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見える、聞こえる、

私は、耳が聞こえる。目が見える。


先日、大学のある授業で
「今のあなたが好きなもの(雑誌の写真)をコラージュしてください」
というクラス課題が出ました。

上の写真はそのとき私が作った作品です。

人間は様々な色を認知することができる。
私は色が好きで、鮮やかな世界が大好きです

しかし、自分の気持ちが不安定な時、
世界で輝く色は私の目を通って、ガラスの破片の様に心に刺さって来てしまう。

鮮やかな世界を求めてインスタグラムを開くけれど
成人を祝う振袖、コロナ禍での手持ち花火、、、
友達のキラキラしたストーリーを見て苦しくなる。

電車内の光でさえも眩しい、、、

苦しくなってしまって
部屋の明かりを消し、目を瞑り、暗い世界を求めてしまう。


そして、

人間は様々な音を聞くことができる。

私は、電車が走る音も、鳥の鳴き声も好きです。
人工的なものでも、自然なものでも、、、

いろんな生物、沢山の人が一生懸命生きるこの世界の音は
私が、自分が生きていることを感じさせてくれる。
ここは素晴らしい世界だと教えてくれる。

でも、耳を塞ぎたくなることもある。

私は中高生の時、クラスで1人になることが多くて
クラスの雑音や話し声が怖くなりました。

駅で沢山の人が喜怒哀楽の感情を出しながら話す中を歩くのが苦しくて、苦しくて
誰の声も聞きたくなくて
大音量で音楽を聞くことでシャットアウトする様になりました。

世界を切り離すことで
気持ちが安らぐ。落ち着くのです。


そして、私は水に潜るのが好きです。

音を聞かなくていいから。



私は、目が見えます。音が聞こえます。

この世界は素晴らしい色と音が沢山ある。
でも、それを感じて苦しくなることも沢山あって
真っ黒で無音の空間を求めてしまう

しかし、この世界には目が見えない人も、耳が聞こえない人もいる。

昨日、心も体も疲れ、帰宅した際、こんなツイートを見かけました。

このツイートを見て、涙が溢れました

私は目が見えるから、苦しくなったら自分は「真っ暗」を求めるけれど、
もし見えなければ、その美しさも醜さも感じることはできない。

そして、私たちの「キレイ」は
ほとんどの場合「見た目の良さ」が悲しくも関係して来てしまう
どうしても何かの偏見や評価的目線が入ってしまう。

でも、「キレイ」が「優しい」であれば、
その「キレイ」は苦しい時にこそ心をあっためてくれるもののはずであるし、
それこそとても「優しい」ものではないのだろうか

「美しい」と思うことは勿論素敵ですが、

私は「これ優しい、、」「あれも優しい、、、素敵だな」
そう思える様な人になりたいと思いました。


そして、YoutubeとTwitterで以前見た「耳の聞こえない赤ちゃん/人が初めてお母さん/大切なひとの声を聞いた時」という動画をもう一度見返して

「音が聞こえることは素晴らしいことなんだな、、、」

と再度感じました。


見えてしまって苦しいこと、聞こえて苦しいことは沢山あるけれど、

その中で「優しい」「素敵だ」「愛おしい」

そう思えるものを見つけていきたい。

大事にしていきたいです


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