濁流の中の虫

 家族五人が昼の食卓についた。

 全員が座った事を確認し、母親は静かになるのを待ってから手を合わせる。

「いいですか、じゃあいきますよ。お父さん頂きます」

「お父さん頂きます」

 私は静かに頷いた。

 朝、昼、晩。私が居なくとも行われる我が家のしきたりである。

 母親は食事の度にこの号令をかける。

 ともすれば家の中での最高権力者が母親に成りがちな現代社会。

 父親の有り難さを忘れないようにする為、子供が生まれた時に二人で決めた「家族のルール」であった。

「おい、ハルオ、世の中で一番大切なのは何だと思う?」

 長男のハルオは暫く考えてから静かに答えた。

「頑張ってお金を稼ぐことかな?」

「ふむ、確かにそれも大事だ。だが世の中にはお金よりも大切な物がある。それは嘘をつかず、正直に生き、人から信頼や信用を得る事だ。そうやって社会で生きていく事だ」

 決まった。私は腕を組んで目を閉じる。

 バックでは「カァーッ」という効果音が鳴り、いや、この説明では分かりにくいかもしれない。

 演歌「与作」で ヘイヘイホー の直後に鳴るあの「カァーッ」という効果音の事だと思っていただければよい。

「ミサも分かったか?」

 長女も目を潤ませて熱心に聞き入る。感動しているようだ。

 大人には自然になるものではない。自分で意識して「父親になる」のだ。

 そうでなければいつまでも子供の延長だ。私は家族に悟られぬ様に苦笑いをする。

 貰った小遣いの殆どを、趣味で散財する生活は、45歳になった今も変わることがない。だが趣味と教育は別だ。私は父親の顔と趣味人の顔を割り切って使い分けていた。

「お父さんの大事なお話、忘れないようにするのよ。じゃあ冷めない内にお上がりなさい」

 テーブルに目を落とす。本日の昼食は、卵かけご飯とチキンラーメンの卵乗せてあった。

「(卵、卵やんっ!)」

 私はメニューがダブル卵になり被っている事への不満を、なんとか寸前で飲み込んだ。これを指摘すれば嫁の機嫌が急降下する事は分かりきっていた。

 せっかくの穏やかな休日だ。できるだけ平穏に過ごしたい。

 テレビに目をやる。日曜の昼だというのに悲惨なニュースが流れていた。

「見てみろ、残酷な事件じゃないか。お前ら、学校ではどうだ? イジメとか不良とか」

「大丈夫だよ、お父さん。僕らの学校ではこんな事起きないよ」

 返事を聞き少し安心する。今の世の中、被害者の方が泣き寝入りだ。加害者の人権の方が守られる。

 更正するためとはいえ、関わった方は天災にあった、とでも思わなければやりきれない事件も多い。やられ損な世の中である。

 日々目を覆う、信じられない事件が多発していた。犯罪も年々凶悪化し、年齢も低下している様に感じる。

「いいか、馬鹿でもいい。かといって勉強しなくてもいい、って意味じゃないぞ。そんなに成績が飛び抜けて良くなくとも、人様を傷付けたり、ましてや人生において殺人など、魔が差しても絶対に起こすんじゃないぞ」

 私は二人の子供の目を見ながら祈るように言う。

 卵を溶いてかき混ぜたチキンラーメンを食べようとしたその時、非常識なテンポでチャイムが鳴った。

 私は驚いて箸を止める。なんだか家の外も騒がしい。

「なんだ、今のチャイムは。嫌がらせか? 気味が悪い」

「アナタ、なんだか怖いわ、見てきてくださらない?」

 妻と子供達が不安げな目で私を見る。仕方がない。大好物のチキンラーメンに後ろ髪を引かれつつ、私は玄関へと向かった。

 恐る恐る戸を開けると、テレビドラマで見るような刑事二人組が、警察手帳を胸からチラ見させ、強引に家の中へ入ろうとした。

「な、なんですか? 貴方たちは」

「ん? 警察手帳が目に入りませんでしたか?」

 若い方の刑事が私の額にこすりつけるくらいの勢いで、警察手帳を再度突き出してきた。

「見えます、見えますけども警察がウチに一体なんの御用でしょうか?」

 私は相手の気迫に気押されそうになりながらも、必死になって反抗を試みた。

「よくもそんな呑気な顔をしてすっとぼけていられるもんだな、オイ」

 若い方の刑事は目に血管を血走らせながら、強い力で私の胸ぐらを掴んだ。ユルユルの十年物のトレーナーであったので、まくれ上がって贅肉に包まれた腹がさらされてしまった。

 外で笑い声が漏れる。いつの間にか近所の人達が我が家を取り囲んでいた。

「まぁ待て、ヒデ。そんなに急ぐな。我々を振り切って逃げる様子もなさそうだ」

「す、すんません。繁さん」

 若い刑事がヒデ、年配の刑事が繁さんということらしい。

「ご主人、隣町に住む岡部さんのご主人、ご存知ですよね?」

「あっ、ええ、岡部さんなら知っていますよ。子供会役員で一緒でしたから。その岡部さんがどうかしたんですか?」

 言い終わらないうちに刑事のヒデは、いきなり頭髪を鷲掴みにして私の頭を柱に打ち付けた。

「呑気に言うもんだな、おい」

 私は突然のことに、ただオロオロとするばかりであった。

「な、何をするんですか」

 私はカッとなって、ヒデの横っ腹を思いっきり蹴り飛ばした。その衝撃で、結構な量の頭髪が抜けた。

「あっ、公務執行妨害。今の撮った? テレビさん。でも全然効いちゃいねぇよ。弱っわー。何、このオッサン」

 ヘラヘラとしながらヒデは振り返りながら、後ろに控えるテレビカメラにアピールしていた。どうやら中継されているようだ。担がれている大きなテレビカメラには、見覚えのある地元のケーブルテレビのロゴが入っていた。

「ご主人、いや、暮坂英二。その岡部さんが今日の昼頃、向こうの公園で頭から血を流しながら倒れているのを近所の方が通報してくれてかけつけた。重体だ。意識を失う前にアンタの名前、暮坂英二とだな、何回も口にしたんだよ。あの様子じゃ死ぬ。死ぬ前に必死になって犯人の名前を言い残したんだよ」

 温厚そうに見えた刑事の繁さんのビンタが、私の頬へ綺麗に入った。

「いや、何を言うんだ。わけがわからない。動機がない。岡部さんになんの恨みも私は持っていない」

 私は涙目になりながらも、必死になって無実をアピールした。後ろを振り返れば、家族の冷たい目が突き刺さる。

「い、今も子供達に犯罪に手を染めるな、という説教をしていたところですよ刑事さん。なぁ、子供たち」

 目の前では上目遣いで睨み付けてくる刑事二人、後ろには不信感に包まれた家族の目。外に目をやると、近所のオッサンがスマホで一連のやり取りを動画で配信しているようであった。

 私はカッとなって裸足で外へ躍り出た。

「おい、貴様、何を録画している」

 その勢いのまま私はオッサンを突き飛ばした。

「何をする犯罪者。人を殺しておいて、クズだな。そうやって平気で人を殺すんだな。殺人者目の前なう」

「なんの証拠があって私を殺人者や犯罪者呼ばわりするんだ。貴様の目で私が罪を犯す所を見たとでも言うのか?」

「証拠だってよ、往生際悪っる。これだけ警察とテレビ来てるんじゃ犯人間違いないっしょ」

「なんの根拠もなく、薄っぺらい正義振りかざして他人様を糾弾してるんじゃねぇぞ阿呆が。間違っていたらどうするんだええ? 責任取れるのか?」

「拡散する。拡散してやる。犯罪者の言い逃れ、許せない人はRT。俺、フォロワー一万人いるからな、思い知れ。人間のカスがぁっ」

「お前はフォローを何人しているんだ」

「9998人だけど…」

「じゃあ実質のお前のフォロワーは二人じゃハゲ!」

 オッサンは私を睨み付けながら、異様に興奮した状態で必死になりながらスマホで入力を続けていた。

「家宅捜査だ」

 二人の刑事が問答無用とでも言うように、上がり込んでいく。続いてテレビカメラも続く。

「な、何をするんだ。勝手に人の家に上がるな」

 バーゲン朝の、百貨店の開店時間のように、人の流れが一気に玄関へとなだれ込む。テレビカメラが家の中を映す。リビングに目をやると我が家の玄関が映っている。生中継だ。

「勝手に撮影するな。プライバシーの侵害だ」

 人の流れは濁流となり、私はその中で、全く何も抵抗出来ない無力な昆虫のようようであった。

 刑事の二人が私の部屋へと上がり込む。

「この押し入れが怪しいな」

 刑事の繁さんが押し入れに手をかける。

「な、何をするんだ。勝手に人の家のものを開けるな」

 阻止しようとした身体が一瞬宙に浮く。ヒデが私の頭髪を後ろから鷲掴みにしたせいだ。貴重な頭髪になんてことをしてくれるのか。

「あった、これだ、証拠物件ひとつめ」

 私の大切なコレクションが詰まった段ボールから、刑事が無造作に取り出したのはCD媒体のゲームソフトであった。

「やりやがったな、暮坂。こんなもんに熱中していたとはな」

 刑事が手にしたのはメガCD版のゲーム。モータルコンバットである。

「なんだ、ヒデ、こりゃ」

 繁さんが私が奪い返そうと伸ばしたを振り払いながら聞く。

「これは実写取り込みの残虐シーンが満載の対戦格闘ゲームですよ」

 テレビカメラがアップでソフトのパッケージを映す。「凶悪犯人の押し入れに、残虐テレビゲーム所有」とでもテロップを打つつもりなのだろうか。

「こ、こ、こんなもんがなんの犯罪の証拠になるというんですか。わ、私はレトロゲームのコレクターです。このソフトもその一環です」

 必死に訴えるが人だらけになった八畳間で、同情の目を向ける者は誰一人としていない。

「この奥はなんだ」

「や、やめろ、開けるな。箱から出すな」

 ヒデは買ったままの未開封のフィギュアを取り出して、テレビカメラに映りやすいように見せびらかした。

「峰不二子のフィギュアか、いい歳こいた中年が悪趣味だな、おい」

 なんでこんな目にあわねばならないのか。私が何をしたというのか。

「私が稼いで趣味で買ったものだ。誰にも迷惑をかけているわけじゃない。日本は自由の国だ」

 それを聞いたヒデは、目を剥きながら私に殴りかかってきた。

「昔からよくあるだろ、幼女犯罪の部屋にロリコンビデオ。残虐犯罪者の本棚に江戸川乱歩。貴様の持ち物が「やりました」って言ってるようなもんじゃねぇかコラ」

 私は殴られた痛みで目眩がしてきた。

「犯罪者の部屋、証拠だらけなう」

 先ほどのオッサンも勝手に上がり込んで私の部屋を撮影している。

ガシャン。

 ガラスの割れる音がして、妻と子供達が叫ぶ。家に投石されたらしい。このオッサンがスマホで住所を拡散したためだ。

「繁さん、決定的な物が出てきましたよ」

「や、やめろ。それは映すな」

 刑事の手にあるのはパッケージのビデオが二本。「太陽戦隊サンバルカン」と日活ロマンポルノの「軽井沢夫人」であった。

「どういうことだヒデ」

「これはですね繁さん、サンバルカンのレッド役と、基地の女性オペレーター役がですね、この軽井沢夫人で濃厚な絡みのシーンがあるんですよ。ですからこいつはまず最初にじっくりサンバルカンを見て、正義に燃える爽やかな若い二人のビジョンを頭に叩き込み、その後で軽井沢夫人を観て、どうせ戦隊の非番の日、みたいな設定を勝手にでっち上げているんでしょうよ、二人の裸で抱き合うナニのシーンを眼球飛び出させながら見てですね、興奮を倍増させてたってわけですよ、子供番組使ってなぁ、この鬼畜野郎が!」

 言いながらヒデは思い切り私のみぞおちに蹴りを入れた。モロに入ったので、私はたまらず床中にゲロを撒き散らした。ファブリーズでも落ちそうにない、なんともいえぬ臭気が部屋の中に充満する。

「日本に憲法がなかったら、俺は今すぐこいつのチンポの先の余った皮にだな、ハサミで切り込みを入れて、タコさんソーセージのように皮を品剥いてやりたいよ。麻酔無しで」

 何を言うとるんじゃこいつは。私は勝手に熱くなって一人で語っているヒデをボンヤリと眺めていた。私ではなくテレビカメラの方に映りやすいように身体を向けている。なんのアピールだ。出世のためか? 正義とは一体なんなのだろう。

 外はなんだかシンナー臭い。スプレーで壁に落書きでもされているのだろうか。

「この奥は何がある」

 繁さんが奥の段ボールに手をやろうとした。そこはまずい。無修正のビデオが隠してある。これは本当に罪に問われる代物だ。

「や、やめてーっ」

「凶器でも隠してんのか、オイ」

 ヒデが、私のユルユルになった十年物のトレーナーのズボンを引っ張って邪魔をする。

 無残にもズボンはずり下ろされ、追いすがる格好で床に前のめりで繁さんの足にしがみついていた私の尻は、テレビカメラに映されてしまった。

 切れ痔を患っていた私の肛門が映し出される。60インチの4Kテレビを所有する近所の鶯谷八十吉(85歳)は、真っ赤な花弁が大写しにされた瞬間「マンモスフラワー」と叫んだとか。

 そこへ別の刑事が来て二人に小声で話しかける。

「何、この隣町に同姓同名の男がいる? 岡部と同じ会社だって?」

 下半身が丸出しになって、何かが壊れた音が頭の中で響いている私の耳にも、会話の内容は聞き取れた。

 ゆっくりと人の波が外へと移動していく。テレビ局関係者が「住所を割り出せ」と叫んでいる。警察より先に中継へ向かうようだ。

 警察はあやまるのか、あやまるだけか、どう保証してくれるのか、心の傷はどうしてくれるのか、拡散された情報はどう収まりをつけてくれるのか、しばらく勘違いした投石や落書きが続くのではないか、私の個人的な趣味が流出してしまった、会社の者達はどんな目で私をみるのだろうか、家族と溝が確実にできた、これはだれが責任を取るのか。

 色々な想いが頭の中に渦巻いている。しかし、どんなに考えてみても「昨日までの状態には二度と戻らない」ことだけは間違いなさそうであった。


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