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クレアの人生


クレアです。noteをご覧頂きありがとうございます。

私は現在、「クレアの食速報」という
youtubeチャンネルをやっています。

チャンネルをはじめたのは2021年4月
はじめてから、ほぼ毎日投稿をしてきました。

チャンネルの内容は

・毎日の基本である「食」にまつわること

・テレビではあまり取り上げないニュース

主に炎上事件を扱っています。

「炎上系なんて人の悪口なんじゃないの?」

「難しいニュースはテレビで十分」

「専門家の意見じゃないのに役に立つの?」

と思われるかもしれませんが、

私はそういう方にこそこのチャンネルを見て欲しいです。

私がこのチャンネルを通して伝えたいことは
もっともっと明るく楽しいことだからです。

もしあなたが
以下の悩みを持っているかたでしたら、


■仕事に追われ、楽しみがない

■家に帰っても疲れて寝るだけ

■ずるい人間が得をする、そんな世界は嫌だ

■大人になってから知り合いが少なくなった

私の人生の集大成であるこのチャンネルは

きっと悩みを解決できると思います。


最初に、自分がどんな人間で何をしてきたのか。
大病を患っていたことにより
人とは少し違った道を歩んでいた私の過去を
お話します。

そして、今の私を作っている

二つの経験について、ご紹介したいと思います。

10歳から病気と共に

小学生の頃の経験で、
今の私が出来ていると言っても過言ではありません。

小学生の頃の私は健康優良児。

ド田舎生まれで、
自宅から学校まで徒歩60分かかりました。

毎日6時に起きねばならず、
早起きが苦手な私が朝一に必ず考えることは

「起きたくない」
「学校行きたくないなあ」

しかし風邪のひとつも引かない私は

眠気まなこで登校し始めるのでした。

弟は喘息気味で
たびたび学校を休んでいたので、
いいなあ。と思うときもありました。
今では小学生らしいなと思います。

そんな私が、10歳の時。
毎日続く微熱に悩まされます。

町医者の診断では、ただの風邪だろうと。

微熱以外に症状はなく、
最初は学校を休ませていた両親も
「今日は学校行けるよね」と行かせるように。

そんなある日突然、
朝起きると手がかじかんだように固まり、
満足に開くこともできなくなりました。
パジャマのボタンが外せず
おかしいな?と思ったことを
今でも覚えています。

大学病院へ受診し、
膠原病(全身性エリテマトーデス)と診断されました。
自分の良い免疫抗体を自分自身で攻撃してしまう、
免疫不全の病気です。
患者の9割が女性で、難病にも指定されています。

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私は受診時状態が悪く、
その日のうちに小児科に入院となりました。

結果的にこの入院は2ヶ月半にも及ぶ
長期入院となりました。

入院することに成ったときは
小学生特有の変な憧れから
「入院!?なんか楽しそう!」と
ポジティブすぎた私ですが、
2ヶ月は小学生にとっては退屈すぎ、長過ぎました。

小児科は隔離されており、買い食いはおろか出歩くこともできず、
病院が自宅から遠く離れていたためお見舞いに来る日も限られており
入院生活の中での私の楽しみは、1日3回の食事だけでした。

小児科に入院中の子どもたちの多くが私と同じ気持ちで
食事の時間を待ちわびていました。
配膳の時間には待ちきれずに自分の部屋から飛び出し、
メニューを確認する子がたくさんいました。

もちろん好きなものを食べられるわけじゃないし、
病院食は薄味で小学生にとっては質素なものでしたが
それでも本当に毎日の楽しみでした。
大好きな趣味のお絵描きは、
いつしか病院食の「食レポ漫画」になっていました。

もともと食いしん坊な私ですが、
食事が人生の楽しみとなっているのは
入院生活でのこの経験があったからだと思っています。

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そんな入院生活中、
このおとなになった今考えても、人生で一番の悲劇が訪れます。
院内でウイルス性の胃腸炎にかかってしまったんです。
一日中吐きながらお腹を下す毎日。
あんなに楽しみにしていた食事も、匂いを嗅ぐのも耐えられない。
個室に隔離されて、誰にも会えない。
トイレは部屋にポータブルトイレが設置されますが、
数分置きに看護師さんを呼び下したものを処理して貰わなければならない。
ご飯が食べられないので栄養の点滴を繋がれて、
ただひたすらトイレに座りながら吐く日々。
当時十歳の私は本気で思いました、

「これ死んだほうが絶対楽だ。」

その時の気持ちはまだ鮮明に思い出せます。
今この瞬間よりつらいことなんて人生で絶対ないと。思いました。
(10歳なんですけど)

だけど病院にいるし、死に方なんてわからないし
そう考えてる瞬間にも病状は落ち着いていき、
いつしか辛くなくなって・・・ ご飯も食べれるようになって・・・

そしてそれが私の人生で一番の教訓になりました
「死ななくてよかった!笑」
「つらい日々は、いつか必ず終わる!」

10歳のとき考えたことは、当たっていました。
この経験より辛いことなんて、もうなかったんです。

私は、本当に死にたいくらい絶望したり、辛いことがあっても
この経験があったから前を向けます
「どうせあのときみたいに、あとから死ななくてよかったって思うんだよな」
って考えることができます。

私より痛くて、辛くて、重大な病気を抱えていたり
どうしようもない悩みを抱えてる人もたくさんいると思います。
そういう方に言いたいです、
いつかそれは必ず終わるから生きていて、と。


友達に嫌われた理由


そんなわけで10歳の時に最強の経験をし、
怖いものなしになった私。
それが悪く働いたこともあります。
 
ポジティブすぎたんです。

「なんとかなるなる!」がモットーになり、
友達の中でもとにかく明るいキャラクター。
悩んでる時間って勿体ない、1秒でも多く笑って過ごしたいよね
と、当たり前に思う毎日を送っていました。
それは、私が持病を抱えながらも
それを意識させないくらい周りに恵まれていたからです。
万全の治療を受けさせてくれる両親、配慮してくれる学校、
変に気遣うこともなく接してくれる友達。
周りの人がいてくれて、私は自分は幸せ者だと思って生きていました。
悩みもなかったです。

そんな中、高校生のとき同じ部活の友達から、恋愛相談をされました。
好きな人に好きな人がいて、悩んでいるといった話だったと思います。
私はいつもの調子で「なんとかなるなる!」をやってしまいました。
私の役割は、その人の悩んでいる時間を少しでも笑っている時間に変えること
だと思っていたからです。
その子は、「あなたとは真面目な話ができない。いつも笑い飛ばされる」
と言って怒ってしまいました。
それは私が全く持っていない価値観でした。

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悩みを聞く、相談に乗るということは
前向きにさせたり、解決に導くことだけではない。
「一緒に悩んで、泣いてくれる」人というのが、とても大切なんだと。

人生は人それぞれで、一人ひとり悩みぐらい持っている
子を愛していない親もいる、親に愛されず育った子もいる
同性が好きで、一般的な恋愛より難儀な恋愛を強いられている人もいる
今日を生きるのに精一杯の人もいる
病気で、自分の思いも伝えられない人がいる

そんなことを理解できるようになったのは、まだ少し先の話なのですが。
どうしようもないものを抱える人がいて、
ただ一緒に泣いてほしい場合がある。
ということを、私は彼女の言葉から学びました。

強いだけが正義じゃない

と、今は思います。

多角的に見ることは今、私のモットーになりました。
もともと、私は正義感が強いほうです。
白か黒かハッキリさせるのが好きですし、
人やものごとに関しての好き嫌いも激しいです。
ただ、私が思う正義は「私の中の正義」
でしかないということは肝に命じておかなければならないと思っています。

時事ニュースを伝える上でも、
反対意見、賛成意見、どちらの意見も参考にするようにしています。
「私はこう思うから反対意見は聞かない!」ではなくて
いろんな意見を聞くことでハッと気付かされることも多いです。

ときには、徹底的に理解できない人というのもいると思います。
ツイフェミさんとか、どうしても無理だ、という人を見るたび
「私の一部は「こういうのが理解できない思考」でできているんだな」と確認します。
彼女らもまた、私の思考を深めさせてくれる大切な存在です。


冒頭に言いました、
クレアの食速報はあなたの悩みを解決できる。

今日がつまらなかった、最悪だった
独りよがりになってしまう
ご飯が大好き!

そんなかた、
私もそうでした。私もそうです。

どうぞそんな私と友達になってほしいです。
動画を通して、たくさんの方とお話できればと思っています。

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