陸奥国と出羽国

鉄道の駅には、旧国名を冠するものが多い。
東京近辺だって、武蔵小杉、安房鴨川、下総中山など多数ある。
調べてみたら、旧国鉄時代は、同じ駅名が重複しそうな時には、後に開業する駅名に旧国名を頭に付けることを原則としていたそうである。

なるほどなあと思っていたが、そういえば、一つ気になることがあった。
それが、陸奥と出羽である。 高校で日本史は選択しなかったので一部忘れている個所もあるが、古代日本の律令制では、東北は陸奥と出羽の2国しかなかったはずである。
ところが現実には、羽後本荘、羽前千歳、陸中花輪など、陸奥と出羽以外の地名を冠する駅が非常に多い。 普通に考えると、陸奥国や出羽国がどこかで分割された、と推測できる。

それでこの陸奥国と出羽国がいつまで続いたのか調べてみたら、なんと明治元年まで続いたらしい。
明治元年12月7日に、戊辰戦争で負けた処分ということで、陸奥国は陸奥国(りくおう)・陸中国(りくちゅう)・陸前国(りくぜん)・岩代国・磐城国に分割された。同様に出羽国も羽後国と羽前国に分割された、とのことだ。
今でいうと、陸奥国が青森県、陸中国が岩手県、陸前国が宮城県、岩代国が福島県中通りと会津、磐城国が福島県浜通り、羽後国が秋田県、羽前国が山形県にそれぞれ相当する。

ただ、この7国は明治4年7月の廃藩置県までにすべて消滅した。
わずか2年半の命だったことになる。
この2年半しか使われなかった国名が、なぜ鉄道の駅に多数使われているのだろうか。
その答えは、既に書いている。 「旧国鉄時代は、同じ駅名が重複しそうな時には、後に開業する駅名に旧国名を頭に付けることを原則としていたそうである。」
つまり、その旧国名が定着したか否かにかかわらず、旧国名を使うという単純なルールに沿って使われていた、というだけなのだ。

とすると、この奥羽越列藩同盟に対する処分によって陸奥国と出羽国が分割されなかったら、今の福島県でも「陸奥○○駅」を見かけることがあったのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?