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【脳からでまかせ】その5 〜占いの未来を占う〜

※散歩してたり風呂に入っている時などにふと思いつく本当にどうでもいい事を、整理も熟考もせずにただ「書くためだけに書く」というのを楽しむためのシリーズでございます。

メディアが変わっても人気が衰えないもの

最近YouTubeを眺めていると『占い』みたいな動画がやたら沢山あるんだなと気がついた。

主に『星座占い』なのかな。思えば「今月の〇〇座の運勢」っていうのだけで毎月12個の動画をアップできるし、さらに最近は色々と込み入って来ていて「新月の時の〇〇座さん」とか「満月の~」とか、よくわからんのだけれど「水星逆行が始まって云々」とか、「月星座と太陽星座」とかいろんなパターンとか組み合わせがあって、収益化して行くには定期的に動画ネタを提供しなければならないYouTuberっていうのと、星座占いの知識がある人ってのは相性がいいかもしれないなと思う。
毎月の運勢をベースにして、合間合間で月の満ち欠けだの、その他の天体イベントを絡めて都度占って更新していけばいいので、ネタに困るって事はなさそうだ。

そして、その星座占いとの合わせ技で、『タロット占い』とかその他の占いカードを使ったり、何種類かのカードの組み合わせで占っているものもあるみたいだけれど、そうしたカードでの占いというのが星座ともともと関係して占うものなのか、それともYouTube 用にやはり更新のきっかけとして星座で分けて毎月更新しやすいからそうしてるのかは、そこまで私の知識がないのでわからない。

考えてみると、『手相占い』だと千差万別すぎて、個人個人の手相を見なければならないから、こういう更新には向いてないだろうし、血液型だと単なる性格診断であって星の運行と絡めづらいだろうし、やはり『星座占い』がベースになるものがいいのだろう。

これがまた、ちょっと検索しただけでもそれこそ星の数くらい無数のチャンネルが出てくる。
それがご商売になっている方のものから、副業的な感じのものもある。何か本格的な勉強されたり、その筋の資格を有していたり、そういう組織の会員になってる方もいれば、個人的に好きで趣味的にやっていることを(ようするにシロウトさん。言い方が悪ければ「占いのインディーズ活動している方」でもいい)、広告付きでアップしている方もいるようだ。

あまりにも多くて、そして想像するに占う方によって同じ時期の同じ星座に対してそれぞれ言ってることが違ってくるだろうし、きっとこう言うのは自分との相性もあるだろうから、自分がどの占い師さんの動画をアテにすればいいのか迷う。
まず最初に、どのチャンネルの占いを信用するべきかを誰かに占ってもらう必要があるくらい色々な方が占いチャンネルを更新している。

占いっていうのは、はるか古代からあったものだから(というか、大昔は何でも占って物事を決めていたらしいし)、それが今時のYouTubeになってもまだこれほど需要があるというのは、人間はよっぽど占い好きなんだろう。大多数の人間の興味の「鉄板」と言ってもいいのかもしれない。
そう考えると、どんな時代にも廃れない安定した職業に『占い師』というのが入っていてもいい気がしてくる。


占いをどう信じるか

そんだけ昔から占ってるのなら、そろそろ占いがアテになるのかならないのかハッキリしていてもいいと思うが、一向にハッキリしない。

多分「占いなんてインチキだ」という声も昔から存在してたと思う。だって理屈立てて「だから正しいんですよ」って証明できる方法もないし、当たることもあれば当たってない場合もある上に、当たったのが偶然なのか、なんらかの占い理論によってあらかじめ想定できる結果だったのかを確認するすべもないのだから、「理屈で考えれば、アテになるわけがない」と考えるのも頷ける。

それでもやはり占いを信じる人や興味を持つ人は存在し続ける。大雑把に「信じる人」と「信じない人」に分けた人類の比率って昔からそんなに変わっていないんじゃないかという気もする。
そして、信じたい人たちの気持ちは、否定派の存在や意見によってさらに燃え上がるのではないかという気もする。もう無理矢理にでも占いの内容に自分の経験を当てはめたり捻じ曲げたりしながら「ほら、こんなに当たるんだもん」って言ってそうだ。

もしかしたらね、人は何らかの形で自分の運勢が決まっているということに安心したいのかもしれない。大昔から変わっていないのは「この先自分がどうなるのかわからない」って事なので、そこには不安と興味があるのもうなづける。だから占いが好きな人は後を絶たないのだろう。
ひょっとすると占いを楽しみたいがために人類は先行きを不透明にしてるんじゃないかとも思えてくる。
とにかく、絶対的なこととして「占いが当たる」とも「そんなもんただのインチキだ」とも言い切れないのは、占う人によって言ってることが違うっていうのが大きいだろうなと思うのだ。

星座占いというか『ホロスコープ』というのは、色々な天体の動きをきちんと計算して、その影響で「この星座に生まれた人には、こういうことがありますよ」的な事を伝えるのだから、本当は誰が占っても同じことが言えると思うのだが、占う方の解釈によって微妙に変わってくるのでその辺がハッキリしなくなるんじゃなかろうか。

そう考えると、経済動向も似たようなもんだなと思う。
何かしらの政策を行うことになったとして、経済学者の解釈によって「それではこういう問題があってうまくいかない、もっと状況が悪くなる」って人もいれば「これによってこういう効果があるから、状況は上向きになる」と言う人もいる。

与えられている情報や確認できる現状が同じでも予測する結果が異なるところは、占星術みたいなもんだよなと思うのだけれど、どうなんだろう。
そしてまた、結果がどちらになるのか、予測が当たるのかどうかというのは、結局その時になってみないとわからないところも占いに似ているなと思う。

そうなると『経済学』とか言ってないで『経済占い』というジャンルが出て来ても良いのではなかろうか。


占いの信憑性

さて、かくいう私が『占い』というものを信じているかどうかということになると、答えは「占う人によって」ということになるし、付け加えるなら「占いというものは、あくまでもそうした傾向がありますよという予測として、参考にするもの」という事になる。

ちょっと占星術の場合は科学的な要素も加わってくるのだけれど、その他の例えば『手相』とか『タロット占い』とかに関しては、占いそのものの手法やデータ自体はあまり信じてない(手相には多少統計学的な要素もあるかもね)。
ただ、それを使っている人によっては、信用できる場合もあるなと思うのです。それは「占いになんらかの力がある」のではなくて「その人に何らかの力がある」という事です。
これは経験的にそう思う。

なぜだかわからないけど、結構これまで私が生きてきた中で『占いができる人』と知り合う機会が多くてですね。職業にしている方もいれば、そうではない方もいたけど。

少しの例として挙げると『タロット占い』の方と『手相占い』の方がいて、お二人ともそれぞれの手法のことに関してはきちんと勉強もしているので、「このカードは何を意味する」とか「この線がこの位置からここまで伸びてる人はどうだ」とかの説明もできるんだけど、そういうものをきっかけにですね、占う時に何か本人のスイッチが入っちゃってるのね。

だから、タロットの場合だとカードを並べたりシャッフルしたりとか、手相は相手の手のひらを見るとかそういう所作がご本人をある種の状態に持っていくためのルーティンとして機能してるみたいな。
これは、あくまでも私がこういう人たちと対峙しての印象だけれど、それで本人の感覚がなにかいつもと違う「それ用の状態」になってるんじゃないかなと。

なんせ、初対面の時から何のデータも持ち合わせてないのに、いろんな事が、抽象的にではなく具体的に見破られたし(笑)。で、どちらも普段のお付き合いでは、くだらない冗談とか愚痴こぼしたりしあうような感じなんですよ。

占ってもらってる時に言ってる事、言った本人があんまり覚えてないのも共通してるかな。
片やそれを生業にしてるけど、一回も大々的な宣伝や売り込みした事ないしメディアの取材なども拒否してるけれど、それでも口コミだけで先々の予約までびっちりだし、もう片方の方は一度大学の研究施設に連れて行かれて、色々と脳波とかそういうのを調べられたりしてうんざりしてた。

ここで詳しい事いうと面倒くさい説明が必要になるし、その辺の私の知識が中途半端なのもバレるので省略するけど、単に「霊能力的な力」というだけではなくて、心理学とか精神科学なんかで言われる「シンクロニシティ」的な要素もあるんじゃないかと思う。その占いされる対象者との間に生じる何かね。
その現象を感知する能力が秀でてるのではないかと。

そういうタイプの人を知っているから、「あんなものはアテにならない」とは言えないのです。「あの人はアテにならない」は言えるけど。
だから、人間関係において「誰に相談するのが良いのか」っていうのと変わらないです基本的に。


当たった占い

で、ですね。
先述のお二方の他にも、そんなに普段付き合いがあった訳じゃないけど、占ってもらってこれは確かに当たったなと後から思った経験もあって。

確か最初が高校生くらいの頃に姓名判断する方。次が20代前半で手相を見る方。もう一人は20代の後半か30代くらいで、手ぶらの方(笑)。最後の方は『なんとか占い』の範疇ではなかったけど、ちょっと言葉を濁すが「なんとなく言い当てちゃう人」です。

この三人がですね、それぞれの時期に同じ事を警告してくれたんですよ。
簡単にいうと「足に何か大きな怪我か病気をするから、気をつけたほうがいいよ」と。

それで、その都度「アレ? 前もおんなじような事言われたな」とか思うんだけど、まぁ日々暮らしてるうちに忘れるよね。
そしたら、40過ぎてから右足を骨折しまして。医者に「コレ重症だよ」って言われて、二ヶ月間入院して、その後も一年近く杖ついてたんですよ。

入院中のある時に、そのかつて言われた事を思い出して「コレだったのか」と。

別々の時期に、全然違う人たちから同じ警告されたんだから偶然とも思えないんだけど、考えてみたら「いつか怪我するから気をつけてね」って言われても、いつどこで起きるかわからない事を、何をどう気をつければ良いのやら。

とにかく、まぁ占いが当たるというのはそういう範囲でのことなんだろうなとは思うのです。
それで、その中の一人と、あとまた別な方に言われたのと、何の占いか忘れたけど先々までのバイオリズム出して占うようなやつで共通してたのが、
「90歳過ぎたあたりで、その先の事で大きく悩む事がある」と。

凄いなと。90歳過ぎた人間が、その先のことについて一体どんな大きな悩みを持つものなんだかまったく想像できない。
しかし、この占いからわかるのは、私は少なくとも90歳を過ぎるまでは生きており、しかもその年になっても悩む事ができるほどに認知力を持っているという事だ。それならば、むしろその時にどんな事で悩むんだか楽しみなくらいである。
密かに「恋の悩み」だったりしたら面白いなと期待している。


胡散臭い占い師

そして、偽物のというか、当たらない占い師とかなにか悪巧みしてそうな占い師みたいな人にも結構お会いしてきたと思う。

基本的にですね、私は向こうから積極的に「みてあげるよ」って言ってくる人をあまり信用していない。加えて人にああしろこうしろと指示する人も信用しないし、「地獄に落ちるわよ」とか恫喝する人はもってのほかである。

それで、今年のちょうど自分の誕生日に珍しくタクシーに乗ったのだけれど、その運転手さんが占い師だった。正確には元占い師。

印象としては非常に謙虚でおとなしそうで控えめな性格のような印象である。印象はね。
だが、マスクをしていて対面してるわけでもないからいいんだけれど、このご時世にやけに積極的に話しかけてくる方でした。「会社から注意されてないのかな」って思うくらいに。

唐突に「お客さん、お若いようですけれど、失礼ですがおいくつですか」とか話しかけてきてですね。
「いや全然ですよ」みたいなこと言って、ちょうど誕生日だったもんだから年齢の話とかしちゃったのがマズかった。思えば、最初の問いかけがもう自分の話のための前振りだったのだ。

「っていうことは八白金星(正確ではない)のなんちゃらですね」とかいい出して、面倒だから「あぁ、そうっすね~」なんて答えて、そこで終わらそうと思ったんだけど、こっから運転手さんが勢いづいた。

「いや、実はワタシ以前なんとか占いやってたんですよ。それで全国回ったりしてて、今はやめちゃってタクシーやってるんですけど、たまにお客さんにサービスっていうか、そういう話してまして」って始まりまして。

「女性の方とかですね、話し始めると目的地についても続きが聞きたいから、この一角一回りしてくれとか言われたりしましてね~」
「それで、なんかよく当たるとか広まっちゃって、TVで取材させてくれとか会社に連絡が来ちゃって、それでそういうのもちょっと業務上まずいから、やめてくれって言われたもんだから、今は皆さんていうわけじゃなくて、興味持ってくれて、あのタクシーでこんな話したとか口外しないでくれる方だけにお話してるんでよ~」
「それで、八白金星っていう方っていうのが、我々の間では年齢は数えで出すんですけど、性格的にはこうこうで…」

ってですね、信号待ちの時なんかはダッシュボードから、その調べる時のチャート表なんかも引っ張り出して見せてくれたりして。用意してるのね、ちゃんと。

私が彼の話を聞き流している時に考えてたのは以下の通り

・この人、会社に注意されたって割に、自分からどんどん話してくるな。
・「口外しない人だけにお話してる」って、こっちは口外しないから教えてくれとか一言も言ってないんだけどな。むしろ、口外しないから黙って運転してくれないかな。
・昔占いの商売してて、今はタクシー運転してるってことは、占いで商売できなくなったからだよな。それでテレビが嗅ぎつけるくらい当たるのか? それなら今も占いの仕事してるんじゃないのか?
・なんか「あなたの誕生日の人はこういう人です」とか言ってるけど、その割に、俺がタクシーであまりおしゃべりしたくないと思う人だってことに気がついてくれないな。そこで既に当たってないんだけど。

というようなことであった。そんなわけで、目的地よりも前で降ろしてもらった。

きっと占いが好きな人なんだろう。そして自分がこういう話をしたら、皆さん興味を持ってくれると思ってるし、まぁ以前やってた好きな商売をたたまなきゃならなくて、自分のやってた事が価値があると思いたいから、相手に御構い無しに「私のできること」をアピールしちゃうんだろうな。

と、車を降りてからそんなことを考えて、これ本人に「あなた、こういう人でしょ」って伝えて当たってたら、占い師になれんじゃないかと思ったりした。『乗車占い』とかって。



占星術の今後

さて、ここまで占いそのものというよりは、占いする人に関する話をしてきたが、いわゆる『占星術』、ホロスコープというのについては、私は少し違う印象を持っている。
なんというか、タロットよりももう少し物理的な作用が大きく関わっていると思うのだ。
(それでも私の知っている方は、そういうデータを読み解いて解釈するときに、本人の才覚を使っていたように思うけれど。)

というのは、自分の生まれた時の天体の配置などから性格や将来の基本的な運勢(動向)を推察するというのは、人間もそもそも物理作用から生じた現象だと考えれば、なにかしらの理論によって結果が予想される部分はあるのではなかろうかと。

宇宙も物理現象であれば、その中で誕生した地球もまた物理的な作用によって生まれている。今現在も地球は太陽の内部運動の作用によって影響を受けて気候変動などが起きる(黒点の動きとかフレアの発生とか)。

ある研究によれば、銀河系内を移動している地球は、その銀河系内の位置によって他の天体との関係や宇宙線の影響を受けて気候変動したりもしてるらしい。
天体の配置で受ける影響もあるだろう。

当然ながら、人間の体にも何らかの影響はある。
わかりやすい所で言えば、海面は月の満ち欠けで上昇したり下降したりしている。海みたなデカイものが水位を上げたり下げたりするくらいの潮汐力なんだから、もちろん人間の体内の水分だって影響はあるし、水分の状況が変わるっていうことは他の体内機能にも影響はあるし、体内機能が影響を受ければそれは精神面にも影響を与える。

ここに、未だ謎の多い量子レベルの運動も加えて考えるとなると、ある時間のある特定の場所で、他の天体の位置関係から互いの量子が影響を与え合うということはあり得るだろう。
というか、ありえないというふうに考えるほうが難しいんじゃないだろうか。

つまり、例えば2022年7月19日23時30分に北緯43度東経141度の位置でこの世に現れた生命現象は、その時の天体の配置による量子運動とも影響し合うのではないかと。
その結果、その生命の内部での活動も影響を受けるし、それは基本的な性格形成にも関わるし、天体同士のその後の動きもお互いに影響しあっていくわけで、それは大まかな所では予めシミュレーションできる動きなんだから、影響を受けている生命体(物理運動)の将来的な予測も可能なんではないかと。
それがまだ、実験観測しての検証や解析ができてないから、理論が発見されておらず『占い』ということになってるんじゃなかろうか。

で、そうなるとさっき書いたような大雑把な時刻や位置ではなく、もっと厳密なものが本当は必要なはずで、例えば全く同じ時刻に生まれた人間でも、その場所がたとえ数センチ違っていれば、違いはあるはずだ。

そういうふうに考えると「同じ星座の奴がみんな同じ性格で、同じ運勢なわけがないので占星術はインチキだ」という突っ込みは、もっと占星術が精度を高めていけば成り立たなくなる。

これ、本当は昔からそういうものだったのが最近になって世間に浸透しているのか、それともこれこそ精度を高める過程の研究結果なんだか知らないけれど、最近の占星術の占いって簡素に「〇〇座生まれの人はこういう性格で、こんな運勢」みたいのじゃ済まないよね。生まれ年とか場所とか時刻によって結果が異なる。それもちょっと目を離してるうちに、いろんな要素が加わっていて「太陽星座が〇〇で月星座が〇〇な人」とか、水星がどうしたとか、木星がどうなってるとか、いろんなのが入り込んできてる。

なので、このまま進むと多分、さっき書いたように、もう生まれた時のミリ単位での位置とかさ、そういうのも考慮されて来て、そうなるとまったく同一位置上に同時刻に二つの物体が存在できないわけだから、占星術ってのは統計的な要素がどんどん減っていって、物理現象とか量子運動の計算に近いものになってくるんじゃなかろうか…。
なかろうな。

そうなる過程のどこかで、人は占いに興味を失くすだろうから。

多分ね、占いに惹かれるというのは、どこか「自分が何かしらの不思議な存在である」っていう気分になりたいからっていう部分があって、理路整然と説明されちゃうと面倒臭くなって、つまらないから需要がなくなる気がしてきた。


それでもめげずに、その先も考える

これまでも古今東西いろんな占いが登場して来て、なんか信憑性のありそうなものから『亀の甲羅占い』みたいな怪しげなものまで現れては消え、そして『ちゃんとした占い師』からインチキだとかそれを使って人をコントロールしたり、儲けて来た人たちもいたと思うのね。

だから、今はすっかり忘れ去られてるけれど、大昔に流行った占いとかも結構あったと思うのだ。
もしかしたら、まだ人類が猿っぽかった時代には、『シラミ取り占い』とかやってたかもしれない。「こっからあっちの山の方に三日歩けばマンモスがいるぞ」とか。

それで、いろんな占いが淘汰されて来ているとも思うし、残った占いは専門的に研究している人たちの間では、いろんな要素が加味されて精度が上がったり、細分化されて来ていると思う。

だから『血液型占い』とかも知らない所で『O型』でもマイナスとプラスで違う内容だとか、親がAとOの場合と、O とOの場合とか、いろんなバリエーションができて来てるかもしれない。

でも人はね、インチキとか思い込みだけで占う人とか、ちゃんとやってるつもりでも勉強不足な人とか、最初の頃に書いたように何らかの才能がまったくない人とかは一定数は常に居続けるだろうとは思う。
そして、今後もよくわからない新種の占いが現れたり消えたりしていくのでしょう、きっと。

加えて、そんなに専門的になられるよりは、たんなる気分で「今日の獅子座のラッキーアイテムはこちら」みたいな大雑把な占いを好む人もかなり存在し続けるという気がする。

それでも、占いのさらなる研鑽が進めば、先ほどの占星術の例のようにどんどんといろんな要素を盛り込んできてさらに様々なデータを使って占うようになるのではなかろうか。

例えば、性格や能力、将来的にかかりそうな病気などを予想するにあたっては、遺伝子の影響だってあるだろうし、先ほど書いた天体間での影響の他にも、どのような生活環境で育っていくかとか、両親がどの星座の組み合わせかとか。

そしてそのうち、AIとか使って、細かな生まれた時刻や位置情報、先述の遺伝子データ、生活環境、IQ、干支、姓名の画数、血液型など様々なデータを入力したのちに、人相と手相をスキャンして統合した情報を元に能力のある方がタロットカードをかき混ぜて「足の怪我に気をつけてね」とかアドバイスするようになるのではないかと思う。

少なくとも、こういうデータベースを作っておけば、例えば結婚相手を探すときには自動的に「この人と結婚しなさい」みたいなものが選ばれるという、一見するとどっかの新興宗教と同じようなことはできるようになるだろう。

とにかく、ここまであらゆる占いやら科学的なデータを取りそろえれば、本当にその人個人にしか当てはまらない、唯一無二の占いなんだか科学的な予測なんだかわからないけど、極めてパーソナルで確度の高い予測ができるのではないだろうか。

そして自分の将来を占いたい人は、こうした膨大なデータを調べたり入力している途中で一生を終えるようになるかもしれない。


先の見えない世の中

このように『占い』というのは、将来的にはより科学的なものと結びついたり、それ自体が科学的側面を強めていく方向に向かっていくのではないかと、私は占っているわけだが、そもそも『占い』というもの自体が科学のもっとも初期的なものだったんじゃないかと思うし、先ほどの占星術の話題で触れたように、もともとまだ現在の科学力では解明できていない事柄を取り扱っている分野なので、ちゃんと研究が進んでいけば、もっと理論立ててちゃんとした実証ができるものである可能性もあると思っている。

そして、確か最初の方で「経済予想も似たようなものだ」的なことを述べたと思うが、私たちの日常生活というのは大抵のことは予想通りにはいかないものだ。

野球選手が毎日素振りを3000回やろうと打てるようになるとは限らないし(やらないよりはやったほうが近づけるとは思う)、何回テストで100点を取っていようと受験に失敗することだってある(勉強しないよりはしたほうが受かる確率は高くなるとは思うが)。

ここは将来有望だと言われているからと思って入社したら半年で倒産することだってあるし、強力な兵器を作ったから戦争は抑止できると思ったら、支援のためにその兵器を渡したテロリストが何年か後にそれを使って攻撃して来たりもする。
あの日教会で「永遠の愛」を誓っても、数年後には区役所に離婚届を出す場合だってある。
昨日だって雨が降るということだったのに、結構いい天気だった。

いろんなことを理論立てたり研究したり、データを集めて予測しても、それ通りにはいかないのである。カードをシャッフルして占ってるのと結果的にはあまり変わらない。

できるのは予想だけ。
当たってるかどうかを前もって知ることも実感することもできないのです。

根拠があろうと、理論が正確だろうとそうなんだから、もっと正体のよくわからないものを頼ったほうがいいんじゃないかという気がしてくるのもなんとなくわかる。

どっちにしろ結果はその時じゃないとわからないのだから、自分の信じられるものを信じてたほうが張り合いはあるし、願ってる方向に向かいやすいのかもしれないな。

そんな事を書いてる途中で、今飲もうとしたお茶に茶柱が立っているのに気がついた。
きっといいことがあるに違いない。


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