理想の社会がそこに——世界でいちばん幸せな国フィジー
あるとき、世界各地の日本人を訪ねるテレビ番組で、フィジーが紹介されていて、そのときの「ケレケレ」という習慣が印象に残りました。例えば、バーでお酒を飲んでいるときに、隣の人のビールをかってに自分のグラスに注いでも、怒られないのです。また、洗濯して干してあるシャツも、誰かが勝手に着てしまいます。
自分のものはみんなのもの、みんなのものは自分のもの
その番組で、日本人留学生が通う学校で働く日本人・永崎裕麻さんが紹介されていました。永崎さんは、日本以外に自分が暮らしたいと思える国を探すため、2年以上をかけて80か国を訪ねました。それでも「この国で暮らそう」と思える国には出会えなかったそうですが、あるきっかけでフィジーを知り、初めて日本以外の国に住みたいと思って、2007年にフィジーに移住しました。
フィジー共和国は、オーストラリアの東、ニュージーランドの北にあり、日本からは約7000km離れています。約330の島々があり、国の面積は日本の四国くらいで、人口は約85万(東京の世田谷区と同じくらい)の小さな国です。
番組で紹介されていた「ケレケレ」が忘れられずにいたら、永崎さんが書いた本を見つけました。
さっそく注文して読み始めたら、これがものすごくおもしろいのです。「ケレケレ」という分け合う文化だけでなく、自分が理想と考えていたほとんどのことが、フィジー社会にありました。
その「世界でいちばん非常識な幸福論」の柱は、4つあります。
1 モノもお金も子どもでさえも「共有」すること
2 「テキトー」に生き「テキトー」を許すこと
3 過去と未来のために生きることをやめて「現在に集中」すること
4 他者との「つながり」に価値をおくこと
そしてフィジーは、世界幸福度ランキングで、2011年・14年・18年と3度も第1位に選ばれています。幸福度調査には、主観系と客観系があり、この世界幸福度ランキングは「あなたは幸せですか?」という主観的な調査です。一方、客観系の調査は、幸せを構成する要素のデータを元に決められます。
フィジーと日本を比べてみましょう。
客観系の調査には、自殺率、失業率、医師率、乳幼児死亡率、男女格差指数、民主主義指数、報道自由度などで判断されますが、この項目そのものが「幸せだと信じられているもの」であって、本当の幸せとは結びついていないような気がします。
日本人が幸せだと言えない理由として、永崎さんは以下を指摘します。
1 暮らしの中で「仕事」の優先順位が高すぎる
2 人付き合いの中で「世間体」を意識しすぎる
3 「人間関係」が希薄すぎる
フィジーはブータンのように「国策で幸せを追及している国」ではありません。また、北欧のように「社会福祉が充実していて老後も安心な国」でもありません。それでもフィジーは「幸せの習慣を持つ人たちの集まり」だから、世界幸福度1位なのです。
では、その「非常識な幸福論」をひとつずつ見ていきましょう。
世界でいちばん非常識な幸福論[1]
モノもお金も何でも「共有」する習慣
ケレケレとは、フィジー語で「助けて! ちょっと拝借! 頂戴! 分けて! お願い!」を全部混ぜたような表現で、ひとつの物をみんなで共有するという文化を現している言葉です。
普段の生活の中で私物(衣類や文房具、携帯、デジカメなど)を無断で持っていかれてしまうことがよくあるそうです。与えることが当たり前の社会では、「私有」の感覚が小さく、「共有」の感覚が大きいのです。
私有の感覚が少ないせいか、泥棒に入って盗んだお金を、泥棒と家主で分けあったというエピソードもありました。また、お金がないというおばあちゃんにバス代を出してあげたら、バスを降りて病院に行く途中で、物乞いにお金をあげてしまうことがありました。人からもらったお金なのに、そのお金がないと帰りのバスに乗れないのに、困っている人がいると助けずにはいられないのです。
警察のパトカーに声をかけられて「ガソリン代を出してくれないか」と言われたり、運転中に警察官に止められて「俺の妹(警察官ではない一般人)を乗せていってくれないか」と頼まれたりすることも、日常茶飯事です。
さらに「オレオレ詐欺」にまで、わざとだまされます。事故に遭って脚を怪我したという新聞記事を見せて、いろんな人からお金をもらっている男性がいます。その男性にだまされている人を見て、永崎さんはニセの物乞いだと教えてあげました。すると、フィジーの人はこう言いました。
「ニセの物乞いだって知ってたよ。でも彼は人に嘘をつかなければいけないほど困ってるんだから助けてあげないとね。彼が嘘をつかなくてもいい生活を取り戻せるように祈っておくよ」
持つ者が持たざる者に与えるのが当たり前
そして、子どもでさえも「共有」してしまいます。貧しくて子育てが難しい家庭の子どもは、貧困レベルがもう少しマシな家庭に里子として預けられることがあるそうです。子どもが大きくなって、元の家庭の生活が安定したことがわかると戻されます。フィジーにはインド系の人たちも多いのですが、その違いも気にしません。
「里子も自分で働いて家族を支えられるようになったからね。困っている人を助けるのに人種は関係ないし、家族の中が多民族化しているほうが楽しいし、子どもの教育にもいいんだよ」
また、5人目の子どもが産まれる近所の母親に、自分のところは一人もいないから、その子が産まれたら頂戴とお願いすることもあります。母親は「ちゃんと育ててくれればいいよ」と、二つ返事だったそうです。
シェアハウス、ルームシェア、カーシェアリング、オフィスシェアリング、ワークシェアリングなどが始まっているように、幸福を感じる第一歩は「所有」から「共有」に価値観をシフトさせること。「共有」から生まれるコミュニケーションをおもしろがってみませんか?
世界でいちばん非常識な幸福論[2]
「テキトー」に生き「テキトー」を許すこと
フィジー人はとにかく適当です。スポーツクラブに入会するときに保証人が必要で、それをたまたま近くにいた人に(店員が)頼んでしまったり、携帯を契約するのに身分証明書を忘れたら(店員が)自分のものを使って登録してしまったり、靴屋の店員がお客さんに合うサイズを探してくるといったまま自宅に帰ってしまったり、高級ホテルのミニバーで飲んだものを申告してもニコッと笑っただけで会計に入っていなかったり⋯⋯と、とにかくマニュアルを守りません。
国際事件の犯人が逮捕されたときに、スペイン語のあいさつができるという理由で日本人の永崎さんが1日警察官に就任、通訳として採用されたこともあるようです。また、パトカーが私用で使われているため事件のときに出動できなかったり、パスポートの在庫がなくなって数か月間、国民が出国できなくなることもあったそうです(発行されたパスポートの名前や誕生日が違うこともある)。
フィジー人は、会社に遅刻したり、仕事でミスをしたりしても、それは「神様の思し召しであって、自分ではどうしようもないこと」と考えるようです。つまり、「成功」と「失敗」が自分しだいではないと、国民全員が思っているのです。
だから、自分にゆるく、他人にもゆるい。自分ができないから、相手ができなくても当たり前。約束を破っても、日本のように信頼が損なわれることはありません。そして、「困っている人を助けたい」というケレケレ精神があることで、社会や会社のルールを破ることに対しても抵抗がないようです。とにかく、目の前の人の幸せを考えているんでしょうね。
世界でいちばん非常識な幸福論[3]
過去と未来のために生きることをやめて「現在に集中」すること
フィジー人は、なによりも「今」をたいせつにします。やりたいことは「今」やる、やりたくないことは、ずっとやりません。その口実として、フィジーの人たちは「Life is short」とよく言うそうです。人生には限りがあって、いつ死んでしまうかわからない。だから「今」を大事に生きるんだ。そんなシンプルな気持ちが伺えます。
病気になった父親の介護のために20代の息子が仕事を辞めたり、泥棒は犯行当日に必ず宴会をするので簡単に捕まってしまったり、面接対策をしないでそのときの予想外の質問を楽しんでいたりします。
いちばん印象に残ったのが、次のエピソードでした。高校の社会科見学で、金の鉱山に行くときのことです。大型バスを何台も連ねて現地に着くと、なんと鉱山は3か月前に閉山になっていたことがわかります。
同行していた永崎さんは、どうして学校関係者が誰もリサーチしてなかったのか、これから交渉して中に入れてもらうのか、どういう対応をするのか不安に思っていました。すると最前列に座っていた教師が立ち上がり、大きな声で言ったのです。
「よしっ! 金鉱はやめて、近くの公園に行こう!」
普通ならここで、「どうして!」とか「金鉱に入りたい」とか「こんな遠くまで来て公園で遊ぶ意味がわからない」とか、大騒ぎになるはずです。ところがバスの車内は、誰ひとりも文句を言わずに、気持ちを一瞬で切り替えて、公園でどんな遊びをしようか、楽しそうに話しあっていたそうです。
フィジー人は「ネガティブ」を「ボジティブ」に切り替えるのが得意です。たとえ交通事故に遭っても、車にぶつけられて倒れた人が、ヒャヒャヒャヒャと大笑いを始めたりします。恋人にフラれたと言う友人の告白にも大笑いします。
悲しいときこそ、笑っておかないとね
スポーツジムでトレーニングしている人が、鉄アレイを足先に落としてしまったときは、インストラクターがかけつけて、持参した消毒液をなんと自分の足に塗ってしまうのです。それを見て、足の指から血を流している人は痛みをこらえながら「クックックッ」と笑い始めます。
フィジー人が「現在フォーカス」できる理由
1 「反省する」という習慣がない
何か失敗したときに、普通は反省して改善しようとしますが、フィジーではその習慣がありません。失敗は神様の思し召しだから、その原因を考えることもありません。
2 「準備・計画をキチンとする」習慣がない
フィジーでは、ぶっつけ本番、行き当たりばったりが当たり前。準備や計画をするためには、未来を想像しないといけません。失敗に寛容な社会だから、うまくいくように何かを計画する必要もないのです。
3 Talk & Laugh(会話と笑い)
失敗に寛容といっても、怒られたり落ち込んだりするのは、人間として当たり前。ところがフィジー人は、その落ち込む時間を最短にするスキルを持っています。それが「会話」と「笑い」です。叱られたことをネタにして、その日のうちに友達と笑いあってしまいます。そして笑うあうことで、楽しい思い出として記憶してしまうのです。
世界でいちばん非常識な幸福論[4]
他者との「つながり」に価値をおくこと
フィジー人は「世界一フレンドリーな国民」と言われています。彼らは距離感を詰めるスピードがとにかく早い。人見知りとか遠慮という言葉がないほど、気さくに声をかけてくれます。とにかく目が合ったらすぐ会話が始まり、身の上話や余計なお世話まで、ずっと前からの知りあいのような会話になります。個室トイレの壁越しで顔が見えなくても話しかけられるし、間違い電話の相手とも長話をしてしまうほど。
ある国際調査(OECD、2005年)で、「友人、同僚、その他」との交流が「まったくない」もしくは「ほとんどない」と回答した人の割合が、日本は15.3%で、20か国中1位だったそうです。2007年にユニセフが発表した「孤独を感じる子ども(15歳)の割合」では、24か国中、日本の子どもがもっとも孤独を感していることがわかりました。しかも、平均が7.4%、2位のアイスランドが10.3%なのに対して、日本は29.8%。日本の子どもは世界一、孤独を感じているようです。
幼いころから「人に迷惑をかけてはいけない」と言われ、なんでもひとりでやろうとします。みんな、ちゃんとやってるんだから、自分も頑張らないとと、誰にも言われていないのに、不思議な同調圧力を感じて、自分自身で苦しんでいませんか?
フィジー人のように「ケレケレ」と言って、もっと気軽に頼んでしまうほうがいいのではないでしょうか? 誰かに何かを頼まれたり、頼られるのは、自分の存在価値が認めれたような気がして、実はうれしいものです。
フィジー人は、国レベルで「つながり」をたいせつにしています。北に2000km離れたキリバス共和国は、地球温暖化の影響で海面が上昇すると、国家が水没してしまう危機にあります。そんな状況のなか、キリバスを訪問したフィジーの大統領は、公式にこう宣言しました。
「国際社会が温暖化対策に失敗し、海面が上昇し続ければ、キリバスの人たちの一部、もしくは全員がフィジーに移住する必要があるかもしれない。われわれは困っている隣人に背を向けることはない」
約10万人のキリバス人を、人口88万のフィジーが、すべて受け入れると約束したのです。そして1997年に京都で開かれた国際会議で、温室効果ガスの排出量を削減する「京都議定書」という国際条約が決まりました。192か国が承認しましたが、世界で最初に承認した国は、フィジーだったそうです(1998年)。日本は2002年、オーストラリアは2007年、アメリカはついに承認していません。
フィジー大統領はこう続けます。
「フィジーも海面上昇に関する問題はある。この危機を強力し合って戦っていこう。最悪の事態になったとしても、あなたたちが難民になることはない。堂々とフィジーに移住できる。キリバスの人たちの魂は場所がかわっても生き続ける」
ギフト経済を実践する「カルマキッチン」のニップン・メッタさんは、「与え続けることで、優しさの波紋を起こす」と言います。「消費者」から「貢献者」になると「交換」ではなく「信頼」が生まれ、「孤立」している状態から「コミュニティ」に属している意識へシフトします。すると、欠乏感はなくなり、豊かさを感じられるようになるのです。
いつも誰かの幸せを考えているフィジー人には、「うらやましい」という感覚がないそうです。日本だと、テストで良い点をとったらほかの人からひがまれるけど、フィジーだとみんなが素直にほめてくれるし、一緒に喜んでくれます。つまり、友達の幸せ分も、自分の幸せ分としてカウントできるのです。
・モノや経験は1人で所有するのではなく「共有」する。
・「テキトー」を適当にすることで古びた制約から自由になる。
・「現在にフォーカス」して限りある人生という時間を有効に使う。
・結果、本当に必要な「つながり」を生み出し、そのつながりと生きる。
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