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DHALIA

GWもステイホーム週間となった5月。まだまだと思いつつもafterコロナ、withコロナの世界が徐々に見え始めた気がしています。だらだらと仕事しつつ、昨対比300%越えくらいの勢いでYouTubeを見たり、久しく聞いていなかったCDを発掘して、こんなの持ってたなと、懐かしく聴きつつだらだらと仕事をしてます。

XJAPAN 「DHALIA」

もともと手持ちのお気に入りのアルバムは片っ端からアップルミュージックに取り込んでi phonで通勤中に聞くという生活なので、聴きたい曲はいつでも聴ける状態であるしプレイリストも簡単に作れるのでマイベストを作って好きなのものだけをチョイスして聴いています。そんな中ふと「DHALIA」を聴きたくなりました。同名のシングルがあるからややこしいがアルバムの方を。ちなみに初めて買ったCDアルバムがこのXJAPANの「DHALIA」でした。XJAPANは本当に大好きなので自分で作った4種類のXJAPANリストをよく聴いているし、仕事に行く時に気が乗らない時など「RUSTY NAI L」のイントロや「オルガスム」のライブ版で気持ちを昂らせてめえらかかってこい的な気合いで電車に乗ってたりします。

信じられないことが実は起き続けている

96年に発売されたアルバムなのでもう24年も前に出たアルバムなんですね。XJAPANが解散するなんて全く想像もしていなかったのに、まさかこの1年後に解散してしまうなんて。HIDEの死は信じられなかったし、TOSHIが洗脳星に行ってしまうなんてことも信じられなかった。XJAPANが再結成したことも奇跡のようだと思うし、SUGIZOがXJAPANでHIDEの代わりに弾いているなんて20年前に言ったら頭がおかしいと言われるだろう。YOSHIKIとHYDEがコラボするんだよと高校生の自分に言ったら爆笑されるだろう。何より信じられないのは再結成から13年目になるのに出す出す言っているオリジナルアルバムがまだ出ないことなんですが。あとVIOLET UKも。そんなXJAPANヒストリーをなんとなく思い浮かべながら通して「DHALIA」を聴いていたら、痛々しいまでに繊細で激しい美しさを持ったアルバムであることを再認識させられ感動してしまった。

病的なまでに繊細で激しい倒錯的な美しさ

24年前に初めて聴いたときは、激しさと静けさが同居したアルバムで、両方ができるXJAPANはすごいバンドだと思ったのを覚えています。このアルバムを買ったときは音楽に特に興味があった訳ではなく、ラジオでスピッツのロビンソンがDJから紹介され一体どっちが歌っている人の名前かわからなかったくらいに知りませんでした。ミスチルって何?みたいな。ですので「DHALIA」がシングルの寄せ集めなどと言われている理由がよく分かりませんでした。全部シングルなんだから全部良い曲の凄いアルバムと解釈してました。だからそれはベスト盤だろうみたいな。改めてちゃんと聴いてみると、全部良い曲なんだから凄いアルバムだろうという認識は改まるどころか、24年前の自分正しかったじゃんとまで思いました。24年前は激しくかっこいいと思っていた表題曲の「DHALIA」。その感覚は今でももちろんありますが、激しいからこその美しさと切なさがあると感じ、このアルバムは全編を通してこの感覚を共有できるのだと再認識しました。これは名盤だと。

WHITE POEM Ⅰ

24年間このアルバムを聴かなかったということではないし、むしろ曲に関しては24年間聴き続けています。それなのに「WHITE POEM Ⅰ」にこれまでにないほど胸を締め付けられた。混乱の中必死に愛や死や美を掴もうとしているように聴こえた。そしてそこからはかなくも力強い生への欲求。こんなにこの曲を愛おしいと思ったことはありません。

いつしか当たり前になっていた自分の世界

自分のXJAPANプレイリストに「WHITE POEM Ⅰ」は入っていません。ライブでもパフォーマンス枠だったし入れるところない。でも、アルバム「DHALIA」にとってはその美しさと混乱を表現するための重要曲であり、アルバムの世界観を構築する役割を果たしています。当時メンバーは世界進出や肥大化したバンドの中でヴィジョンを見失っていたではないかと思っています。当時のインタビューでもYOSHIKIは、もうXはバンドじゃないと言っていたし、体の不調から速い曲を諦め、まだ未完成なのにもういいやと出してしまったと語っている。それはそれで事実なのだろうけど、それがこのアルバムの痛みともがいているからこその美しさに繋がっているのだと思います。そんなことを思い出していて気がつきました。いつしか自分の世界を自分で作ることが当たり前になっていたと。音楽に興味を持ち始めたとき、誰々が好きなどと言おうものなら1stから3rdアルバムまで聴いてから語れ、にわかは引っ込んでろよという雰囲気でした。僕の周りだけかもしれないけど。音楽雑誌を読めばアルバムの解釈やアーティストの世界観がどうとかそういうことが当たり前に書かれていました。どう解釈するのが正しく、お前はこれをどう解釈するのかを踏み絵の如く迫られるという時代が確かにあったと思うのです。もちろん今でもそういう見方や感じ方はあるでしょう。でもいつしかもっとライトにX JAPANって良いよね、ファンだよ、紅しか知らないけどが通用するようになりました。それはそれで素晴らしいことです。でも、表現された何かを必死で掴もうとし、作者の意図を感じて作品の世界観に浸る感覚を久しく忘れていたと「DHALIA」は思い出させてくれました。

移り気なこの世界で

正直どうしてこのタイミングでこのアルバムに感動したのかよく分かりませんが、どうしてなんだろう、信じられないということがこの世界では起き続けています。でもとんでもなく美しく愛おしいものもあるんだと、それは自分が構築するものではなく何かに寄り添うことで得られるんだということを思い出した5月の始まりでした。

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