とりあえず初めてみたという事から話し始めようか
Twitterに始まりさまざまなSNSサービスが増えるここ最近。
少しタイムラインをスクロールすれば新しい情報が現れ、良きにしろ悪きにしろそれは少なくない楽しみを俺たちに与えてくれる。
一方で長文を投稿しにくいというのが自分の悩みでもあった。
単に物書きとしての性なのかもしれないが、俺は人の話を聞くのが好きだ。
もっと言うのなら語る際の表情や声音、それらが弾むのを見聞きするのが好きだ。
コロナが発生し流行ったり収まったりを繰り返してはや3年ちょっと、今や交流の場というのはディスコードやLINEなどと言ったいつでも集まれて好きな時に話ができる、そういう場所にシフトしたのだろう。
しかしそういう場所では語るというのはあまり好まれない。
仕方のないことだ、それは相手の時間を独占し自分の価値観を一方的にぶつける行為なのだからそういう場では嫌煙されるだろう。
もしこれを読んだ人に互いに語れる相手というのがいるのならそれは間違いなく今の時代では得難いものだ、大切にしてほしい。
さて、話を本題に戻すと今回俺がnoteを作ったのは単純に自分の好きを余すことなく伝えることができる場所が欲しかったからだ。
多少小遣い欲しさという下心もあるがそれ以上に今のTwitterに少しばかり居心地の悪さを感じてしまっている。
それは自分の好きを語ろうとすればするほど必然的に長文となりいくつものツイートでタイムラインを埋めてしまうからだ。
Twitterには自分宛てにリプライを送ることで長文にする方法があるが正直なところそれは横のつながりがあって初めて成立するものだと思っている。
忌憚なく言えばRTしてくれる人がいるという前提があるからこそああいったシステムは成立するのだ。
だが俺のように何かを書くしか能がなく、それでいて文章という全部読まなければ分からないそれははっきり言ってこのシステムに向いていない。
ならば単発で打てばいいとも思ったがそれも単にタイムラインを圧迫するだけだ。
どうあれ俺はTwitterは語るということに向いていないという結論を下したのだった。
自分の意見や憧れ、そして何より好きという特大の感情。
それらが封じられてしまうのはひどく苦痛で何より寂しいものだった。
だからこそ俺はこの場所に、このnoteに居場所を求めた。
自分の好きを発信し続けるため、自分の憧れを見続けるため。
そんな些細なものが積もりに積もった結果、この場所が生まれたのであった。
さてご立派な演説をぶちかましてみたのだが実のところ方針や更新ペースなどは未だに定まっていない。
無数のコンテンツ同様飽きたら朽ち果てるだろうし気力や興奮が無ければ同じように滅びるだけだ。
だけどまぁいいと思っているものがあればここに発信していくだろうしリクエストなどがあればそれにこたえていきたいとは思う。
それにかつて自分が書いた小説などの解説や裏話、140字小説なども出来ればここに掲載して少しでも盛り立てたいとは思う。
だが結局のところ気力次第なので更新が無いと思ったらさっさと見限った方がいい。
結局のところここはチラシの裏、個人の好きを吐き出すための場所でしかないのだから。
そう言う形で不定期に更新していくので付き合える方のみ見てくれたならうれしい。
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