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Fireworks of the star

 私のスマートフォンにメッセージが届くことはほとんどない。

それが立て続けに2件届いて、そのどちらも電話を求めるものだったから、いい予感はしていなかった。

日課にしているゲーム配信を切り上げて一人に相槌のメッセージを返すと、すぐさま電話がかかってきた。

友人の声はいつものふざけた様子がこれっぽっちもなく、初手からはっきりと、何かが違った。

そもそもが夜中の11時に電話をしてくるようなタイプのやつじゃない。

入念にクッションを敷き詰めるようにしてから告げられたのは、一人の男の死だった。

一瞬耳が遠くなり、視覚は焦点がまっすぐ合わせられない感覚がした。

三点リーダーが宙に見えそうな声で死因を尋ねると、返って来た言葉がさらに私の喉から音を奪う。

自殺だった。


 彼と私は友だちだったのだろうか。

初めて出会った中学一年の頃からもうすぐ31歳を迎える今に至るまで、確たる自信を持てたことは一度もない。

仮に、死の淵にいる人間を救える可能性がある人間を友と言うのならば、私がその内に含まれないことは決まってしまった。

彼は死の直前、言葉を交わせる人が近くにいたのだろうか。

 陰陽を感じる人だった。

まるで月のように思ったことがある。

見えている部分を見ようとすると見えていない部分が闇のように影差し、見えていない部分を見ようとすると見えている部分が光のように際立つ。

彼は遠目にも目立つ色白で、それでいて名字には「星」が含まれた。

月でも星でもどちらでもよいけれども、私はどこかそういう遠くのものを眺める思いで彼を見ていて、そしてそういう人は案外多かったんじゃないかと思う。

掴みどころのない人のことがよく雲に例えられるけれども、彼にはそういうものではない、質量を感じる孤高さのようなものがあった。

誰とも距離が詰まらなくて、そのまま星になっちゃったなんて言ったら不謹慎だろうか。

私は彼に憧れていたから、ともすれば無礼と捉えかねないこうした表現が、彼を形容しようと捻る思考の中に出てきてしまう。

そう、私は紛れもなく彼に憧れていたのだ。

 彼はとにかく趣味の幅が広かった。

車の話はわからないけれども、学生の頃からマニアックな話を車が好きな人同士でしていたし、大人になってからは見たこともない外車を乗り回していた。

誰にも伝わらなそうなマイナーな漫画や古い音楽の話も伝わるということがあったし、話す前から伝わるという予感があった。

サブカルの世界に足を踏み入れ始めたばかりの私が、浅薄な知識でものを語ると、彼はもっと上手にものの魅力を語って、私を少しみじめな気持ちにさせた。

憧れを嫉妬の成分が上回った時もきっとあると思う。

まだ幼い私の使う強い言葉や捻くれた視点は、直接的にも間接的にも彼からの諭しを受けて、同時に道を示された気がした。

恥を感じながら、私は彼を嫌いになることは一度足りともなかった。

大人になってから久しぶりに会った時に彼が言ってくれた、「大人になったな」という言葉が忘れられない。

彼の言わんとすることがよくわかって、ここから彼とようやく友だちになる一歩を踏み出せる予感を覚えた。


 連絡をもらった二日後。

通夜も葬儀も行われない彼に、遺体安置所で会える最後の機会を取り付けてもらって、私はどうにか得た午後休みに友人と向かうことにした。

私は彼のことを少しでも思い出そうと、この四日間ずっと彼の顔や名前や古い記憶を掘り出すことに生活の隙間を費やした。

顔は中学の頃のまま、名前は家庭の事情で何に落ち着いたのか知らず、古い記憶の数々は私がみじめになるものばかり。

それでも、そうして思い出せたことのいくつかを結晶のようにして、大切にこの身の内に融かすようにしみ込ませたいと思った。

インターネットの彼の足跡は、図られたのかどうかわからないが、何一つ見つけることができなかった。

ブログのリンクが消え、Twitterのアカウントが見つからず、どんな言葉の検索も砂浜に埋もれたコインを探すようで途方に暮れた。

流暢な語りや詩的な言葉の羅列、くだらないアスキーアートの並んだチャットや一緒に遊んだオンラインゲームのスクリーンショットなど、インターネットは最も思い出の保管された場所の可能性があったのに。

今になって一つも取り戻せないことに、私はまた自分のふがいなさを悔いた。


 当日、私は仕事を午前で切り上げ、50km離れた彼の亡骸の眠る地まで車を走らせた。

昔住んでいた場所だったからなじみの店に寄っていこうと考えたが、数日の記憶の反芻があるチェーンのラーメン店を思い出させていた。

彼にこの店のサービス券を50枚集めたと自慢されたことがある。

なんでも、50枚でTシャツがもらえるんだとか。

財布の中で零れそうな札の束と、それを見せつける彼の表情を思い描きながら暖簾をくぐった。

店の中はむせかえるような豚の臭いで、労働者の飯屋にスーツ姿の私は少し浮いている。

壁には大きなポスターで、Tシャツが宣伝されていた。


 友人と合流し、安置場についたのは3時の手前だった。

予報されていた寒波の到来で、駐車場ではひどく冷たい風の吹く、田舎の冬らしい陽気だった。

会場は遺体を包むようにふんわりとあたたかな空気がして、名曲の数々が穏やかなオルゴールで流れている。

荒井由実の『ひこうき雲』を耳にして、先週末にふとこれを聴いていたことを思い出した。

荒井が小学校を卒業して以来会っていなかった難病の友人の死を知り、参列した葬儀の祭壇に飾られた写真を見て想起した曲だという。

急に聴きたくなって良い曲だなとしみじみしていたけれども、その時既に彼が亡くなっていたことを今になって知って、奇妙な偶然を都合よく感じてしまった。

そしたら3週間前にラジオで聴いた『浪漫飛行』で米米CLUBが好きだった彼のことを思い出していたり、色んなことが意味のあった予兆のように思えて涙の波が押し寄せてきた。

 迎えてくれたのは、彼のおばさん夫婦だった。

妻でも父母でもなく、おばさんというところに彼の人生の一端が見える。

案内され、彼の横たわる棺とようやく対面した。

お棺は少し高い位置にあって、線香を灯すところからではアゴのあたりしか見ることはできなかった。

髭の整えられた口元を見ながら、なかなか点かない線香を供えて、棺のすぐ側まで歩み寄る。

口から鼻、目と続いて頭がゆっくりコマ送りのように見えてきて、ようやく顔全体を認識してから彼の死を事実として感じ、それから膨らんだ首元や赤紫の唇をその証拠として受け取った。

楽にいけたのかい。

「眠っているような」と表現するおばさんの言葉が、私たちの救いにもなる。

友人と3人で拝み終えると、おばさんたちは席を外して、しばらく私たちだけの時間をくれた。

仲間内になったということで少し冗談交じりな話をしながらも、私たちはめいめいに涙を浮かべながら彼のことを思った。

私はもう忘れないようにと、彼の顔をずっと見つめて脳裏に焼き付けた。

けれども、そうしたあとで今後思い出されるのが眠った顔ばかりなのもつらいなと悔いた。

 10分ばかり彼と過ごしてから、私たちは2階で待っているおばさん夫婦に帰りを告げに行った。

おばさんたちは改めて穏やかに私たちを迎えてくれ、「少しお話でも」と勧められるままに、ドリンクメーカーでコーヒーを手に取って腰を下ろした。

そこから1時間ほども、彼を起点とした話を様々にした。

おばさんの旦那さんは明るく面白い方で、今日初めて会った、二度と会わないであろう私たちを歓待するように話通してくれた。

おばさんはそんな旦那さんといいコンビで、ボケとツッコミを両立しながら、彼への深い愛情を私たちの知らないエピソードを交えて話してくれた。

私たちの聞き馴染みのない呼び方で呼ばれる彼。

瞬間瞬間でも幸せを報告していた彼。

おばさんが結婚した際に、旦那さんに「よろしくお願いします」と体を90度に曲げたという彼。

無理をしてでも来てよかったと思える時間だった。

彼が生きた足跡を知り、その証人であるおばさん夫婦のことを想って、私はこの数日で初めて涙を落した。


 彼のことを考える中で、この数日間、ずっと米米CLUBの音楽を聴いていた。

『浪漫飛行』や『君がいるだけで』くらいしか知らなかったが、何時間も流していると琴線に触れる曲もいくつかった。

最も心をつかんで、何十回と聴いてる曲を一つ残しておく。

この曲について、彼と語り合うことができなかったことが大きな後悔となっている。

歩いて行こう とりあえずは
足元からのびてる この道はMY LIFE
胸に MY DREAM つめこんで

走りぬけたあの日々を 悔やむことなどないさ
過ちなんて 誰にでもあるサ

自分でもまだわからない"俺"を見つけるために
未知への旅を始めよう

あきらめないで もどらないで
現在行けるところまで進もう MY FRIEND
そして MY DREAM どこまでも

出逢いはいつも旅の途中
ただひたむきに歩く 君の前に
突然の幕開け

世の中そう捨てたもんじゃなねぇって気がしてるぜ俺は
とても耐えらえらないことがある度に

全ての不幸を背負ったような顔してちゃだめだよ
逃げ帰るのは たやすいぜ

あきらめないで もどらないで
現在いけるところまで進もう MY FIREND
そして MY DREAM どこまでも

JUST MY FREIND いつまでも
JUST MY FIREND やすめない
ここに滞まるわけには ゆかない
旅はまだ続く

歩いて行こうとりあえずは
足元からのびてる この道は MY LIFE
胸に MY DREAM つめこんで

あきらめないで もどらないで
現在いけるところまで進もう MY FRIEND
そして MY DREAM どこまでも


思い出をありがとう。

こんなキザで自己満足な文章を書いてごめん。

どうか少しでも、君にやすらぎが訪れればと思う。

ありがとう、ハル。

名前まで、君は私の憧れだった。


追記:

この文章を書き上げた後で見直す中、ふと自分のブログのコメント欄を見てみれば何か彼の遺したものを見つけられるのではないかと気づいた。

人にとても見せることのできない、恥ずかしいことばかりの18年続けているブログのコメントをたどっていくと、思った通りいくつか彼の言葉を見つけられた。

私の成長を見守ってくれているような、あたたかいコメントばかりだった。

Fall Out Boyにハマった頃にそのことをブログに書いて誰かから反応をもらった記憶があったが、それも彼だった。

アルバム全部貸してくれるって、それ実現させたかったな。

去年の末くらいからまた私の中でブームが来て、色々Fall Out Boyの曲を聴いてたんだ。

彼のブログのURLも、別のコメントに貼ってあった。

2018年で更新が終わっていた、たった二つの記事しかない(記事を削除したのであろう)ブログだけれども、彼の生きていた証を見つけられた。

さすがにそのURLをここに書くわけにはいかないけれども、別のコメントで彼が勧めてくれた曲を最後に貼っておこうと思う。

こんな曲を知っていて、「俺、泣きそうになったぜ…」と勧められる君を誇りに感じる。

偉大な友だったと思わせてくれ。

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