お堅いのはお好き? 水星の魔女とクィアベイティングについて

見よ、ガンダムが炎上している。

ビームライフルで撃たれたわけでもファンネルで蜂の巣にされたわけでもありません。いや、ある意味ではそうかも。でも、出火原因はシンプルで、制作サイドの対応が不味かったからです。では、どのように不味かったのか。それを以下に記していこうと思います。


こんにちは、不璽王です。ふじおーと呼んでくれても構いません。俺の名前なんてどうでもいいね。
少し記事に関係のない私事を挟むのですが、私は来月末に退職して無職になります。なのでいざという時に文章で小銭を稼げるよう、ちょっと今話題のトピックをまとめる練習でもしておこうという動機でこの記事を書き始めました。怒りや悲しみ、呆れなんかの感情を書く動機にしていないため、なんか他人事感が出ることもあるでしょう。ご承知おきください。まぁ実際に、今のところは他人事だしなぁ。

今回の騒動の火種は、水星の魔女最終話以前の段階からすでにありました。大方の視聴者からはその大団円っぷりに賞賛が寄せられた最終話でしたが、百合や性的マイノリティに関心がある一部からは不満の声が上がります。曰く「なぜ女性同士の結婚式を描写せず、匂わせで終わったのか」。

不満の声が上がった経緯は、水星の魔女は第一話から女性同士の特別な関係性をはっきりテーマに打ち出した作品だった、というところから始まります。第一話が女性同士の婚約(女性同士で結婚なんて、と慌てふためく水星出身のスレッタに対し「水星ってお堅いのね」と言ったミオリネのセリフから今回の記事タイトルをつけています)で終わったことから、その手の作品(女性同士の恋愛もののことです)が好きな人からは「この作品は大規模IPにも拘らず『かましてくれる』のではないか」という期待が高まります。この「かます」にはいろいろな意味が込められています。異性愛のみをノーマルと考えるステレオタイプな大衆作品への不満。遅々として進まない同性婚の法整備への不満。今同じ世界に生きているのに、いないものとして扱われがちな性的マイノリティが持つ憂さを、軽くでも晴らしてくれるのではないかという期待がそこにはありました。ガンダムという大規模IPだからこそ出来る、力強く波及性の高いメッセージを出してくれるのではないかという淡い期待です。

また牽強付会ではありますが、一期オープニング曲であるYOASOBIの「祝福」は、エアリアル(主人公機、つまりガンダムです)からスレッタに向けた思いを表現した曲でありながら、その

この星で生まれたこと
この世界で生き続けること
その全てを愛せる様に
目一杯の祝福を君に

YOASOBI「祝福」

という歌詞から、結婚できない=祝福されることがない同性カップルへの応援歌であるという解釈さえも出来ました。出来ましたかね? 不安になってきた。多分出来ると思います。

で、ありながら。

ありながら、水星の魔女がその期待に応えることが出来る作品になったかというと、これが微妙でした。主役カップルのスレッタとミオリネにはいろいろなタイプの男性からアプローチがあり、それは異性愛こそがスタンダードであるという思い込みから脱却出来ずに育った視聴者の目には、乙女ゲーの中のヒロイン(男)レースの様に映りました。結果、婚約している二人の女性の間柄を最重要視している視聴者に対し「水星の魔女がスレミオエンドになるわけないじゃんw」と冷笑が浴びせかけられます。と、ここまで書いて思ったけど、これはその狭量な視聴者が悪いですね。制作サイドに責任を求めるのは酷だし、主旨から外れるので深くは掘り下げません。その必要もないでしょう。ただ、なんかそういうのが湧いて鬱憤が溜まったという出来事はありました。

その鬱憤を晴らしてくれるのではないかという期待に、水星の魔女最終話ははっきりとは応えてくれませんでした。「目一杯の祝福を君に」というサブタイトルでありながら、二人の間にどんな顛末があったかについてはスレッタとミオリネが同じ指輪をしていたという細かな(しかし、別の観点からは十分な)描写しかなかったからです。なんでだおい。もっと祝ってもいいだろ。何が目一杯だ。名古屋の結婚式くらいやってから目一杯って言え。

性的マイノリティの当事者が今の日本で祝福を受けるのはレアケースですし、もちろん行政は婚姻届を受理してくれません。そんな状況下で、さらにフィクションの中からも「お前らはひっそりとしておけ。目立つな。おおっぴらに祝福されようなどと思うな」と言われている様な地味な演出は、追い討ち以外の何者でもありませんでした。

水星の魔女は、スレッタとミオリネの関係性に注目してまとめると「二人が結婚して幸せに暮らしました」エンドになります。それ以外の解釈をすることは、本編の描写を考えるとかなり無理筋となり、曲解と言わざるを得なくなるでしょう。しかし、そこで今回の騒動です。

簡単にまとめるとこうです。

・紙版のガンダムエース誌上において、スレッタとミオリネが結婚しているという発言があった。
・電子版のガンダムエースにて、該当の「結婚」部分が削除されていた。
・そのことが騒ぎになったことへのお詫びとして、バンダイナムコが「混乱させてごめーん。結婚してるかしてないかは作品側は決めないから、自由に解釈して楽しんでね(大意)」という声明を出した。

炎上しました。

クィアベイティングであると非難されました。

さて、ここから話を進める前に、クィアベイティングとは何かということについて説明しておきましょう。

と、思ったんですが、多分こういうのは自分で調べた方が記憶に残ります。検索窓に打ち込む手間だけ省いてあげました。感謝してください。

Google検索「クィアベイティング」

はい。理解できましたでしょうか。二つ以上の情報源にあたって相似点と相違点を確かめると、より理解が深まりますよ。調べましたか? そんな感じです。

クィアベイティングについては、水星の魔女制作サイドが「二人が結婚してるかは皆様一人一人の解釈に任せる」と発言したことで、おそらく今後もっと理解しやすくなるはずです。なまじネームバリューがあるタイトルですから
「クィアベイティングってなに?」
「ほらあの、水星の魔女がやったみたいなやつ」
「あー、あれね」
みたいな会話が発生するのも時間の問題でしょう。教材の誕生をリアルタイムで目撃できた感があってお得ですね。何がお得だ、こんな醜いものを見せないでくれ。

と、説明を全省きしようとしましたが、クィアベイティングがなぜ問題なのかをまだ理解できてない方もいるかもしれないと不安になったので、少し付け足しておきます。なぜ性的マイノリティであると仄めかして注目を集めるのがいけないのでしょう。男好きそうな雰囲気を出し、ワンチャンありそうと期待させて人気を得る自撮りアカウントは問題ないのに?(問題ないかなぁ?)
その答えは、マイノリティであるからです。マイノリティであるということは、マジョリティではないということです(トートロジー)。マジョリティでないということは、この社会は彼らのために作られていないということです。暮らしにくいですね。いけませんね。いけませんが、改善のスピードはゆっくりですし、今もマジョリティはマイノリティの意見を黙殺気味です。こういう状況はまだしばらく続くでしょう。マイノリティにとっては泣きっ面で、踏んだりで、弱り目な状況です。そんなマイノリティを注目を集めるために利用するなんて、蜂で、蹴ったりで、祟り目な行為だと思いませんか? 思いますよね。だからクィアベイティングは非難されています。

最初の方に、出火原因は制作サイドの対応が不味かったからだと書きました。
クィアベイティングが問題外だとしても、作品内の描写が細かなもので物足りなかったとしても、もっとやりようがあったのではないでしょうか?

つくたべの愛称でお馴染み(かどうかは知りませんが)の作りたい女と食べたい女という作品では、明確に作品外で同性婚法制化を後押しする活動をしています。水星の魔女も同じ様に、というのは大きな望みでしょうか。そうした活動をすることで反発を招き、商業的な損失を被るという計算もあるかもしれません。では、レインボー🌈を入れたメッセージを出して性的マイノリティに寄り添っている姿勢を示すのはどうでしょう? 細かな意思表示ですが、当事者の目には確実に止まります。普段問題意識を持ってない人はスルーするでしょうから、反発があっても小さなものではないでしょうか。それすらもダメでしょうか。性的マイノリティに寄り添おうという気持ちがないままで、ガンダムという巨大なIPで水星の魔女という同性婚ENDのアニメを作ったのでしょうか。制作サイドは覚悟完了していたけど、経営サイドから待ったが掛かったという想像もできます。しかし、だからと言って結婚を絶対明言しないなんて態度は最低だよ。ダサすぎる。

俺は、お堅いのは嫌いです。