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意識的に生きる

想像してみる。

今、この瞬間しかないと。

過去も無くて、未来も無くて、ただ「今」だけがあるんだと。

ここに存在している「私のようなもの」には、
名前があり、女だったり、もうすぐ35歳になるとこだったり、「ひきこもり」という分類に分けられたり、色々な感情の渦に飲み込まれていたりする。

が、そんなのを一切脇に置いてみる。


記憶喪失になったと仮定してみる。

何者でもなくなってみる。


…………


「何者でもなくなってみる」
と自信満々で書いたが、書きながら試みているので上手くいかない。
「良いものを書きたい」「久々に文章書くのが楽しいぞ」という高揚した気分が邪魔をする。



試してから書けばよかった!


でも、ほんの少しだけは、エゴから自分をひっぺがす瞬間を持てたんじゃないだろうか?



ところで、さっきは「今しかないと仮定してみる」と書いたけど、冷静に考えてみれば実際本当にそうなんじゃないだろうか?

未来も過去も「今」、「私の頭の中」に存在しているだけだ。
これこれこういう過去があった、という記憶が「今」起こり、これこれこういう未来がくるだろう、という予測が「今」起こっている。
過去が本当にあったかどうかなんて証明できない。


そして、「私はこういう人間だ」と定義づけているものは、ただの私の記憶だ。



私の体も、私の考えも、私の感情も、
それを観察できるということはそれは「私」ではないのだ。
では「私」とは一体何なのだろう?


エックハルト・トールの「ニュー・アース」を読み、「今に在る」大切さを改めて思い出し、この訳の分からない文章を書き出したけど、結局まとまらないし、何が言いたいのかも自分でもよく分からない。

ただ、自分を守りたい一心で様々な感情を心に生み出すエゴと一体化し過ぎてしまうと、本当に疲れる。


感情も、思考も、勝手に湧いてくる。
「こう考えよう」「こう感じよう」なんてコントロールできない。


だからいつも意識的に自分を観察する癖をつけたい。
時すでに遅し、ということばっかりだけど、気づかないよりはマシだ。

意識的に生きたい!

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