悪魔との契約
三十歳のバースデーは、これといって変わった事など何も無かった。
俺は日課であるインスタントラーメン卵二個乗せを慣れた手つきで作り終えると、鼻歌を歌いながらご機嫌で食べていた。
都会に出てそろそろ十年になる。
彼女がいないのは生活の中で女性との出会いがないから、というわけでもなかった。
メタボ体型にアブラぎった顔、何年も同じ服に、スパイシーなワキの臭い、これらを好きな女性が世間には少数、ということなのだろう。
孤独にもすっかり慣れた。このまま適当にフリーターをやって、好きなアイドルを追いかけたい。
贅沢はお気に入りのアイドルグッズを買うくらいで、暮らしは同年代と比べたら質素な方だと思う。
贅沢は望まない。収入が少なければそれに見合う生活をすればいいだけの話だ。
実家に帰れば両親から「いつまでフラフラしてるんだ」と何度も言葉を変えながら怒られるので居心地が悪い。
ここ何年かは盆を飛ばして、帰省するのは正月だけになってしまった。
一人で迎えるバースデー。寂しさを紛らわす為にテレビのボリュームを上げた。
するとテレビが、いや、アパートの電気が全部消え、周囲が暗闇に包まれる。
「うわ。て、停電か? それにしては真っ暗だ」
俺がブレーカーまで移動しようとしたその時。
「お世話になりますぅー。突然で失礼しますぅー」
「うわぁ、誰だお前は」
暗闇の中で急に天井から照らされるスポットライト。黒い身体、尖った耳、猫みたいな目、先端が矢印マークの様な尻尾。
「お初ですぅー、わたし、悪魔いいますぅー」
悪魔は低姿勢でペコペコしながら挨拶した。
「ええっ、悪魔ってあの不吉系の? 地獄から来た、みたいな?」
「そんな言い方されたらなんか傷付きますわ。人を第一印象で決めんといてほしいですわ」
悪魔は作り笑いをしながら上目遣いで俺を見つめている。
「ちょっと、やめてよ。悪魔なんかとお近づきになりたくないし。申し訳ないけど出て行ってもらえる?」
「飛び込み営業で申し訳ないとは思うてますが、話だけでも聞いて下さい、お願いします。ノルマがありますねん」
悪魔は必死になって頭を下げる。
「ノ、ノルマって何ですか?」
「悪魔の仕事のことですがな。もう難しいこと抜きにして腹割ります。ぶっちゃけで言いますわ、願い事ありますか?」
「うわー、絵に描いたような『うまい話にはなんたら』ですね。間に合ってます。帰ってください」
「いやいやいや、そんなつれないこと言わんと。あれっ? このアイドルのポスター。もしかして大ファンとか?」
「ええ、まぁ」
「この子とSEXとかしたい。とは思いまへんか?」
「ええっ?! 本当ですか? そんな事が可能なんですか? 総選挙一位ですよ? APP69(アーペーペーシックスティーナイン)の『ゆまま』は」
「出来ます出来ます。やっと食いついてくれましたね」
「それが本当ならお願いしたいのはやまやまですが…、タダでは、ないんですよね?」
「そうですそうです。やっと今月一件獲得出来そうですわ。私らこの契約で査定されますよってに」
「ちなみに何のノルマですか?」
「あぁ、美しいですわ。ギブ&テイク。契約は命と引き換えなんです」
「うわー、無理無理無理。確かに『ゆまま』の事は死ぬほど好きだけど、まだ死にたくない。リスクデカすぎ。SEX一発が命? 高すぎですって」
「ま、待ってください、早とちりせんといてください。命は寿命から一年貰うだけですやん。私ら悪魔は色々人間を訪問して、一年ずつ奪っていきます。チリも積もれば、で、それは凄い悪魔パワーになるんです。集めた何人もの命のカケラを、悪魔の元締めに納めるんです」
「一年?」
「そうです。人間いつかは死ぬんですから。それに今なら手数料はこっち持ち、メーカー三年保証も付きます。あっ、それからスタンプカードはどうされます? 1分でお作りできますが」
「なんですか、それは」
「取り敢えず『お試しコース』始めて下さいな。途中で『キャンセル』と叫べば、全部消えて元どおりになりますんで。じゃあ始めてみますよ?」
「お試しコース?」
聞き返している途中で、テーブルの上の携帯が鳴った。
「もしもし」
「突然すいません」
聞き覚えのある声。
「適当にダイヤルしてます。怪しい者じゃありません、お願いですから電話を切らないで下さい」
切羽詰まった声だ。とろけるような甘い声。CDで何回も聞いた『ゆまま』の声だ。
「今日オフで買い物してたら不審者に付きまとわれて、ポケットからナイフが見えたんです。あっ、すいません、私アイドルやってます。APP69(アーペーペーシックスティーナイン)の『ゆまま』といいます」
「知ってます知ってますとも。大ファンなんです!」
「良かった、知ってくれてて。で、私パニックになってスマホを適当にダイヤルしたんです。もう怖くって」
「ちなみに今何処ですか?」
「◯◯駅南口の大通りを走って逃げてます」
「ええっ? それ俺のアパートの前の通りじゃん! ちょっと待って」
俺はアパートの窓を開け首を出す。向こうから『ゆまま』が走ってきた。
「マ、マジか!」
俺は慌てて外に飛び出した。
「突然すいません、変な電話しちゃって」
とんでもなくいい香りがする。
「不審者から身を隠さなきゃいけませんね、グズグズしてはいられませんよ」
「どうしたらいいですか?」
『ゆまま』の天使の瞳が目の前にある。
「ラブホテルで数時間隠れて、不審者をやり過ごす。っていうのはどうでしょう?」
俺は思い切って言ってみた。
「それ、いいアイデアだと思います。まさかラブホテルまで追っかけてこないでしょう。一人じゃ入れません、ご一緒してもらえますか?」
ゆままが腕を組んできた。柔らかい胸が二の腕に当たる。
「押しかけて助けて貰った上にすいません。わたし、財布どこかで落としてしまったみたいで。お礼できることがあるとすれば…」
俺の顔はにやけきった極限の表情となっているに違いない。
ホテルに入ったらシャワーはこういう場合どちらが先に入るものなのだろうか。そもそも結合してから一分もつだろうか。白い裸体をみた瞬間、股間のコルトピースメーカーは暴発してしまうのではないだろうか。
手を繋いで歩いた。スキップしそうなくらい嬉しかった。いや、スキップしかけていた。いざ道路向こうのラブホテルへ。
ドンガラガッシャーン!
視界が高速で横にずれる。アスファルトの色、空の色、見慣れたバスの車体の色、どうやら側面からバスが突っ込んできたらしい。いや、俺が飛び出したのか?
目の前がかすむ。俺は首だけになっているのか? 色々な俺のパーツが色々な方向を向いてバラバラになっていた。
暗転。
黒いローブを着たドクロ。背中には巨大なカマをしょっている。
「うわ、死に神かよ。話が違う。悪魔と契約したんだ。まだ『ゆまま』とやってない。契約違反だ。ポイントカードも作ったのに」
俺は必死になって死に神に抗議した。
ドクロだから喋れない様子である。死に神は揉み手をしながら悪魔以上に低姿勢でペコペコしている。
ローブの袖からタブレットを取り出して俺に手渡した。悪魔タブレットと刻印されている。
俺はタブレットに目を落とした。
画面には「悪魔ウィキペディア」が表示されていた。
2016年3月22日12時半。俺は自宅で31歳の誕生日を玉子三個乗せラーメンでお祝いしている途中、長年の偏食と、成人病と、脳梗塞と、心筋梗塞と、心臓発作を併発し死亡。と書かれていた。
今から丁度一年後、であった。
〜終劇〜
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