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高貴な女性

 こんにちは。アウトプッター呉エイジです。

 今年は相棒の金平に宣言し、インプットよりもアウトプットの比率を多くしようイヤー、ということで、創作には程遠いですが、そう、随筆。呉エイジの随筆シリーズとして、ブログに書くほどのことでもない文章を、ここ、ノートにて手軽に書き残していこうかな、と思っています。

 読書でもそうです。インプットのつもりで読んでいても、読書というものは基本、娯楽なので、結局読み流されていく傾向にあり、己の血肉になっているようで、実はなっていない。

 そこで何をどうすればインプットが活かせるのか。それは仕入れた知識を早い段階でアウトプットすること。これに尽きる、とハウツー本の『アウトプット大全』に書いてありました。

『呉よ、おぬしは、かようなハウツー本にすがっておるのか』

 という声も挙がろうかと思いますが、作り手というものは、常に藁をもすがる思いで生きているのだ。何か創作に活かせないか、と常にアンテナを張り巡らせているのである。

 結果から言うと、このハウツー本は買って正解であった。

 インプットした知識を即、アウトプット、人様に説明することで、その作品のどこを面白がったか、が明確になり、本当に理解した事になる。そして、その形式を今後自分流に活かせる強い記憶として残るのだ。

 そして本日読んだ団鬼六の『檸檬夫人』である。

 これはちょっと衝撃であった。筋としては性に飢えた大学生が、誰でも良い、とばかりに勢いで同じ文学部である醜女の女子大生と一夜を共にするも、思い描く快楽には程遠く、前段として散々な性体験が忸怩たる筆致で描かれる。

 そして後半がそのフリを最大限に活かす、高貴な大学教授夫人との性行為のシーンである。

「お願い、私の口の中にお出しになって」

 これは衝撃であった。一体何フェチになるのか、この歳で何かをこじらせそうだ。

 かような話を熱っぽく始めると、相棒の金平は呆れ顔で

「オマエ、何歳やねん(笑)中2か」

 などと言い出すのだが、魂が揺れたのだから仕方がない。不謹慎な話題でフォロワー様が減ろうが、このまま話を続けさせてもらう。ふるいにかけさせてもらう。

 まず私は目を思い切り見開きながら

「そんな高貴で破廉恥な女性、ホンマにこの世におるんかい!」

 と虚空に向かって叫ばずにはいられなかった。

 学もある大学教授夫人、弱みを握られ、性に飢えた一回り歳下の大学生と事に及ぶのだが、そんなお上品な言葉で、そんな願いを口にするのか!

 そしてそれだけにはとどまらない。その高貴な教授夫人、一皮向けば淫乱なのだ。しかしそれを悟られまいと、必死に取り繕う。そこがとてつもなく上品でエロい。

「もうおかしくなっちゃうー、飛んじゃうー」

 みたいな事には決してならないのだ。スキモノの癖に、そうとは思われたくない高貴な女性は、口にお出しになって、と十も歳下の大学生に懇願しておいて、次に皆さん、なんと言ったと思いますか?

 私は瞠目しながらページをめくりました。その上品な教授夫人は、絶頂寸前の大学生に対する奉仕を突然打ち切り

「まだ、出してはいけません」

 と怒るのです。なんという高貴な寸止め。そしてどこまでクソエロ女か。

 そんなに簡単に果ててもらっては困る、夜はまだまだ長い、とばかりに、全然絶頂に導いてはくれないのです。

 高めるだけ高めておいて、寸前で打ち切り。

 私なら二回目くらいで、もう手を使わずとも床にボトボトボト、と頭の後ろを掻きながら情けない醜態を晒すことでしょう。

 世の中、こんな感じの学があり、言葉遣い、見た目も高貴なのに、ド淫乱な女性って、本当に存在するものなのだろうか。

 そんな事を夢想しつつ、そんな女性に辱めを受けてみたい妄想もしつつ、しかし私の耐久力ではそんな高貴な女性の要求に、とても耐えられるものでもなく、即、用済みであろうな、と真っ当な自己評価を下すのであった。

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