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大学2年の夏合宿

※過去ログです。2018年8月1日〜

当時の部長が企てた、
上高地-穂高-槍ヶ岳-裏銀座-白馬-親不知を踏破する14日間の大縦走。

毎週行われた部会では数多のブーイング、なにより『うちら弱小山岳部に出来る訳がない』との議論が交わされた。
それでも部長1人が率先し(強引に)計画し、なんとか山岳部一丸となり山行計画が出来上がった。
先発隊:4人と後発隊:6人に分担し、船窪小屋にて食料を受け取り合流し全員で日本海へ進む計画だ。

【行程概要】※先発隊

1日目:上高地-岳沢小屋
2日目:岳沢小屋-穂高岳山荘
3日目:穂高岳山荘-大キレット-槍ヶ岳山荘
4日目:槍ヶ岳山荘-双六岳-三俣蓮華-三俣山荘
5日目:三俣山荘-鷲羽岳-水晶岳-野口五郎-烏帽子小屋-高瀬ダム


【メンバー】※先発隊

4年:1人(部長)
3年:1人
2年:2人(おれ、同期)

【振り返り】

▼1日目 学校~上高地~岳沢小屋 ☀️
この活動で最もハードと言っても過言ではない、学校~駅のチャリ区間。始発電車に乗るためにバスでは間に合わないのでチャリでアプローチするのが恒例である。30kg以上のザックを背負って競争したがる部長の後を皆んなで必死に付いていく。
昼過ぎに上高地に到着。

先輩「地図とコンパスを使って先頭を歩け」
おれ「ウイッス‼︎」
習ったのだが全く分からない。“カン”とカン板を頼りに先輩の顔を伺いながら進む。

序盤から飛ばし過ぎたせいで早くも失速。全然力が出ない。
先輩「シャリバテだな」
おれ「なんすかそれ」
初めてシャリバテを知り、経験したのである。
隊列の2番目に降格され岳沢小屋に到着。
カレーを作って食って就寝。

▼2日目 岳沢~前穂~奥穂~穂高岳山荘 ☂️/☀️
テント持ちは下級生という風潮があり、雨の時は汚く重くなり最悪なのだ。しかもテントのせいで最後までパッキング出来ないので必ず待たせる事になる。部長から遅えとグチグチ言われるので急がなければならない。
パッキングを終え歩き出すと、雨の中1人カッパを着ずに堂々と歩く同期がいる。こいつ正気か??
おれ「カッパどうした?」
友達「家に忘れたから内密で頼む。」
おれ「アホじゃん。雨続いたらどうすんだよ」
友達「耐えるしかねーだろ‼︎(逆ギレ)」

直ぐに晴れ、穂高山荘に早い時間に辿り着く。

洗濯物干せる〜♪と喜んでてはいられなかった。おれが最も苦手とする『ラジオ天気図』の時間が始まった。部長が天気図の紙を配り各自で書き込んでいく。
天気図を書いてる時がトラウマ級に嫌いなのだ。なぜなら何も分からないからである。部長が必死に教えてくれようとも脳が受け付けない。だからカンニングして適当に書く時間になるのだ。同期も適当に書いてやがるので必死に書き込んでいる部長のやつをカンニングして終わった。どうやら台風が来ているらしい。
シチュー作って食って就寝。


▼3日目 穂高岳山荘~北穂高岳~南岳~槍ヶ岳 ☀️
4テンを4人で過ごす朝は忙しい。まず2人はアラームと同時に起きシュラフから半分体を出しスペースを確保して湯を沸かす。残りの2人はシュラフを片付け少しでもパッキングをしているうちに朝飯が出来上がる。今日はスパゲッティだ。部長がとんでもない勢いでスパゲッティを食べて残った茹で湯で紅茶を作り始める。「ティーパックのカテキンとお湯で落ちない汚れはない」とか言って懸命に擦っているのを横目にゆっくりスパゲッティを食べる。食べ切らないうちに前日のシチュー&茹で汁で汚い紅茶が出来る。不味いので砂糖を入れてコッフェルに付いた汚れと一緒に喉に流し込む。その後食事を作った2人はパッキングをし、残りの2人は食事の片付けだ。ある程度片付けたら、汚い食器類とゴミ、テントは下級生に渡される。そしてパッキングを急いで終えて「汚いパッキングだな」と部長の決め台詞を聞き出発だ。
ザックの重さにも慣れてきて大キレットも何なく通過。

大キレット

槍ヶ岳山荘に着いて、天気図放送を聞いて鬱になり、部長の靴下が臭すぎてもっと鬱になり、部長の後頭部のテカリ具合を見て具合が悪くなり、飯食ってビール飲んで寝た。




▼4日目 槍ヶ岳~双六岳~三俣蓮華~三俣山荘 ☀️

双六岳はとても良い所なのだが下にショートカットがあるのが憂鬱になる。山頂に興味がなかったので楽な方を行きたいと伝えても無駄だった。12時ごろ三俣山荘に到着しとりあえずビールを飲み、近くの川で水洗いしてありとあるゆる物を乾かす。部長の靴下が臭すぎるので洗濯するよう促すがテントの中で怠そうにデカいイビキをかいて寝始めた。

各自気持ちの良いテン場を満喫し、天気図のラジオ放送が近づくと起こさないよう静かに過ごした。
テント内で夜飯の鍋を作る準備に取り掛かった。野菜を切る係、ぶち込む係とあるが自分は真ん中でただ鍋を抑える重要な係だ。少しずつ出来てきた頃、上に干してあった部長の靴下が鍋の中に落ちてしまった。自分は両手で鍋を抑えていたのでただ「早く取って!」と叫ぶ事しか出来なかった。鍋の湯がみるみる濁っていき独特の匂いがテント内に溢れかえり皆んな蒸せた。そんな事より唯一の楽しみだった鍋が食えなくなってしまった。部長は「捨てる事は出来ないから必ず俺らで食べ切らなければならない」と脅すので皆んなで良く煮沸して食べた。味は普通だったから後はパクパクいけた。
部長がずっと咳をしているのが心配だが、自分の腹の調子の方が重要だ。「俺らの時代からすでにあった」とOBが豪語していた部室にあった正露丸とビールを飲んで寝た。



▼5日目 三俣山荘~鷲羽岳~水晶岳~野口五郎~烏帽子小屋~高瀬ダム 🌫/☀️

ルーティン化された朝を過ごし霧の中鷲羽岳を目指す。部長から「もっとゆっくり進め」「後ろが付いてきているか確認しろ」と先頭に言っているが明らかに部長が遅い。息が荒く咳を沢山していて今までのパワフルな先輩ではなくなっていた。CTから遅れていたが早朝に出発したので水晶岳までピストンをする。

部長の調子が悪い事は明白で仕方なく3人で荷物を分担する事にした。部長の荷物は隊の中で最重量でゴツい三脚や一眼レフなど満載に詰まっている。一番元気な自分が重いのを中心に持ち、皆も詰めるだけ詰め込んだ。部長は上り坂になると苦しそうにし亀のように遅くなるが下り坂になると元気になり最後尾から煽り歩行をしてイラつかせてくる。

今まで持ったことのない重量を担ぎ、長い長い烏帽子小屋まで念仏を唱え怒りのパワーで乗り切った。全員バテバテで18:00ごろ到着。テントの受付をしに行くと小屋の人に遅くなった理由を聞かれた。
「メンバーの1人が不調で〜」と話したら「もっと詳しく聞かせて、そしてその子呼んできて」と言う通りに連れてきた。たまたま小屋にいた遭対協の方と部長を見て「肺水腫かもしれないからすぐに病院に連れて行こう」と。しかも「今夜寝ていたら目を覚さなかったかもしれない」と宣告され何故か僕らは何度も顔を見合わせ笑ってしまった。中止となった瞬間俺らは思う「もうちょっと行けたな」「これからだってのに」と。
夜遅いため県警のヘリコプターは飛ばないので今すぐに歩いて下山する事になった。遭対協の方が最低限の荷物を持ち、部長と自分は空身ですぐに出発した。下りの部長は超元気なので3人で走るように下山する。途中で山岳警備隊の方々10名程が来て驚く。どうやらこの遅い時間に大人数で登ってきてくれたのだ。「動けないと思っていっぱい連れてきちゃったよ。良くここまで降りてきた。おんぶいるか?」と優しく話しかけていて泣きそうになる。初めて自分のパーティーが迷惑をかけていたのだと大実感した。
高瀬ダムでは救急車がギリギリまで来て待っていてくれていた。救急車にて血中酸素を測り「危なかった」とまたもや言われて部長は元気に手術室に入ってった。
はて、深夜の病院にいるが携帯以外の持ち物がない。仕方ないので待合室のベンチで寝ていたら看護師さんに起こされて毛布と暖かいお茶をくれてキッズコーナーに案内された。どうやらふかふかの床がお薦めらしいのでそこで爆睡した。
翌朝、身体の穴という穴に管をぶっ刺している部長を見てから烏帽子小屋で心配しているであろうメンバーに連絡する。
同期「台風が来てる中カッパ無しで行くのはキツかったからラッキーだった」
先輩「おれは行動食がどう考えても足りなくてラッキーだった」
自分たちの事しか心配してなかった。荷物は後発隊と分担して下まで担いで来てくれるそうだ。
部長の影分身として病院のシャワーを浴び、段ボールをスーパーから奪い、コンビニでマッキーを借り、初めてのヒッチハイクで実家に帰りました。おしまい。



3年後同じルートでリベンジしてきたやつ👇
やってきた夏合宿!! https://yamap.com/activities/12507893

【部長の不調について】

・高山病の肺水腫だった
・4日高所にいても発症せず、5日目に症状が現れた
・元々高山病になりやすい体質らしい
・幕営地に着いてすぐ寝るのは良くない
・苦しそうなイビキ、咳は前兆
・余裕のある行程だったにも関わらず発症
※きちんと調べてないので鵜呑みにはしないように。

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