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「片耳 聴こえない」



「あれ? やっぱり聴こえない」

YouTubeを視聴中、右耳だけイヤホンをしてみて気がついた。音が全く入ってこない。
右耳、聴こえていない。

左耳だけにイヤホンを当ててみる。聴こえる。
両耳に当ててみる。聴こえる。
もう一度右耳だけに当ててみる。 やっぱり聴こえない。

という事は、本当に右耳が聴こえていないんだ。

確かに昨日くらいから、右耳に膜が張っているような違和感があった。
今までまるで気に留めていなかったのに、聴こえていないとはっきり分かって急に怖くなってきた。右耳を叩いてみても、指を突っ込んで掻き出してみても、一向に聴こえは戻らない。

どうしよう……
こういう時は大抵、まずはグーグル先生に相談する。

「片耳 聴こえない」
スマホのグーグル先生にこう打ち込むと、先生が探してきてくれた「片耳 聴こえない」が症状であるらしい病名がずらりと並んだ。

ムンプス難聴
一側性難聴
突発性難聴
……

んー、難聴か。突発性難聴くらいしか聞いた事ないな。ん?

「……1週間以内で勝負が決まる『突発性難聴』」

3番目くらいにヒットしたリンクのタイトルの後半、「1週間以内で勝負が決まる」が真っ先に目に飛び込んできた。
え? 1週間以内って?
今日昨日は確かに聴こえにくくなっていた。けれど、もしかすると、1週間前、いや、2週間前くらいから、「何かおかしいな」という違和感があったかも……そんな気がしてきた。
もしかして……手遅れ!?

慌ててそのタイトルのリンクを開いた。説明を読んでみると、大至急の対応を要する病気だということが切々と書かれていた。
突発性難聴の原因は、ウィルス感染、循環器感染など考えられているけれどはっきりとした原因は分かっていないらしい。“おかしい”と思ったら、すぐその足で耳鼻咽喉科を受診すべきで、そのうち良くなるだろうと放っておくのは問題なのだそうだ。なぜなら、突発性難聴は救急対応が必要な一刻を争う病気だからということだ。

さらにその先を読んで、私は震え上がった。

突発性難聴の治せる期間は限られていて、ひと月を過ぎるとほとんど治らない。勝負は発症から1週間以内に決定すると言っても過言ではない。治らなければ難聴や耳鳴りが後遺症となる。

というようなことが書かれていた。

顔から血の気が引いた。こんな事知らなかった。
耳が聴こえにくくなった時は、すぐに耳鼻科に駆けつけないといけなかったの?
勝負は発症から1週間以内なの?

そんな事知らなかったから、そのうち治るだろうと放置していた。
そんな重大なことと知らずに気にも留めていなかったから、もしかしたらすでに1週間が経過しているかもしれない。
もし1週間を超えていたら、この聴こえにくさは一生戻らないの? この膜がかかったような聴こえにくさを抱えて一生生きていかなければならないの? 
心当たりといえば、いつものように朝綿棒で掃除していた時に急に聴こえなくなったくらいだ。その時にばい菌でも入ったのか……こんな些細な事で、一生片耳の聴力を失うの?!

もうその記事を読んだだけで、突発性難聴に違いないと激しく思い込んでしまった。そうしたら、いても立ってもいられなくなった。すぐに耳鼻科へ直行しなければ!! 

でもその時はすでに深夜。しかもお盆で実家にきている。明日急いで帰宅して近所の耳鼻科へ駆け込もう。
今度はグーグル先生に、自宅付近の耳鼻科を探してもらう。
聞き覚えのある耳鼻科がいくつもリストアップされた。上から順にリンクを辿り、お盆でも診療しているかチェックした。けれど、びっくりするくらいにどこの耳鼻科もお盆休みを取っている。
1週間以内が勝負と言っておきながら、耳鼻科が揃いも揃ってお盆休みを取るとはどういう事? 相談しあって、当番制で1院くらい診療してくれるところがあってもいいのに……! と、あながち間違ってもいない不満を漏らしながら、次は今いる実家付近の耳鼻科をグーグル先生に調べてもらった。
2院ほどをリストアップしてくれたけれど、どちらもお盆にやっているとも、やっていないとも書かれていなかった。
すぐに電話して問い合わせしたいくらいだったけれど、今は深夜の2時。急いでこの聴こえていない片耳を誰かに診てもらいたいけどどうしようもない。明日の朝一番にこの2院に電話して、開いているか聞くしかない。

「聴こえる」とはなんとありがたいことか。当たり前とはどれだけ素晴らしいことか。まさか自分の耳が聴こえなくなるかも知れないなんて、考えたこともなかった。
これからは、右からの音の世界を知ることが出来なくなってしまうのか。
そんな耳と今後どうやって付き合っていったらいいんだろう……。

ぐるぐるとそんな思いをめぐらしていたら、朝を迎えてしまった。

9時が待ち遠しく、そして待ちきれず、8時57分ごろ受話器を手に取り実家に一番近い耳鼻科に電話した。

「はい、〇〇耳鼻科でございます」

出た! ということは、今日受診できるのか!

「はい、本日は通常通り診療しております」

やった!

「わかりました。すぐに伺います!」

本当にすぐに家を飛び出して、10分後には受付窓口にいた。

初診なので、症状を詳しく記入する用紙を渡された。

「今日はどうされましたか?」→「右耳が聴こえない」
「それはいつからですか?」 →「今日、昨日。または1〜2週間前」
いったい、いつからなんだ?
私の動揺っぷりがそのまま記載に表れた。

「小倉さ〜ん、中へどうぞ」

お盆で開いている医院が少ないからか普段から評判のいい病院だからなのか、思っていたよりも長く、だいたい30分ほど待ってから名前を呼ばれた。
不安いっぱいの面持ちで診察室に入り、椅子に腰掛けた。30代くらいの女医の先生が振り返り、その不安を取り去るような優しい笑顔をこちらに向けてくれた。

「右耳が聴こえないんですね? では、いい方の左耳から診ていきましょう」
ああ、突発性難聴と診断されてしまうのか。私の右耳は、もう手遅れなのか?
いよいよ審判の時だ。

「うーん、これは手ごわいですね」
手ごわい?

「固すぎてすぐには取り出せません。点耳薬を処方しますから、2日後にまたいらしてください。その時に取り出したら、聴こえは以前の状態まで戻る可能性が高いです」
ん? ちょっと前半何を言っているのかわからなかったけれど、後半で確かに「聴こえが戻る可能性が高い」と言った!

「すみません、実は今、お盆で実家に帰ってきているところで、自宅はここから遠いです。2日後の明後日は、もう自宅に帰っています」

「あら、ほんとだ! 確かに遠いですね。では、今日これからお時間いただいていいですか? 今日取ってしまいましょう」
取ってしまう? 何を??

「耳の垢が奥へ奥へと追いやられて、詰まって固まってしまっているんです。だから聴こえにくくなってしまっています。耳に液を入れてふやかして取りやすくしますからね。右の耳を真上に向けるように、大きく左へ首を傾けてください」

なんと、聴こえなくなっていた原因が溜まりに溜まった耳垢だったとは。
途端に顔から火が出るくらいに恥ずかしくなった。その場から逃げ出してしまいたかった。でも逃げ出さずにいられたのは、別に耳掃除を怠っていたから耳垢が溜まったのではなくて、毎日綿棒で掃除していたからこそ、その綿棒が奥へ奥へと垢を詰め込ませてしまったことが原因だと聞かされたからだ。
私は汚女子なんかじゃない! と胸を張って言えたからだ。

「あれれ〜?」と首をかしげる時くらいに大きく首を傾けたまま椅子から立ち上がり、一旦診察室を出て待合室まで歩いた。そのまま「あれれ〜?」と不思議がっているポーズで15分耐えた。できるだけ奥へ奥へと液を固まりきった耳垢に浸透させるために。
心境まで「あれれ〜?」な感じだった。あんなに毎日掃除していたのに、聴こえなくなるほど耳垢が詰まっていたなんて。

15分後再び診察室に戻り、ふやけた耳垢は無事全摘された。こういう体験は初めてで、出てきた耳垢を見てギョッとした。直径5ミリくらい、長さが15ミリくらいの赤茶色に凝縮された物体がごそっと抜けて、看護師さんの手のひらの脱脂綿の中に収まった。
途端に、さぁーっと膜が引いていくように、右耳の聴こえが戻ってきた。
うん、クリアだ。よく聴こえる。左と同じように聴こえてる!
突発性難聴じゃなかった。1週間以上前から聴こえてなかったかもしれないけれど間に合った、ああ良かった……。
こんなものが詰まっていたんだから、そりゃあ聴こえも悪くなるよね、と合点がいった。

これでやっと聴こえるし、安心できる。
最初の苦々しい不安顔はどこへやら、爽快な笑顔で先生にお礼を申し上げ、診察室を後にした。先生も変わらず優しい笑顔で見送ってくれた。

今回は、最終的には笑い話になって、多少私が恥をかいたくらいで済んで本当によかった。けれど、耳の違和感を放置してはならないと知る良いきっかけとなった。
突発性難聴とは、原因不明でストレスからくることもあるそうなので、聴こえにくい、と思ったら、これからは明日を待たずにすぐにお医者様へ相談しよう。とにかく1週間以内が勝負だと言うことを肝に銘じよう。
耳のお掃除も、無理に奥まで綺麗にしようとせずに手前だけに。そして定期的に耳鼻科に掃除に来るのがいいとアドバイスされた。掃除のためだけになんてちょっと面倒な気もするけれど、病院は病気になったら行くだけではなくて、健康を保つためにも行くところ、と考えてみたらどうだろう。病気になって、痛い思いをして、多くの治療費を払ってしまう前に、日頃からお世話になっておく事で日々の健康を維持する。

「予防医療」と言う言葉を聞いたことがある。難聴になる前に耳の掃除をしてもらうこともそれに当てはまるのだろうか。どういう事なのか、調べてみようという気になった。

※当記事は、天狼院書店メディアグランプリに掲載されたものです。その記事がこちら↓
http://tenro-in.com/mediagp/58393