帰省の夜

 俺の名は金平。職業は漫画家。二十年以上、プロとして一応名乗らせてもらっている。
 相棒の幼なじみ、呉は
「バイトもせず、それ一本で食べているんだ。立派なプロじゃないか。オマエをプロと言わずに何と言うのだ」
 と俺を気遣って言ってはくれるが、アイツは俺の本心を全くわかっちゃいない。おそらくいくら説明しても理解することなどできないだろう。俺のこの心の奥に巣食う、社会に対する申し訳なさを。 
 永遠に満足しない自分の技量や技能のことを。
 そんな呉とも会うのは何年ぶりだろう。世界がコロナに犯されてから、久しく会ってはいない。
 俺は東京で漫画家、やつは姫路でサラリーマンをしながら日曜作家。
 あいつは適当に見えて、結構手堅い人生を歩んだ。嫁さんと子供三人にマイホーム。昭和の常識を忠実に守った生き方だった。
 アイツは俺の方が『凄い』と言ってくれる。なにが凄いものか、サラリーマン勤めが死ぬほど嫌で、非常識な辞め方をして逃げるように上京しただけのことだ。
 サラリーマンだと常に成績やノルマを上司からネチネチと指摘されるのだろう。そんな生活に放り込まれたら、数日で発狂する自信がある。とても無理な生活だ。呉の方が俺は凄いと思っている。
 まぁ、そういう互いに違いすぎるところが、学生時代から続いている交際の秘訣なのかもしれない。
 映画も音楽も、好みは奴とは全く違うというのに。
 コロナ以前では、盆と正月、帰省した折りには、奴の車でいろんな所へ連れ回されるのが常だった。
「俺といなけりゃ、日本に住んでても、こんなに観光名所には来てなかったろ」
 それがアイツの口癖であった。やつの趣味である城めぐりも、俺が困惑した表情を浮かべても、それをノリだと思っている節がある。本当にそれほど、やつほどには喜んではいないのだ。
 分かっているのか、気付かないフリをしているのか、長男のアイツは次男気質の俺を強引に引き連れ回す。
 俺の最高の快楽は、部屋で漫画を描き続けることだけなのに。
 それでもそういう無茶な所も含め、刺激と気晴らしにはなっており、幼なじみの有り難さを会えば思い出すのだった。
 東京での仕事が長引き、新幹線に乗る時間がすっかり遅くなった。
 紙媒体の雑誌はこの十年で激減し、それに伴って当然書き手の枠は狭まっていった。運良く仕事があることに感謝して、そして収入を考えながら支出を抑え、今回の帰省も自由席を選んだ。
「こんなに遅くからでは、呉も家を出れば、あの厳しい嫁さんにどやされるだろう」
 だいたいの帰る日程は伝えておいたが、家庭持ちの相棒を呼び出すには、さすがに遠慮する時間帯に新幹線は姫路へと到着している。
「今日は漫画喫茶にでも泊まって、呉とは明日会おう」
 コロナ過から回復しつつある姫路の街並みを横目に歩きながら、まぁこの街の潤いは世界遺産である姫路城の力によるところが大きいのだろうが、まだ悲惨なシャッター商店街には落ちぶれていなかった。
 滞在中、なるだけ経費は抑えたかった。できれば街一番、安い宿泊料の店が好ましい。
 何店舗か、小綺麗な電飾看板を掲げた漫画喫茶を通り抜け、姫路城の近く、一本裏路地に入った通りに
『外国人観光客歓迎。格安ユースホステル』
 という汚い手書きで書かれた看板を見つけた。
「どこがユースホステルだよ」
 名称は横文字だが、建物は昭和の木造建築で、かつては定食屋であろう場所を改装して再利用しているようであった。そういう連盟に加盟しているとは到底思えない。
 それでも素泊まり二千円、の破壊力には逆らえなかった。簡易ビュッフェサービス付き、の文字も有り難かった。
 心配性は年々加速し、一日一食が当たり前になっていた。慣れればどうということもなく、痛む胃さえコントロールできれば、寝て目覚めれば翌朝だ。夜食分の経費が浮く。胃の痛みより、貯金が減る心の痛みの方が堪えた。
「すいません、ごめんください」
 営業しているのか、していないのか。店内は薄暗く、カウンターに人影は見えない。
「すいません」
 乱暴とは思ったが、カウンターの足の辺りを軽く蹴飛ばした。
 やっと気付いたのか、奥から太った中年女性が出てきた。頬は肉で圧迫されて鼻と一緒に押し上げられ、髪はてっぺんで団子になっていた。白いエプロンは汚れており、これでこめかみに薬を貼っていれば、寅さん映画などに出てくる昭和の女中だ。
 目が合った途端、女将の動きが止まった。そして細く薄い目で睨みつけられる。それはもう、とてつもなく嫌なものを見るような目つきで。
 この辺りは呉からも散々忠告されているところで
「オマエ、ダメージジーンズを通り越してボロボロやんけ。そのチェック柄のシャツも八十年代のオタクと違うねんから」
 と言われてはいたが、服装に金などかけたくはない。風呂も入らねば死ぬ、というわけでもない。すえた臭いをさせていたかもしれないが、こちらは客だ。
「一泊お願いしたい」
 女将は尚も乞食を見つめるような目で返事をしない。日本人に見えるが、アジア系の外国人であろうか。それならばこの対応も理解はできるが。
 大体見た目で判断する、というのも今の時代どうか、とも思う。
 農作業の格好をした中年男性が泥だらけの靴でベンツのショールームに行き、店員に追い払われた所でポケットから札束を出し
「別の外車を買うわ」
 みたいな都市伝説を聞いたことがある。宿泊する金くらいこちらも持っている。舐められてはかなわない。
「部屋は無いのか?」
 女将は通路の一番奥の部屋をアゴで指した。カウンターの横から見えるラウンジには白人の宿泊客の姿も見える。この女将も外人なのかもしれない。
 ため息をつきながら廊下の突き当たりの部屋に落ち着いた。
六畳の部屋でトイレ、シャワーは共同のようだ。マンガ喫茶のような作りで、ワンルーム、テレビだけの施設であった。掃除はされておらず、汚れが目立った。
「なんだ? この部屋は。金払いを怪しまれて、適当な部屋をあてがったか?」
 リュックを下ろし座椅子に身を沈める。どうも嫌な部屋だ。
 嫌な波動が部屋中から感じられた。恐る恐るテレビの裏側を覗いてみると
「やっぱりな」
 テレビの背面にはお札が貼られていた。
「何か曰く付きの部屋、ってわけか。格好で舐められたもんだな。定価から値下げしてもらってもいいくらいだ。薄気味悪い」
 霊感にはとんと疎いので、帰りの会計でケチを付けて宿泊料金を値引きしてもらうことを考えていた。
 座椅子から伸びて床にうずくまる。腹が減った。こうやって丸まっていれば、胃の痛みも少しは和らぐ。
「そうだ、簡易ビュッフェが付いていたんだ」
 思い出してカウンター横のラウンジを抜け、食堂へと向かった。
 先ほどの女将が愛想笑いを浮かべながら、白人のトレーを片づけて見送る所に入れ違いで入る格好となった。
「おいおいおい、ほとんど無いじゃないか。補充してくれよ」
 食べ放題、と壁に張り紙はしてある。が、トーストとスクランブルエッグとフライドポテトの容器は、ほとんどが空になっていた。
「ハングリー、イート」
 片言の単語でコミュニケーションを試みる。
 それでも女将は汚いものでも見るような目つきを変えなかった。
「なるほど、そういうことか」
 ビュッフェは十一時まで、という張り紙も横にあった。時計を見れば十一時をわずかに過ぎていた。
「ケチ」
 そう吐き捨てて、スプーンでスクランブルエッグをかき集め、口に運んだ。
 女将はまだこちらを睨みつけたままだ。アンケート用紙に対応の悪さを書き残しておこう。経営者に伝えねば気が収まらない。
 空腹のまま部屋に戻った。再び床に丸まって胃の痛みに耐える。丸二日、ろくに食べていない。
 テレビ横の壁に貼られているメニューを見た。
「ピザ、八百円。ピラフ千円。ぼったくりだな。誰が頼むか」
 明日になれば呉とドライブだ。あいつはセルパブ用の表紙絵代、といっていつも飯をおごってくれる。
 あいつはそういう人間で、新婚当時、小遣いが一番無いときに俺が送ったプレステ2や、ドリームキャスト本体の恩を未だに覚えてくれている。
「まだまだおまえには借金があるわ」
 と言いながら笑う。明日はラーメンでも一緒に食べようか。そういうことも何年ぶりだろう。
「それにしても腹が減った」
 空腹を誤魔化す為に、水分を採ろう、と考えた。しかし先ほど後にした食堂の営業時間は過ぎている。
「それならば水分はどこで補給したらいいのだ?」
 俺は腹が立って内線を手に取った。
「もしもし? 水を飲みたいんだがね」
 乱暴に受話器を置いた。その瞬間、背中の入り口がガラリと開いた。
 鍵はかけなかったか? 合い鍵で侵入してきたのか?
 振り返れば無愛想な女将が半泣きで立っていた。
「水を飲みたいんだがね」
 俺は強気で言い放った。
「まったくこの時期になったら……。なんべんも迷惑かけよってからに」
 日本語を話したので少し面食らった。喋れるんじゃないか。
「こっちは初めて来たんだ。一体誰と勘違いしているんだ?」
 女将は俺が動かしたテレビに気付き、位置を直そうとしたのかテレビに手をかけた。
「そうそう、なんだそのお札は。気色の悪い」
「貼っても意味無かったのぅ。どれだけ金かけたら御利益あるんじゃ」
「はぁ? なんて接客だ。ここは気に入らない客を追い払う為の部屋か?」
 一呼吸置いてから女将は、細い目を大きく開き、充血し切った目で睨みつけてきた。
「よう見ぃ! この開かずの間はなぁ、おどれがケチってケチって食事を採らず、そのまま空腹で餓死した部屋じゃ!」
 よく見れば、部屋は何年も使われていない様子の蜘蛛の巣だらけの部屋であった。なんで今まで気付かなかったのだろう。
「ええかげんに往生しぃや!」
 悲鳴のような女将の叫び声に、少し身体が浮いたような気がした。
 何もかもが霞んでいくなかで、呉とドライブできなかった無念を胸に、次も全部忘れて再びここへ訪れそうな予感に包まれるのであった。

〜了〜

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