自分の土台を整える時間
最近は、立ち止まったり、見直したりする時間が続いている。
何がきっかけってことはないのだけど、自分のしたことを書き出したり口にしたりして認識するようになったことと、実家での時間が増えたことがきっかけかもしれないなと思う。
自分の行動、考え方、お金の使い方、時間の使い方、本音などなど、いろんなことを認識しては、感じてみて、それって本当にいるのかな・・って自分に問い直してみたり
欲しいと思っている情報を仕入れては吟味してみて、自分のライフスタイルと合うか検討してみたり
今あるものが、本当に今の自分に合っているか見直してみたり
そんな時間が続いている。
結果、「よし!片付けよう!」と思わなくても、断捨離になっていたり、
捨てた結果、本音に氣が付いたり
物事の見方が変わったりしている。
今までの自分って、結構、アクセル踏んだら、どこまでも突っ走ることが多かったし、それが、今までの自分を作ってきたとも思っている。
けど、その最中って、振り返ってることも多かった。
けど、その振り返り方が、これが正解か?それとも違うのか?っていう、自分以外の答えを探していたような氣がした。今思えば・・なのだけど。
対して、今の自分。立ち止まって振り返る時も、本当に自分の欲しているところなのか?とか、本当にしたいことでも、今の自分にとって苦しくなっていないか?とか、「今の自分にとってどうか?」が基準になっている。
したいなぁと思っていることでも、今の自分が「しんどい」と感じることなら一旦距離を置いて、無理のない範囲でやっていたり、手放してみたり。
家族との時間を作ること、家のことを負担なくするためには、どういう導線で動くと自分が楽なのかを色々と試してみたり。
身体のこともそうだけど、家のことを整えることに重きを置いているなと感じている。
家を整えること、家族との時間を大切にすること、身体を整えることって、自分の土台を整えることだと、今日は友人と話していて改めて感じた。
土台、自分のルーツ。
お墓参りに行くとよいと言われるけれど、それって、自分のルーツを大事にしていることだと思う。
けど、遠方だったり、仕事で行く時間が取れなかったりってことも多いと思うから、自分の両親との時間を大事にすることが大切なのかなとも思う。
私の場合は、両親との関係って、そんなに悪いと思ってないのだけど、祖父が亡くなるまでって、実家に帰ることが少なくなっていた。
祖父が亡くなってから、実家に帰ることが増えて、母との時間をじっくり過ごしたこと、母のやることを色々とみて感じたことがとても大きくて
母だからこその物事の見方、采配の仕方、人の愛し方、人の育て方、なんかを目の当たりして、
改めて、母の偉大さを感じた。頭が上がらん、感謝しかないや、尊敬。降参。みたいな。
祖父の死を通しては、自分がどんな最期を迎えたいか・・・と言うことを考えるきっかけになった。
まだ、答えは出ないけど、いつかは自分も死を迎えるんだもんなと。
立ち止まったり、自分を見直したりすることで、今まで無理をして頑張っていたことにもたくさん氣付いて、一旦ストップしたりもした。
「しない」という選択をしたことで見えたこともたくさんあって
立ち止まったことが、とても大きな収穫だった。
今は、自分の土台を整えることで、何か大きなことをしているわけではないけれど、とても充実した時間が過ごせているし、何より満たされている感覚が大きい。安心している感覚というか。
手応えのない時間を過ごすことが、今の自分にはとても大きな意味を持っている気がする。
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