[ことばとこころの言語学・11]みんなうそつき
授業で学生さんに「ウソをついたことありますか?」と聞いてみると、怪訝な顔をされ「ありません」とこたえます。みなさんはどうでしょうか?人前で「私はウソをついたことがあります」なんていうと一瞬にして信用を失いますよね。でも、思い出してください。
「今日、これから飲みに行こうよ」と誘われたときに、時間には余裕があるけれど、この人と飲みに行くのはあまり乗り気ではないときにどうやって断りますか?
「ごめん、ちょっと予定があって行けないんだ。」
と言ったりしませんか?そのときの「予定」って本当に予定されていたことでしょうか?決して
「あなたと飲むのは気が進まないから行かない。」
とは言いませんよね。
つまり、<心の中で思っていること>と<実際に口から出てきたことば>に違いがあります。つまり、本当のことを言っていないので、ウソをついているとも言えるでしょう。
また、つぎのような言葉を聞いたことがある人もたくさんいると思います。
「先日、ハワイに行ってきました。つまらないものですが、お受け取り下さい」
本当にハワイのお土産として「つまらないもの」をわざわざ買ってプレゼントするでしょうか?それなりのものを渡すと思いますし、もらった側も、どんな「つまらないもの」が入っているか期待しながら中身を確認するということはありません。ということは、<実際に口から出てきたことば>と<心の中で思っていること>の間にはギャップがありそうです。だからといって
「先日、ハワイに行ってきました。このお土産は4000円もしました。開けたら驚くと思います」
ということは決して口にすることはありません。どうしてなのでしょうか?わたしたちの<ことば>は全て事実だけを述べているのではありません。事実を伝える文とは次のようなものです。
・2018年12月10日は水曜日です。
・『老人と海』を書いたのはアーネスト・ヘミングウェイというアメリカ人の作家だ。
しかしながら、私たちは常に真実である事ばかり述べているのではありません。時にはウソをつき、また、時には冗談を言ったりします。
足が棒になった。
なんていう文は事実だったらとんでもないことになりそうです。突然足が「棒」にはなりません。
ネコの手も借りたい。
という文を聞いた人が、「三毛猫がいい?それとも、シャム猫?」なんていう返事をすることは多分ないと思います。こうした文は「棒」や「ネコの手」が実際の木の棒やタマの手を意味するのではなく、何か別のことを伝えています。そこで、これから私たちのコミュニケーションのことばについて考え、そのあとは「文字通りの言葉ではなく、なにか別のことを伝えるために言葉が用いられている」ことについて考えてみることにしましょう。
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