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とりあえず明日から


  とりあへず
  明日から酒を
  やめよかな

 と筆でしたためた。

 井上井月や長谷川利行のように、とも思うこともあったが、まだまだ青臭い己れを思えば、あそこまで飲み続ける力も無いのであろう。「やめよかな』と思わなければならぬほどに、飲んでいる日々に疲れてきた、とでも言うべきであろうか。

 
 書架より石川淳の「諸国奇人伝」を手にし、名文を目にして、またしても落涙を禁じ得なかった。

『さう、あやふく井月の死にざまを書きおとすところであつた。これは雜做もない。六十六歳のニ月、風来坊は糞まみれの行きだふれ、道に捨てられたも同然のすがたで、つぶれたようにくたばつた。けだし、有終の美である。風来坊の身柄を最後に引きつとたのは、枯田の中の道であつた。つねにつくるところの句句、みな辭世。さういつても、辭世としてつたへられるものに、
  涅槃會に一日後るゝ別れ哉 井月
 あるいはいふ。
  闇き夜も花の明りや西の旅  井月』

 ああ、駄目だ。やっぱり、この箇所を見るたびに、詩人たちの最期がまぶたに浮かび、涙ににじむ。

 ハンカチがないが、取りあえず、明日からやめてみよう、と手酌を続けていた。

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