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逸材

 前に居た支店で、何の前触れもなく急に転勤となってしまった上司がいた。

 身長はゆうに190センチを超え、なかやまきんに君に比敵するガタイを持ち、風貌はみのもんたに似ているという、文章で表現すると脳内再生時にバグりそうな特徴だが、本当なのだから仕方がない。

 この上司、喫煙所(私はタバコを吸わないので、缶コーヒーでのお供になるのだが)などで二人きりになると、いつもとんでもない話題になり、これまでの上司ならば、現在の支店の売り上げだの、営業成績の話題になるのが常であったが、そのような会話になることなど一切なく、切り出されるのは、決まって女性の話題であった。

 全く仕事をしない上司ではあったが、仕事に人生を捧げて、家庭を崩壊させた上司や、イエスマンと化し権力を持つ上役に忠誠を誓う犬などに比べれば、私はこの上司のことを大いに買っており、好きであった。なかなかの逸材である、という評価を下していたのである。

「なぁ呉。ワシはな、一度女性と関係を持ったらな、こっちが面倒臭くなっても、向こうの方から猛烈に会いたいコールされるんや」

 上司は眉間に皺を寄せながらタバコの煙を吹かしている。

「ワシのを見た女はな『主人のと全然違う。コーラの瓶みたい』と決まって言うしな」

 私は唖然としながら聞いている。休憩時間とはいえ、陽もまだ高い業務時間中である。

「ワシのアレには、シャブに似た成分が含まれているのかもしれんなぁ」

 と真剣な顔をして言うのである。決して私を笑わせようとして言っているのではない。マジで悩み、その可能性を探りながら言葉を発しているのだ。馬鹿の会話は大好きなので、私は笑いを必死に堪えて会話を続ける。

「なぁ呉。この支店で誰が一番可愛いと思う」

 もう脳内が全てちんちんで構成されているような言葉しか出てこないのだ。

「そりゃあもう、坂田さんでしょう」

 私は率直な感想を意見した。すると上司は急に機嫌が悪くなった。

「アカン、アカン、あんな女、全然アカン」

 私の頭には疑問符が浮かんだ。公平に見て、坂田さんが綺麗なのは間違いないことであろう。

「なんでですか? ショートカットで色白ですし、笑うとホニャーっとなって目元が愛くるしいですし、肌も五十代とは思えないくらい綺麗ですし」

「アカン、アカン、あんな女、全然アカン」

 全否定され私も少々ムキになって言い返した。

「ええ? 坂田さんで間違い無いでしょう。スタイル良くてスレンダーボディですし、いつも良い匂いしますし」

「アカン、アカン、あんな女、全然アカン」

 上司は阿修羅のような形相で、全く私の意見を受け入れようとはしない。そうして私が手を替え品を替え、坂田さんの魅力を伝えているのに、脳みそが筋肉の上司は、同じフレーズを三回も繰り返している。馬鹿なのかな、と思った。

 後日、同僚のまさよし君に、この一連の流れを説明したら。

「あぁ、それは坂田さんに言い寄って、剣もほろろ、冷たくあしらわれたのでしょう」

 という名推理が飛び出した。今は私もこの説に賛同している。

「他に候補はないんか、呉よ。言うてみろ。ホレ、小森なんてどうだ? オマエはどう思っている」

「小森さんは、ですね。私の見立てでは、隠れ巨乳だと思いますね」

 これを言うや否や、上司は明石家さんまもドン引きするくらいの引き笑いで目を見開き、手を叩きながら喜んだ。

「も、もっと呉、もっと小森に思っていることはないんか?」

 と、このように物凄い勢いで小森さん情報を上司は欲しがるのである。

「彼女、離婚して十年、シングルマザー歴が長いですよね。もし今、彼氏が出来たら、久しぶりすぎて火がついちゃうかもしれませんね」

 これを言うや否や、上司は先ほどよりも更にハイトーンの引き笑いで私の両肩を持つと、大喜びしながらユッサユッサと私を揺さぶった。

 こんな馬鹿馬鹿しい話しかできない上司のことを、私は大好きだったのだが、この会話の数ヶ月後、上司と小森さんは、突然の人事異動で、それぞれ別の支店へと飛ばされていった。送別会も朝礼での別れの挨拶もないままに。

 何がどうなってそうなったのか。シャーロックホームズでなくとも、誰でも推理できるような事件であり、恐らく貴方が組み立てた推論も、きっと真実であろう。

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