たりにした結果、
「男らしくない、そして、父の望む子供像としても失格である自分」
を直視してしまい、その衝撃を受け止めきれないまま悩みに悩み抜くことになります。

エドワーズが医者にかかったあと回復しないうち、ジョンはその「ふがいなさ」の焦りから、動物を殺せる自分を探そうとします。
ライフルを構え、見つけた鹿に狙いを定める。
が。ダメ。
成長は急には訪れないし、自分の本心に嘘をついてまで「男のふり」は出来ない。地面に持ってきた銃弾を全てぶっ放し(ノックバックにびくともしない手首を持ってるけど、あんたホントは銃の素質あるんじゃ? と思ったのは内緒)、ジョンはその場にくずおれます。

そこへ来たのがインガルス。チャールズです。
自分の本心を懺悔し、自分を受け入れてくれない父親エドワーズへの思いを語ったところで。
チャールズから、エドワーズのある「秘密」が語られます。上記した、『とある理由』の、核心です。

エドワーズは、字の読み書きが出来ないのでした。
(まぁ、手紙を受け取った時点で、そうなんだろうな、とは思ってましたけれど)

多分ジョンは思ったでしょう。
まず、「言ってくれれば良かったのに!」と。
しかしすぐさま頭の中で否定したはずです。
銃を貰ったときに本心を言えず、狩りに誘われて行きたくないと言えずグレイスに代弁してもらい、さらには狩りについてきてさえ言葉に出来ずに文章にしたためてなんとか伝えようとした、およそ男らしくない小心者は、どこの誰だったのか、と。
そして、内省へと向ったはずです。
自分は確かにエドワーズに自分を理解してくれるよう求めた。
では逆に自分はどうか?
エドワーズの気持ちに、どれだけ報いようと思ったか?
自分のやったことは、狩りについて行くまでで、狩りを好きにもなれなければ銃の引き金を引くことも出来なかったではないか。

人間には、持って生まれた資質というものがあります。
それを裏返しにしてまで相手に自分という存在を認めさせることは、時に危険ですし、時に害悪ですらある。
でも、言葉や態度を重ね、お互いをお互いなりに理解することはできるはずです。

おそらく、人間の機微に敏感なジョンはそこまで考え、自分の「口」で、あのとき手紙へと「逃げた」自分の「言葉」を伝えに、エドワーズの眠るベッドへと向うのでした。

ここまで。
視聴者はジョンがあの時手紙になんと書いたのか。分からないままその内容を想像してきたはずです。
私は、ジョンが「自分を理解してくれるよう願」い、「狩猟には付き合えないという決別」を示す内容だ、と想像してました。
でもそれは、少し違いました。

ジョンは、それでも「親子になりたい」と望み、「相手の大切な人間でありたい」と、ただ願っていただけでした。
優しいなぁ。いい子だ。
そして。
その「言葉」は、「文字を読めないことを黙っていたために決定的に決裂してしまった」エドワーズの心に、しっかりと届き。
エドワーズはその腕にジョンを抱きしめます。

この物語の白眉は、最後のシーンにあります。
日常に戻り、ジョンがエドワーズを呼びに行った際。
小屋に篭もっていたエドワーズが、何をしていたかが明らかになって、この物語は終わります。

エドワーズが見ていたのは、読み書きの初級読本でした。

このシーンだけで、我々はエドワーズの心が手に取るように分かるわけです。 

エドワーズはまったくジョンと同じように。
粗野で、そのために相手を理解出来なかったことを「悔いては」いた。
しかし。
ジョンに、自分が思う以上の「言葉」をもらったことで。
思いが伝わり、相手の気持ちを受け取ることの「感動」を知ったのです。

自分が持っているすごいものを与えたい「父親」としてのエドワーズは。
子供が持っているすごいものを知りたい、「父」としてのエドワーズに生まれ変わりたい、そう願ったのでしょう。

素敵な家族です。
エドワーズは、これが出来る人なのです。

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