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「お金」は気持ちを伝えるひとつの手段

 少し前に「自分シェアリングのススメ」で紹介した坂爪圭吾さんは、「家がなくても人間は生きていくことができるのか」ということを、身をもって実践し、そこから気づいた新しい価値観を多くの人に伝えている。

 2月5日、ひさしぶりに坂爪さんのお話し会に参加した。「最近聞かれる10の質問」がレジメとして配られていたので、まずこれを読んでみてください。

【目標達成型より瞬間燃焼型】最近聞かれる10の質問。ー 「幸せになるために生きている」という意識が日本は希薄だ。 - いばや通信

 この日は、最初から質問形式で始まった。レジメの9番目に「最近の興味はなんですか?」という質問があり、「金&SEX&死」に関心があると書いてある。話はそこから始まった。
「お金も性も死も、共通点があるような気がしているんです。例えば性欲は恐怖心と似ていて、妄想がどんどん膨らんでしまいます。でも実際にそうなってみると、思っていたほどでもないのです。もしこうなったらどうしようという想像が、その恐怖が、自分のエネルギーを奪っているのではないか? 男女がいるだけなのに、得体の知らないものに対して妄想しすぎているのでは?」
 坂爪さんは、彼女にふられて同棲していた家を出ることになり、ホームレス状態になった。けれども、その自分の状況をオープンにすることで、家のない生活でも1年近く困っていない。自分の状況も、連絡先もすべてオープンにすることで、助けてくれる人が現れる。それがなければ、今の暮らしは成り立たなかったという。
「銭湯に入っているときに、若い人が前をタオルで隠して入ってくるんですよ。逆に隠しているから気になってしまいます。よく『人に迷惑をかけてはいけない』と言われますけど、それは迷惑をかけることが恥ずかしいから? 僕はすべてオープンにしてきたので、恥ずかしくありませんでした。得体のしれないものに感じている恥とか恐れは、本当に必要なのでしょうか?」
 全国から講演会の依頼があり、誰よりも不安がなさそうに見える坂爪さんだが、恐れや不安を感じないのは、今に集中しているからなのだろう。レジメの4番に「私は目標達成型の人間ではなく『瞬間燃焼型』の人間なので、夢も目標もありません」と書いてある。
「先のことを考えてもわからないじゃないですか。例えば、今晩寝るためにマンガ喫茶に泊まる代金はあるけど、明日の分がなければ不安になります。そう考えるとキリがない。たしかに備えなければいけないものはたくさんあるけど、今を生きたほうが合理性が高くて、実際に楽なんです」
 ずいぶん前から、同じようなことを言う人は多い。「いまここ」に生きたほうがいいことは知っていても、それができない人が多いのもまた事実だ。それは一方で、想定される万が一のことを受け入れられないからではないのか? 今の仕事がなくなったらどうしよう、これが壊れてしまったらどうしようと、変化を恐れているのかもしれない。
 すべてのものが変化しているのが、この自然界の法則である。人間の身体も、目に見えない形で少しずつ成長し、老いていく。金属やプラスチックの物も、長い期間で見ればやがて朽ちていく。
 坂爪さんが「瞬間」に集中できているのは、変化を恐れていないからではないか。好きなことをして生きることについても同じだ。それができる人とできない人の違いはどこにあるのだろうか?
「僕からすれば、けっきょくやりたくないからやってないだけだと思います。僕は今、ただ家のない生活をやっているだけで、それについて不安になることはありません。やらなければいけないことがあったとしても、やる前に考えてもわからないじゃないですか。とにかくやってみることが大事なんです」

表現力を身につける

 坂爪さんは今、自分自身の内側に眠っていた感覚を外側に出し続けている。そこで、ますます「表現力」について関心を持つようになった。これは逆に、質問する側や相手に意見を伝えるときにも必要な能力だ。
「まず最初に、自分が何をしたいのか知ることが大切です。でも自分のことなのに、これが難しいんですよね。その次に、その内側にあるものを的確に表現しなければいけません。周囲の人にどう思われるか、世間は何を求めているのかではなく、自分はどうしたいのかを知り、それをきちんと伝えることなんです」
 ある日、坂爪さんに「これから僕は世界一周するので、この口座にお金を振り込んでください」というメールが届いたそうだ。もちろん、見ず知らずの人にいきなり頼むようなことではない。「ふざけるな」と思った坂爪さんは、これはいきなりレベルの高いお願いをするケースだと分析する。
「僕は、お互いに迷惑をかけられる関係がいいと思っています。その助けを求めるときに必要な表現力を養わないといけません。日本人は、周囲の空気を読む訓練はしてきたけど、自分はどうしたいのかがわからなくなっている。だから伝わらないどころか、反感を持たれてしまうのです」
 いきなりお金をくださいと言うのは、5段階のレベルで最高段階。最初のレベルは、困っている人を助けるところから始めなければいけない。その経験が、何か思ったときにどうすればいいのか役に立つ。
「レベル2は、本当にささやかなお願い。ティッシュくれませんか? くらいの感じです。あればもらえるし、なければもらえない。断わっても断わられても、気まずい雰囲気にならない。家がなくなったから1か月くらい泊めてと頼んだら、受けるほうも考えるけど、1泊くらいなら許してもらえます」
 自分ができる範囲で助け合えばいいのに、その関係に慣れていないため、いきなり難易度が高いことをやってしまう。うまくいかなかったのは、その方法が間違っていたと勘違いしてしまう。
 坂爪さんも、最初のころは誰かの家に泊まらせてもらうと、お皿を洗ったり、掃除をしたり、気をつかってしまったそうだ。けれども、相手にとっては坂爪さんが泊まってくれることで、すでに満足なのである。助ける側と助けられる側の関係に、日常にはない楽しさが発生しているからだ。

以下の、彼のブログもぜひ読んでください。

「等価交換」から「贈与交換」へ。ー 自分が余っているものを(それを必要としている人に)無償で差し出す。受け取った人はその経験に感動して、世の中に優しさを循環させていく。 - いばや通信

お金はあると便利なもの、なくてもいいもの。

 参加者から、坂爪さんは「お金」というものをどういうふうに捉えているのか質問があった。
「簡単な言い方をすると、あると便利なもの、なくてもいいもの。もう少し難しい言い方をすると、コミュニケーションコストをゼロにしたもの。お金を持っていたらホテルにも泊まれるし、マンガ喫茶にも行けます。でもここでみなさんに土下座をして頼めば、誰か泊めてくれるでしょう。そのコミュニケーションを省くものとして、お金は使えるツールになるのです」
 お金は、生きていくためのひとつの手段であるが、ドネーション(カンパ)制でお金を集めるときに、それを呼びかけることに対して葛藤はないのか? 坂爪さんは、何かをして、その対価としてお金をもらうのはつまらないと言う。最後にカンパの封筒を配るけど、何も入れなくてもわからないし、それでもいいそうだ。
「実際に困っていないのにもらうお金って、何だろうと思っています。今はその方法しかないのでやってますが、それだと生きるために何かを永遠に売り続けなければいけない。いったい、いつまで売り続ければいいのでしょうか?」
 僕は以前、大道芸人を取材していたことがある。歩行者天国や公園で、無許可で芸を見せて、まったく関心がない通行人の足を止めさせて、笑わせて、楽しませて、最後に投げ銭を出させてしまう。モノの値段が決まっている社会に生きる人たちは、いったいいくら入れればいいのか葛藤する。周囲を様子を見て、100円を入れる人がいたら、自分も100円を入れる。1000円札を入れる人がいたら、そのくらい出すのが普通なのかと、また葛藤する。
 これはお金を出す側の葛藤であるが、もらう側の気持ちには、金額の大小はない。たしかに少ないより多いほうが生活は楽になるが、お金を払ってくれる「気持ち」に差はないのだ。一般常識としての「お金」の意味を、もう一度考え直してみるのもいいだろう。もし「お金=気持ち」であるなら、気持ちを伝える方法は無限の広がりを見せるはずだ。

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